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彼女の意識が覚醒したのは、エムブラ・ソティーランが13歳の誕生日を迎えた翌朝。
「…忘れてた」
誰かに恨まれるほどひん曲がった性格ではない。とは思っていたが
(誰かに突き落とされたってことは…誰かには恨まれてたってことになんのかな)
体を大の字にしたまま、天井を凝視する。
(誰だろ…恨まれるようなことしたっけ?覚えてないなぁ…)
悪事には、故意にするか無意識にするかの二つがある。
「…やっぱり、聞いとけばよかったかな」
彼女は後者なのだろう。
彼女自身、誰かに対して嫌悪感も苦手意識も持たなかったから、彼女が故意に誰かの恨みを買う行為をする事はなかった。
(まぁ、知ったところで…か)
浅野ゆうかの人生は終了した。
今の彼女はエムブラだ。
前世のことに疑問を持ったところで、何か出来るわけではない。
「よっ…と」
エムブラは思考を止めてベッドから降りた。
真新しいネコのぬいぐるみと、可愛らしい結い紐が入った缶がベッドの脇にある小さな棚の上に置いてあって、引き出しの中には絵本が数冊あった。缶の中から適当な結い紐を取って歩き出す。
部屋の端には服とブーツが収納されているクローゼット。その隣に全身が映る大きな鏡。
服を着替えて靴下とブーツを履いた後、鏡の前に立ち自分の姿を見る。
(茶色くなってる、けど…前世とほとんど変わってない。)
髪色も目の色も、前世は限りなく黒に近いこげ茶だったのだが、今では風紀検査でバッチリ引っかかるぐらいに茶色かった。
幼さゆえに全身プニプニしているし、目も大きく見えるが、前世の容姿と大きな違いはない。
(なんで色変えたんだろ…この世界じゃ『黒』って余程良くないものなのかな?)
両手で顔をいじくりまわしながら、自分の姿をマジマジと見る。
その時、扉をノックする音が聞こえて、思わず姿勢を正した。
「はぁい」
ドアノブを放って扉を開けると、そこには優しそうな人がいた。
柔らかな表情、温かい瞳、
「おはよう、エミィ」
「おはよう。お母さん」
愛情のこもった声音で話しかけてくるこの人こそ、エムブラの母エリカ・ソティーランだ。
趣味はフラワーデザインで、《フレスヴェルグ》というところで働いている。まだ幼い頃、どう言う職業なのか聞いた時があったのだが
『私たちを命懸けで守ってくれる人《冒険者》のお手伝いよ。魔物を倒したり、傷薬の材料を集めてもらったり。そういうことを冒険者の人たちにお願いして、欲しいものと同じものをちゃんと持ってきてくれたか確認したり、それに見合ったお給料を冒険者に渡したりするの。』
いまいち理解できなかった。
(ギルドっていう所で受付嬢してるらしいんだけど、行ったことないからピンとこないんだよね。アレかな…銀行の受付みたいな感じかな)
エリカはエムブラの額にキスをして、頭を撫でた。
「ご飯できたからお顔洗っておいで。」
「うん」
彼女の意識が確立し、これまでのエムブラと現在のエムブラとで人格の違いがあるかもしれない。という不安はあったのだが、これまでの生活を思い返した限りでは現在のエムブラと大きな違いはなかった。
彼女の覚醒による混乱を起こさないようになっているのだろう。
(そもそも知らない誰かの体に入り込んだわけじゃないから、人格が変わることないのかな?)
と言っても、13歳の肉体に17歳の女子高生の精神が入っているのだ。年齢にそぐわない言動を取らないよう、注意することには変わりない。
洗面所に向かい顔を洗った後、ブラシで髪を解いて結い紐で一つ結びにした。
口を濯いでリビングに移動する。
テーブルには、すでに朝食が準備されていた。焼き立てのパンと目玉焼き、にんじん入りのスープに牛乳。
The朝食。
「お父さんは?」
「もうお仕事に行ったわよ。騎士団の訓練があるみたい。」
「そっかぁ」
エムブラの父ムジカ・ソティーランは、王都ミドガルドの王国騎士団の団員だ。
上位の階級であるわけでもなければ、類い稀なる才能を持っているわけでもない。普通の人。
趣味は音楽。
一度覗いたことがあるのだが、彼の自室には手作りの楽器と年季の入った大剣が置かれてあった。
エムブラは両親の歌を聞くのが好きで、たまに寝る前に2人の歌を聞く。
エリカの歌声とムジカの演奏は聴いていて本当に心地がいい。ずっと聴いていたいと思うのだが、気がつくと眠っているのだ。
「帰ってくるのが遅くなるかもだけど、今日中には帰ってくるって。それより、ほら。」
エリカは椅子を引いてエムブラに笑いかけた。
「冷めちゃう前に食べましょ」
「うん!」
どうやら、この世界は宗教観がはっきりしているようだった。
信仰する神様の名前は家系や地域によって様々で、ソティーラン家では創世神オーディンを崇拝している。
「ほしを創りし神オーディンよ。
その輝き、大地の恵みに感謝します。」
(オーディンってすごい神様なのかな…?)
