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ツトムの入居歓迎会の参加者は以下。
ラ・コンナートでの業務を終えたホール担当の島田タクミ、百瀬あかね、ホベルト・ソウスケ、ピザキッチンの五十嵐真由。
そして洋菓子店クリームフレーシュのパティシエ神谷ひさしと、電車車掌の沖田圭一郎。
リビング中央の8人掛けテーブルには、五十嵐真由が焼いたピザが3枚と、デリバリーで届いたばかりの豪勢な中華オードブルが並んでいる。
肝心の時夫は、閉店後すぐに外出してしまったらしく、不参加となった。
百瀬あかねの話によると、時夫がこうした宴会に参加したことはこれまで一度もなかったらしい。
時夫との話し合いを望んでいただけに残念な運びとなったが、歓迎会で積もる話などできようはずもない。
時夫とはいずれゆっくりと場を設けるほうが、かえって有意義なのではないかとツトムは考えた。
「沖さん、乾杯の音頭よろしく」
シェアメイト全員の手にはお酒が渡っている。
「ツトムさんとのお近づきのしるしに、みなさま盛大な乾杯と参りましょう」
沖田圭一郎が、喜悦の表情を浮かべながら両手を広げた。
ツトムを除く全員が、予定していたかのように、グラスを掲げて立ちあがった。
「すごいものが見れるよ」
百瀬あかねが肘でツトムをつついた。
「すごいもの?」
「うん、ビッタ」
「よろしければツトムさんも、ご起立願えますでしょうか」
沖田圭一郎が言った。
「あ……はい」
ツトムもグラスをもってすぐに立ちあがる。
リビングはまるで決起集会のような様相だった。
その中心に立つ沖田圭一郎は、自己陶酔を隠せないでいる。
ゴクリ。
これから披露されるであろう沖田の能力に、ツトムは生唾を飲んだ。
「ツトムさんも他のみなさまがなさる通り、あとにおつづきください」
沖田圭一郎はそう言ってグラスを高々と掲げた。
ツトムは一挙手一投足を見逃すまいと、空いた手を眉間に当てた。
「それではツトムさんのご入居を祝して乾杯!」
沖田の掛け声が響いた。
同時に、シェアメイトたちは手にするアルコールを口に運ばずに、一斉に沖田圭一郎に浴びせかけた。
ワインやビールや焼酎が、牙をむいた肉食動物のように沖田に襲いかかった。
「ツトムくんもかけて」
百瀬に押されるように、ツトムも恐る恐るビールを沖田圭一郎に放った。
宙を舞う酒が沖田に覆いかぶさり、シェアメイトたちは歓声と悲鳴の声をあげた。
「みなさま、誠にありがとうございました。盛大な拍手をお願いいたします」
大量の液体を浴びたはずの沖田圭一郎が、全身を濡らすことなく立っている。
羽織ったカーディガンも、やがて朽ち果てる頭髪も、まったく濡れていない。
「ツトムくん。ご入居、ありがとう!」
シェアメイトたちが、アルコールのなくなったグラスを掲げながら声を揃えた。
大量の酒を浴びたはずの沖田圭一郎は、唇の端を釣りあげたままツトムを直視している。
「沖さん、すぐトイレいったほうがええんとちゃうか」
ホベルト・ソウスケがトイレを指さして言った。
「それではみなさま。わたくしは、しばしおいとまさせていただきます」
沖田圭一郎が深々と頭を下げてリビングを離れた。
「それじゃ、かんぱ~い!」
シェアメイトたちは、グラス同士を重ねる本来の乾杯をはじめた。
「どうだった?」
島田タクミがワインを傾けながら言った。
「あれが沖田圭一郎のビッタだ」
沖田の能力に触れたツトムの反応を伺おうと、全員の視線が集まっている。
「驚きました……。ただうまく状況が飲み込めていないのですが、沖田さんにかかったアルコールは蒸発したんですか?」
「蒸発ではなく、すべて沖さんの胃のなかに移動したんや。
すぐトイレにむかったんは急性アルコール中毒にならんためで、いまごろ喉に指突っ込んで、便器にすべてをぶちまけてるとこやろな」
ホベルト・ソウスケは口を開け、指を口に突っ込む仕草をした。
「衣服もまったく濡れてませんでした」
「沖ちゃんね、体にくっついた液体をぜんぶ胃のなかに引き込むから、服についた水分もなくなるんだよ。雨の日とかも濡れないんだってさ。うらやましいよね」
百瀬はそう言って、オードブルのなかから中華風たまご焼きを選んで口に放り込んだ。
「雨なんか吸収したら、体に悪影響じゃないの?」
「んとね。それについてはなんか言ってたけど、ぜんぶわすれちゃった。
沖ちゃんて話し方が丁寧すぎて、逆に内容が入ってこないんだよね」
「本降りの雨は良質だから吸収してもいいけど、降りはじめの雨は大気中の汚れが付着してるからヤバいんだってよ」
と島田タクミが言った。
「ちなみにやねんけど、酸性雨にやられたような頭髪は、雨のせいじゃなくて単なる遺伝なんやとさ。皮肉なもんやでほんまに。
最初にビッタ見せてもらったとき、思わず髪の毛も吸収したんですかって聞きそうになったわ」
「降りはじめの雨を吸収しちゃいけない……。
ってことは、けっきょく本降りになるまでビッタが使えないんですよね。どのみち雨には振られてしまうわけですね」
「そんなことはないさ」
と島田タクミは言った。
「建物をでるときにすでに本降りだったら、駅まで濡れずにたどり着ける。
でも胃に溜まった雨を駅のトイレで吐かなきゃなんねーから、濡れたほうがマシだとオレは思うけどな」
沖田圭一郎の能力が一体どこに使えるものなのか、ツトムには見当もつかない。
「ツトムくん。沖田さんって、どうしてあんなに丁寧に話すか知ってる?」
それまで静かにワインをたしなんでいた五十嵐真由が口を開いた。
「職業病のようなものですか? 電車の車掌さんなので」
「ちがうのよ。ひさしさんからの又聞きになるけどいいかしら」
五十嵐真由はホイコーローを食べる神谷ひさしに視線を送った。
「真由さんが話すほうが、ツトムくんもありがたいだろ」
と島田タクミが言った。
「た、しかにそうで、すね」
神谷ひさしが口内にあふれるホイコーローの隙間から声をしぼりだした。
「沖田さんのあの口調はね、すべての人に平等に接するためなんですって。もっとも謙虚でもっとも丁寧な言葉遣いは、人を選ばないというのが彼の持論よ」
「たとえばカジュアルでの出勤がオッケーな会社に、いつもスーツ着てくるヤツっているだろ。それとおなじだよ」
「意味わかんないんだけど?」
百瀬が言った。
「それってじつは、誰にもなんにも言われないもっとも保守的な格好だってことだ。いちいち服を選ばなくていいし、他人からファッションについてとやかく言われるリスクもない。印象も悪くないうえに、急なパーティーにも即時対応ができる」
「そういう意味ね。あっ、沖さん、おかえりー」
百瀬はトイレからもどる沖田圭一郎に手を振った。
リビングへと歩いてくる沖田は、乾杯からたった3分ほどで千鳥足になっていた。