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#子育て
都築七美
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朝から、けたたましい泣き声がリビングに響いていた。
佐伯美咲は一歳の息子・遥斗を片腕で抱き、もう片方の手で朝食を用意していた。食卓にはトーストとスクランブルエッグ、サラダ。遥斗用のヨーグルトも並べてある。
「昨日も取引先と会食でさ。帰ったら、もう日付変わってたんだよ」
夫の慎はスーツ姿で椅子に座り、スマートフォンを眺めながらコーヒーを飲んでいた。
「……うん。お疲れ様」
美咲は遥斗を椅子に座らせ、ヨーグルトをすくう。
「遥斗、あーん」
けれど、遥斗はぷいっと顔を背けた。
「美咲もさ、専業なんだし、昼間にちょっと寝ればいいじゃん」
「……寝れないよ。遥斗がいるから」
「そういうもん?」
慎は軽く肩をすくめる。
「まあでも、家にいられるんだから気楽だろ? 俺の方がプレッシャーすごいしな。営業数字、今月ヤバいんだよ」
(家にいられるから、気楽……)
「家のことは任せてるからさ。ちゃんとやりくりしてくれれば、それでいいから」
(任せてる、ね)
(丸投げのくせに)
遥斗がまた泣き出した。
それでも慎は気にする様子もなく、トーストを口へ運ぶ。
「じゃ、行ってきまーす」
玄関のドアが閉まった。
あとに残ったのは、遥斗の泣き声と、少し焦げたトーストの匂いだけだった。
*
広告代理店の営業フロアでは、朝から電話とキーボードの音が飛び交っていた。
ホワイトボードには、《今月達成率72%》の文字。慎は会議資料を確認しながら、若手社員へ声をかける。
「これ、提出期限は今日中だからな。明日はないぞ」
「はい!」
「クライアントは結果しか見ない。“頑張りました”“忙しかった”なんて言い訳にならないからな」
慎は売上グラフへ視線を戻した。
(結局、家でも会社でも段取りがすべてだ)
(うまく回せないのは、要領が悪いだけだろ)
*
夕方、慎が帰宅すると、散らかったリビングが目に入った。
畳まれていない洗濯物に、床いっぱいのおもちゃ。シンクには洗い物が積まれている。
「……一日中、家にいたんだよな?」
キッチンから振り返った美咲は、髪が乱れ、エプロンにはヨーグルトの跡がついていた。
「ごめん。遥斗が昼寝しなくて……全然片付けられなくて」
「家にいるのに片付けもできないって、どういうこと?」
「私だって一日中動いてたよ」
慎は大きくため息をついた。
「美咲は要領が悪いんだよ。だからさ、せめて“妻”の仕事くらいはちゃんとやれよ」
美咲の表情から、すっと感情が消えた。
そのとき、遥斗がまた泣き出した。
「遥斗、そんなに泣くなって。ほら、ニーチューブ見るか?」
「ちょっと! 寝る前には見せないようにしてるのに……」
「たまにはいいだろ」
タブレットを渡すと、遥斗はぴたりと泣き止んだ。
その画面に、一通のメールが表示される。
「……人生、交換?」
「何?」
慎がタブレットを取り上げた。
件名:《あなたの人生、少しだけ交換してみませんか?》
必要なあなたに、痛みを知る時間を――
Reプログラム体験を開始します。
「なんだこれ。スパムか?」
慎は迷うことなくメールを削除した。
「風呂入ってくる」
浴室へ向かう慎を、美咲は黙って見送った。
*
その夜、遥斗を寝かしつけた美咲は、ふと思い出してタブレットを開いた。
削除フォルダには、あのメールが残っている。
「……人生、交換」
隣では、遥斗が小さな寝息を立てていた。
「本当にそんなことができたら――」
美咲は自嘲するように笑い、画面を閉じた。
「……なんてね」
*
その頃、慎も一日の疲れに負けるように眠りへ落ちていた。
その瞬間、視界が白く弾ける。
『ようこそ、反転した世界へ』
「……は?」
『痛みを知らぬ者に、痛みを与える。それが、この世界のルールです』
*
翌朝。
慎が目を開けると、隣に遥斗が眠っていた。
「……なんで遥斗がここにいる?」
寝室のドアが開き、スーツ姿の美咲が入ってくる。
「おはよう。そろそろ行ってくるね」
「行くって……どこに?」
「出張だよ。今日から一週間」
「出張……?」
「前から言ってあったよね」
慎は混乱したまま美咲を見つめる。
「なんで美咲が……」
「なんでって」
美咲は当然のように答えた。
「私が外で働いて、あなたが家のことと遥斗の世話。そういう約束でしょ?」
「は? 俺が……専業主夫?」
美咲は少しだけ笑った。
「“家のことくらい、要領よくやれば余裕だ”って言ったの、あなたじゃない」
慎が言葉を失った、そのとき。
遥斗が目を覚ました。
「うわあああああん!」
「おはよう、遥斗。ママはお仕事行ってくるね」
「ちょ、美咲――」
「じゃ、あとはよろしくね」
ぱたん、と玄関の扉が閉まる。
慎はベッドの上で、泣き続ける遥斗と二人きりになった。
(嘘だろ)
(夢じゃないのか……?)
*
リビングへ出ると、シンクには昨夜の食器、床にはおもちゃ、ソファには畳まれていない洗濯物が残っていた。
その間を遥斗がよちよちと歩いている。
「美咲が出張……俺が専業主夫……」
スマートフォンが鳴った。
《Reプログラム ~今日のToDoリスト~》
朝食を用意する。
オムツ替え&着替え。
洗濯。
公園で子どもと遊ぶ。
昼食を用意する――。
「……ToDoリスト?」
慎は画面をスクロールし、鼻で笑った。
「書いてある通りにやればいいだけか」
一時間に一つ片づけたとしても、余裕で終わる。
「仕事より楽って、証明してやるか」
――その考えが甘かったことを、慎は一時間もしないうちに思い知ることになる。
コメント
1件
うわあああ!都築七美さん、第4話めっちゃ良かったです😭💕 慎の“家にいるんだから気楽だろ”発言、読んでてムカムカきたけど、まさか「人生、交換」で立場逆転するとは!!美咲の「私が外で働いて、あなたが家のこと」って台詞、めっちゃスカッとしたよ〜🙌✨ 慎がToDoリスト見て余裕ぶってるところで終わったけど、あの後どれだけ苦戦するのか想像しただけで笑っちゃう(ごめん)。ワンオペ育児の大変さを身をもって知る展開、続きが気になりすぎます!次のエピも楽しみにしてますね🌸