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彼女は自分の嫌な気持ちを込め易い性格でしたから、心から来る記憶の病は自分の責任として認めてもいた。そこから努力の半分が苦しいんだよね、と先生から言われても、半分は遺伝子が起因だとして知っていたから、精神科の先生には投薬を続けよう、と思われていました。苦しんだとしてもそれが自分なりの閉じこもった生活であり、愛情の断片を見直せればなと半ば思い、過去の記憶が悪いものだけじゃないんだなと改めて見直せる時期は来るからと、いつか誰かが助けてくれるからと信じていた。だから、そこから先生からの薬は自分で動かさないでと言われていた。自分のしてしまった投薬治療法は子供の発想だともいつしかわかり出していました。先生方との診察で自分なりの選択肢で子供でいようとした面が表れていたから、先生方も口を閉じていた。心に残ら無いように病気としての寒さ、その気持ちは心の風邪の流れを軽んじていて、薬の自己操作をしないでいる事に心地好さを保つようにしていた。それが薬に対する心の常識とも思っていた。たとえ親が亡くなっても生きていてもそれは続くのかなと思っていた。そんなショッキングな考え方だから特殊な気の持ちようを一時的に身に付けなくてはならなかったし、いずれ悪い方へ発想を展開する性格の上の癖は消さなくてはならなかった。
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