エリカはその目を開いて、エムブラに微笑みかけた。それは春の花のように温かく、優しくて。
彼女の子供だから彼女の愛情がストレートに伝わっているのだろう。
エムブラはエリカにつられて笑顔になった。
「エミィ、何かしたい事はない?」
朝食を終え、庭の花壇の手入れをしていたところで、エリカがそんな質問を投げかけた。
「したい…こと?」
エリカは、エムブラの頬についていた土を手の甲で拭う。そして、頷きながら言うのだ。
「エミィはあまり、欲しい物とかしたい事を言葉や行動で表現しないでしょう?大人しくて賢い子であることは嬉しいけれど、たまには甘えてもいいのよ。」
エムブラは欲のない子だった。
部屋にある物はエムブラが欲しいと言った物ではあるが、その数はあまりに少ない。
キラキラしたアクセサリーや人形、可愛らしいぬいぐるみ。武器や防具、魔法に関する本や道具。
それらに興味をあまり持たない子なのだ。
近隣の人たちからは「大人しい子だねぇ」とか「いい子だね」と褒められるのだが、母親であるエリカからすれば、少し申し訳なく思ってしまう事だった。
(うちはお世辞にも裕福な家庭ではないから、私が気を遣ってるとでも思ってるのかな。そんな事はないだけど…)
彼女の元の性格が可愛らしいものにあまり興味を示さないものである事、魔法や武器などにこれといった関心がない事が相まって、何かを欲すると言う行為、意識がなかったのだ。
「う〜ん…」
かと言って、ここで何もない。
と言うのも良くない気がした。
エリカの表情を見る限り、なんでもいいから何かしてあげたい。と思っているようだ。
「…じゃあ、」
王都ミドガルド
ナインワルドに存在する4種族の内、人間族と獣人族が暮らす都市である。
高い壁に囲まれた大きなこの都市の中心には、白を基調とした城があり、そこには王族がいるのだとか。
(…城だけに白ってか。ははっ)
頭の中でそんなことを思いながら、エムブラは帽子を被り直した。
彼女の要求
それは王都を観光したい、だった。
ソティーラン宅はミドガルドから少し離れた小さな村にあり、エムブラがその村から出てミドガルドに行く機会はあまりなかった。
息抜きとこの世界における社会を知るために、観光を選んだのだ。
「それじゃあ何からしようか」
「ん〜…とりあえず色々見て回りたいな。まだ何があるかとかよく分からないし。」
「分かった。じゃ、行こっか」
「うんっ」
照りつける太陽が青空に浮かぶ頃
2人は、ゆったりと歩き始めた。
ミドガルドに来た機会は少ないが、ゼロという訳ではない。たまにエリカの買い物を手伝いやムジカの誕生日プレゼント選びに来たし、棚の上にあった猫のぬいぐるみもここで買った。
そのため、顔見知りは数名いる。
八百屋のベジル
「お、エミィじゃねぇか!大きくなったなぁ」
「べジルさん、こんにちは。」
「あぁこんにちは!」
獣人族のなかでも狼人と呼ばれる人。名前の通り狼の耳と尻尾、鋭い牙がある。獣人族の中でもずば抜けて戦闘に優れた一族らしく、夜目が効くので隠密にも向いているとか。
好きな食べ物はイチゴ。
(まんま狼だったら分かるんだけど、人の形になると犬と判別できないんだよなぁ)
続いて肉屋のミータ
「エミィちゃん、昨日誕生日だったんでしょ?おめでとう!」
「ありがとうミータおばさん。」
獣人族、兎人。
大きな耳と短い尻尾。ウサギの獣人である。
怒ったら物凄く怖いらしいが、見たことがない。
続いては花屋のビー
「あ、エリカさんにエミィちゃん。今日はどうしたの?」
「お散歩。たまにはいいかなって思って」
若く優しく、余裕のある佇まいに加え、花がなくても花を背負っているような整った顔立ちから、女性から人気がある。
「そうだったんだね、普段あまり見かけないからどうしたのかと思ったよ。」
ビーが微笑むと、背後から女の人たちの黄色い声援が聞こえた。
(…何も感じない私はおかしいのか…?)
