「……ねぇ、なんなのホント。そんなに人肌恋しいんなら、そっちの知り合いでも紹介してあげようか? 学はないけど、顔はカワイイよ」
「……お前の女か」
「仕事仲間だよ」
苦笑しながら結月は長い髪を片側へ寄せ、顎先を上げて仁志を見遣る。
「チャック、下ろしてくんない? いい加減脱ぎたい」
仁志は一瞬、戸惑ったように瞳を揺らしたが、小さく嘆息すると渋々腕を引き、結月の背面へ視線を落とす。
ジー、という鈍い音だけが部屋に響き、その音の作り出す違和感は見ないふりをして、離された手に結月は寝室へ向かった。
開け放ったままの扉からギシリと軋んだ音が届く。仁志がソファーに腰掛けたのだろう。
(……やっぱり、こない、か)
って、何を気落ちしてるんだろね、おれは。
結月は浮かんだ思考に自嘲しながら装飾品を外し、ドレスやら補正下着やらもを脱ぎ捨て、ベッドの上に放った。
男性モノの下着一枚の姿で鏡台へ向かい、ボックス型のメイク落としシートから一枚を取り出し、丁寧に顔を拭っていく。汚れたら、もう一枚。造った顔を戻すのは、それなりに骨が折れる。
不意に、そっと流れ込んできた低音が、静かに空気を揺らした。
「……いつからこの仕事をしている?」
「……手伝うようになったのは十四くらいかな。『師匠』に拾われたのはもっと前だけど。ちゃんと『仕事』をさせてもらえたのは、十八くらいから」
「……そうか」
寝室の隅に積んでいた適当な半袖半ズボンを身に付け、結月はリビングへと戻った。
思った通りソファーに腰掛けていた仁志は、スーツの上着をダイニングチェアの背に掛け、ネクタイも外し、シャツにベストというリラックスした格好で長い足を組んでいた。
外では見せない気の抜いた姿に、結月の心臓が小さく跳ねる。
気付かず立ち止まっていた結月に、仁志が「……座れ」と隣を叩いた。
ソファー前に置かれたローテブルの上には、示された空席の主を待つかのように、グラスが一つ置いてある。
先程、結月が逸見に抱きついている最中、用意してくれていたのだろう。
やっぱり仁志のこうした気遣いは新鮮だなと、結月は胸中に湧き出たむず痒さに苦笑しながら隣へと腰掛けた。
と、それを合図に、仁志が立ち上がる。どうしたのかと視線で追うと、仁志は結月の前で膝をつき、片足を持ち上げて柔く揉み始めた。
(……マッサージ? だよね)
有名社長が裏稼業の人間に膝をつき、あまつさえその足をマッサージしているなど、社員が知ったら卒倒するに違いない。
「……なに、同情したの? そーゆーのいいんだけど」
小馬鹿にするようにクツクツと結月が笑うも、仁志は顔を上げる事なく熱心に足を揉み続ける。
「違う。お前はお前の意思でこの仕事をしているんだろ。同情の余地などない」
「……んじゃコレは?」
「労いだ」
「おやさしーご依頼主様で。ついでに『涼華』のお役目がご免蒙れば何よりなんだけど?」
「それは駄目だ」
即答か。
「……そりゃまた随分お気に召したようで」
「……そうだな」
(あ、肯定しちゃうんだ)
結月の心臓がチクリと傷む。
なるほど。仁志は『涼華』を気に入ったらしい。だからこうして、『結月』に優しく接するのだろう。
結月の姿に、『涼華』の影を重ねて――。
(……でも、さぁ。『涼華』がおれなんじゃなくて、おれが、『涼華』なんだけど)
似ているようで、全然違う。その実をどちらとして捉えるかで、見ている姿は変わってくる。
仁志が優しく触れる度、結月の胸中に、灰色の暗雲が立ちこめていく。
この行為も、本当の所は『結月』への労いではなく、『涼華』への奉公ではないのか。
そんな考えが過ぎり、結月は弾かれた可能性に密かに息を詰めた。
(……もしかしておれ、コイツの事、好きになっちゃった?)
触れられる事に嫌悪はない。自身を映してもらえないと、苛々する。
共に有る空間を自然だと感じて、その体温を、居心地が良いと求めてしまう――。
気付いてしまえば、そうとしか思えなくて、だからこそ結月は落胆した。
やってしまった。一番ダメなヤツだ。よりよって『客』を、好きになるなんて。
同じ裏稼業の人間なら、まだ希望もあったかもしれない。だが彼は、紛うことなき『表』の人間だ。
光と影は交えない。彼には彼の、突き進むべき明るい未来がある。
(……それに)
なにより、結月は数えきれない程、抱いて、抱かれている。気持ちを伴わない、ただの道具として、幾度も、幾度も。
――汚い身体。
(馬鹿だなぁ、おれ)
『だから散々、忠告したでしょう』と、腕を組んで目尻を釣り上げる『師匠』の姿が脳裏に浮かぶ。
ごめんなさいと胸中で告げて、結月は目奥の熱がそれ以上登ってこないよう、そっと瞼を閉じた。
どうせ、黙っていても、契約が終われば彼との繋がりもなくなる。ならば、今の間だけでも。
「……どうかしたか」
止まった手。瞼を持ち上げると、伺うような仁志の瞳が真っ直ぐに向けられていた。
仁志のこの綺麗な目は、結月のお気に入りだ。
結月がここから去った後は、別の誰かを、その双眸に熱く閉じ込めるのだろう。
「……気持ちよくって、眠くなってきた」
「……寝る前に、風呂に入れ。せっかく逸見が準備してくれたんだ」
「わかってるって。……でも、お願い。もう少しだけ、やって」
「…………」
甘えたような声を出すと、仁志は探るように結月を観察した後、無言のまま視線を落とし手の動きを再開した。
いっつも人の話しなんてちっとも聞いてくれなくて、自由気ままに翻弄するくせに。不意にこうやって甘やかされると、クセになってしまいそうだ。
自覚した想いが溢れないよう綺麗に包み込みながら、未だ残るホワホワとした感覚に、結月は泣きそうになるのを静かに堪え続けた。
けれどもこうして大人しくしているのも、『らしく』ないだろう。
からかい半分に「ン……やっ、それ、キモチっ」と態とらしく艶めいた声を上げたら、親指の腹で痛い部分を思いっきり押された。
「いったい!!」
「お前が悪い」
こうしてふざけ合える時間も、たまらなく、好きだと思った。
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