テラーノベル
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「楽しみにしてたから……ちょっとだけ拗ねてます」
拗ねている理由は実際には違う。
だけど、それを素直に晴永に問いかける勇気は、今の瑠璃香にはなかった。
「……ほんとに……すまん」
申し訳なさそうに紡がれる言葉がどう考えても誠実に思えて、胸の奥がじわりと痛む。
昼間見た光景は嘘だったんじゃないかと思いたくなる。
だけど……。
瑠璃香はどうしても素直になり切れなかった。
「お風呂、入ってきます」
「ああ……」
晴永には、キッチンを片付けている間に先に入浴を済ませてもらっている。
誤解かもしれないと思いながらも、どうしても同じ空気をまとったままそばに居られるのが、少しだけ辛かった。
風呂の中で、瑠璃香はずっと考えていた。
今夜は自室に下がらせてもらおう、と。そのための言い訳を――。
風呂あがり、そそくさと自室へ引っ込もうとしたら、背後から声がかかった。
「瑠璃香」
振り返ると、すぐそばに晴永が立っていた。
少しだけ迷うような間のあとで、ゆっくりと抱きしめられる。
それだけで身体が反応してしまう程度には、晴永との〝行為〟に慣れてしまっていた。
熱っぽく瑠璃香を見下ろしてくる視線の意味が、嫌でも分かってしまう。
いつもなら、自然に受け入れられていたはずの、大人の恋人同士としての、愛情表現――。
いつもキスから始まる大人の駆け引き。それを分かっていて近付いてくる晴永の顔から思わず顔を背けると、瑠璃香は小さくつぶやいた。
「……ごめんなさい」
気づけば、晴永の唇に掌を押し当てるように拒絶しながら、言葉が出ていた。
自分でも驚くくらい、はっきりと。
「今日は……ちょっと、体調が良くなくてしんどいので……」
言い訳みたいに続ける。
嘘だと自分で分かっているから、視線を合わせることができない。
「自分の部屋で、寝てもいいですか?」
静かな沈黙が落ちる。
偽りだと見抜かれてしまいそうで怖くて、顔を上げられなかった。
「……大丈夫か?」
なのに、晴永の声は、どこまでも優しかった。伸ばされた晴永の手に、額をやんわり触れられて、瑠璃香はキュッと唇を噛み締める。
責める色は、どこにもなかった。
「ゆっくり休めば……大丈夫だと思います……」
「分かった。無理だけはするなよ? 何かあったら遠慮せず、すぐに俺を起こせ」
ただ、それだけ。
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
瑠璃香はこくっと頷くと、うつむいたまま、
「……おやすみなさい」
小さく言って、背を向けた。
晴永は昼間、藤井田令嬢と会っていたことを――やっぱり、隠すつもりなんだろうか。
どう考えても酷いことをされたのは自分のはずなのに――、瑠璃香は自分の方が晴永に酷いことをしている気持ちにさせられてしまう。
自室へ入り、扉を閉めた瞬間、力が抜けた。
這うようにベッドまで行って、布団へ顔を突っ伏すようにして、ギュッと布地を握りしめる。
(……どうして?)
晴永は優しい顔をして、瑠璃香に隠し事をするんだろう。
昼間の光景が、フラッシュバックする。『千紗さん』と許嫁のことを呼ぶ、晴永の親しげな声が脳内にこびりついて離れない。
あの呼び方。
あの距離感。
自分が知らないところで、築かれていた時間。
(……分からない)
ぽろり、と涙が落ちた。
声を殺したまま、肩だけが小さく震える。
誰にも聞こえないように……瑠璃香はひとりで、静かに泣いた。
コメント
3件
そう思いたい!!
これ、本当にはるながくん、何もしてない…とかじゃないのかな?
読了しました。このエピソードで印象的だったのは、瑠璃香が「酷いことをされたのは自分のはずなのに、晴永に酷いことをしている気持ちになる」という逆転した心情の描き方です。正しさと感情が一致しないもどかしさが、伏線として機能している。晴永の優しさがかえって距離を生む構造は、よく練られていると思います。次が気になりますね。
#夢
凪川 彩絵