エリカも全く顔色を変えていなかったので、自分の感性は正常であることを確信した。
「あ、そうだエリカさん。最近新しい花の種を仕入れたんだ。今度見に来る?」
「え、本当?是非見てみたいわ!」
2人は花好きという共通点があり、休日になるとたまに2人で花について語り合うのだ。互い特別な感情があるのか、と言えば無い。
最後に王国騎士団・南部拠点
その門前に居るゴンガーとデット
「…」
「お、ムジカんとこの奥さんと娘さんじゃないっすか!」
「「こんにちは〜」」
体が大きくて寡黙な方がゴンガー。
明るくいつも話しかけてくる方がデット。
2人とも見習い騎士の時からの仲で、ムジカと同期生だ。
これは父から聞いた話なのだが、私がまだ赤ちゃんの時、ゴンガーを見た瞬間ギャン泣きしたらしい。
「ムジカなら壁外調査に行ってますよ?」
「あぁいえ。偶然通りかかっただけで、ムジカに用はないんです。」
「あそうだったんすか。んじゃ散歩か!」
「はい。たまにはお母さんと息抜きしたいなって思って。」
「いいね〜。ご存知の通り、ミドガルドは最高の都市なんで。ゆっくり楽しんでください!」
「はい、ありがとうございます」
「あ、あと!最近ちょっと治安悪いんで、気ぃつけといてくださいね。」
「えぇ、ありがとう」
振り返るとデットがまだ手を振っていた。その少し奥でゴンガーも小さく手を振っていた。2人は顔を見合わせて笑い、手を振りかえす。
そうして、また進み出したのだ。
しばらく歩いて、これまで行ったことのなかった場所も行った。
狭い路地裏を通り抜けた先にある猫の集会所。
紅茶とケーキが美味しかったカフェ。
立派な噴水がある中央広場では男女のペアが音楽を奏でたり踊ったりしていた。他にも、つぎはぎだらけの服を着た子供が花を売っていて、冒険者と思われる男は外で見たもの知ったものを興味津々に聞く人たちに語っていた。
「楽しかったねぇ」
「うん!」
途中までただ眺めていただけだったのだが、いつの間にか出し物を見て、花を買って、話を聞いていた。ただただ楽しくて、気付けば笑顔になっていた。
「ここに来て本当に良かった!」
その言葉を聞いたエリカはフッと笑う。そして、少し乱れたエムブラの頭を撫でた。
「よかった、喜んでくれて」
照れ隠しに帽子のツバを掴んで深く被った。顔は見えていないが、温かい眼差しで見てくるのを感じてムッとした顔でエリカを見た。
噴水の音と花の香りがする広場で休憩する。
履き慣れた靴だからと言って、長時間歩いていれば足に疲労が溜まる。エムブラが近くのベンチに座っている間に、エリカはすぐそこにあった出店で飲み物を買い、エムブラに渡した。
「ありがとっ」
「い〜え〜」
先程のことをまだ根に持っているエムブラは、ムッとした表情のまま飲み物を口にした。甘酸っぱくて冷たい、果物のジュースは疲れた体によく染みた。
「おいし…」
「青りんごのジュースだって。美味しいねぇ」
「うんっ」
一息ついて、空を見上げた。
そしてゆっくりと瞼を閉じて視覚から得られる情報を全てシャットダウンする。すると、音が聞こえてきた。最初はざわざわしていたが、やがてハッキリとし始めた。
風が吹いている。
誰かが走っている。追いかけっこしてるのかな。
水が落ちる音。噴水をしっかり見たのは今日が初めてだった。迫力あったな。
ギターの音。女の人、ダンスが上手だった。
そして
「きゃああああああああ!!」
悲鳴。
驚いて飛び起きた。
何が起こったのか分からず、横に座っていた母を見る。緊張と恐怖。
エムブラの手を強く握って離さないエリカは、珍しく険しい表情のまま、一方を凝視していた。
(なに、何が起こったの?)
母の視線を追って、声の主を目視で確認する。
「近づくんじゃねぇ!俺から離れろ!!」
「誰かっ、誰か助けてぇ!」
剣を片手に振り回している男が、先程踊っていた女性を人質に、威嚇していた。
少し離れたところには複数の王国騎士がいて、中にはゴンガーとデットもいる。
「…!」
デットは噴水の近くで腕を切られて蹲っている男に気付いた。武器を振り回す男を刺激しないように負傷者に接近し、携帯していた包帯で応急処置をする。
「いてぇ…いてぇよぉ…!」
「落ち着け、この程度じゃ死なねぇから…っ」
ふと視線を感じて振り返ると、少し離れたベンチに座っているエムブラと目があった。一瞬険しい表情をするが、すぐに笑顔になってエムブラの目をまっすぐに見た。
「大丈夫」
エムブラの不安を感じ取ったデットは、そう言ってピースサインをした。
応急処置を終えたデットとゴンガーは目を合わせた。小さく頷くと、ゴンガーはブツブツと何かを唱え始める。その間、デットが武器を捨ててゆっくりと男に歩み寄った。
血走った目でデットを睨む男は、剣先を人質の女からデットに向ける。
「よう、おっさん。ちょっと落ち着いて世間話でもしようぜ。」