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パーティーから一ヶ月が経ったけれど、天使の微笑みは夜毎夢に現れた。叔母様に聞いてみたけれど、彼女の素性はわからなかった。
「招待した方の、お連れのお嬢さんだと思うけど……大勢を招待したから」
叔母様は申し訳なさそうに眉を下げた。
それ以上詰め寄るわけにもいかず、半ば諦めながら、日常生活へと戻っていった。
天使の残像を引きずったまま、日々の忙しなさにのみ込まれていく。
それでも、彼女を忘れたことは一日もなかった。
秋も終わりに近づいた頃だった。その日は、クライアント先から直帰して、夕暮れの公園を横切って小走りに大学の中庭へと入っていった。
大学を突っ切って帰ろうと思った。そちらのほうが近道だから。
黄色い声で笑い合う少女たちの声に、自然と頬が緩んだ。
そんなに昔のことでもないのに、懐かしくなり彼女たちに目を向けた。
―きっと、好きな人の話でもしているのね。
その瞬間、足が止まり、思わず息を呑んだ。
ブロンドの波が視界を満たした。
ショートパンツにブルーのシャツと出で立ちは変わっているけど、間違いない。
―あの日の天使が、笑っていた。
彼女は友人たちに手を振って、こちらに歩いてくる。――ドクン、ドクン。
あの日の鼓動が鮮明に蘇った。
ゆっくりと彼女がこちらに歩いてくる。
ブロンドの髪を鬱陶しそうにかきあげる彼女の視界に、私はいない。
―あと、十歩。
心臓が壊れそうなほど早鐘を打つ。
話かけなきゃ。
―あと、六歩。
彼女の香りが鼻腔に触れる。
ハイビスカスのような爽やかな香り。
穏やかな天国の午後の香りが、私を満たしていく。
彼女は横を通り過ぎる。
「あの!」
自分でもその声が大きすぎたのがわかった。
彼女が立ち止まり、目を丸くして振り返る。
その瞳に、私だけが映っていた。
「あの…この前、事業成功パーティーで…」
彼女はキョトンと首を傾げた。
「私、アン。あの、パーティーであなたを見かけて、それで…」
彼女がぱちぱちと瞬きする。
「あの…えっと…」
次の瞬間、彼女はにっこりと笑った。
「あぁ、あのパーティーね!」
すっと、彼女が手を差し出した。
「ジェンよ。よろしくね」
差し出された手を優しく握る。壊さないように。
「アンよ。パーティーの主催者の姪にあたるの。」
―話さなくてもいいことまで、どんどん口からあふれてくる。止まらない。
「あの日あなたを見かけて、話しかけたかったんだけど、あなたはすぐにいなくなってたから。こうしてまた会えて嬉しいわ。あ、でも突然話しかけられても困るよね。」
―もう止めて。これ以上余計な話をしないで。
ジェンは、驚くでも嫌がるでもなく、優しく微笑んで私をみていた。
「あの、あなたがあまりにも、その…きれいで…」
顔に熱が集まるのがわかる。
「その、少しでも話したかっただけなの。その……あの……お茶でも一緒にどうかしら?あ、もう遅いよね。あの…こ、今度でもいいのよ。」
ジェンはくすくすと肩を揺らした。
「アンっておもしろいのね。いいわよ。今度遊びに行きましょう」
ジェンはスマホを差し出した。
その意味がわからず、今度は私がきょとんとする番だった。ジェンがまたくすくすと笑った。―なんて可愛いんだろう。
「連絡先よ。交換しておかないと、遊びに行けないでしょ?それとも、あたしのこと、ずっとここで待つつもり?」
いたずらっぽく笑うその笑顔から、目が離せない。
慌ててカバンを探る。
その間も、何度もジェンの存在を目の端で確かめた。夢じゃないと確信がほしかった。
震える手でスマホを取り出し、ジェンの方に差し出す。
すぐに、スマホがジェンの連絡先が登録されたことを告げた。
恐る恐るスマホの連絡先を見ると、新しい名前が登録されていた。
【ジェン・グッドマン】
名前からも目が離せない。
「空いてる休みに連絡するわね」
そう言うと、ジェンは軽く手を振って歩いていった。ブロンドが夕日に照らされて赤く染まっていた。
どうやって家に帰ったのかは、覚えていない。
気がつけば、家にいた。
何をするにも上の空で、暇さえあればスマホを見つめた。
それから1週間は毎日、自問自答していた。
―私から連絡してもいいのかな?
でも、迷惑になるかもしれない。
―本当に連絡がくるかな?
来るわ。あの子は優しくて丁寧な子だもの。
―どうして分かるの?会ったばかりよ?
分かる。あの子のことは、わかるのよ。
1週間が過ぎようとしていたころ、スマホに待ち侘びた通知が届いた。
『次の週末、遊びに行きましょう:)』
その文字を見た瞬間、私の心は確実に天国にあった。
私の身体は重力を失い、私の心は全ての枷から解き放たれた。
『行くわ!楽しみだわ!』
目の前にあらゆる選択肢が広がり、妄想が加速していく。
―あの場所は、景色が素敵。あの場所はだめね。あの場所なら…
「楽しみだわ!どこに行こう?海の見えるホテルのレストラン?この前叔母様が教えてくれた、フレンチの店?あぁ、どうしよう!心臓が爆発しそう!!」
自分の独り言と妄想で、その夜は眠れなかった。
瞼の裏にジェンの笑顔が浮かんでくる。
待つ時間さえ、愛おしい。
週末まで、あと五日。
仕事中も、ふとした瞬間にジェンの声が蘇る。
「アンっておもしろいのね」
胸の奥で何度も何度も反響する。
週末まで、あと一日。
カレンダーの数字が、やけに大きく見える。
明日、ジェンに会える。
高揚感が、静かに全身を震えさせた。
私の世界が黄金に輝き始めた。