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「旦那さんが急に優しくなった? それでどうして困るのよ、いつものアンタなら喜んでるはずなのに」
「……そうよね、確かに麻理の言う通りなんだけど」
麻理は私の小学生時代から続く友人で、岳紘さんに私が長く片想いしていたこともちゃんと知っている。だからこそ、彼女は私がこう言う時どんな反応をするのか分かっているのだけど。
……そんな親しい友人の彼女にすら、私は今の夫婦の状態を話せずにいたから不思議に思われても仕方ない。
「なんだか煮え切らない様子ね、もしかして旦那さんと何かあったの?」
「そう言うわけじゃないけれど」
言えるわけない。ずっと彼だけを思ってそばにいたのに、その相手に他の男性に目を向けるように勧められているなんて。そんな残酷な話を麻理に聞かせたら、彼女は夫のところまで文句を言うために突撃しかねない。
話して楽になりたい気持ちもあるが、まだ私はそれを麻理に伝える勇気がなかった。
「……急に恋人や配偶者が優しくなるのは、浮気している罪悪感から。なんて話も、雑誌で読んだけどまさかあの岳紘さんに限ってねえ?」
「浮気、罪悪感……」
麻理の言葉が私の胸にぐさりと刺さる、思い当たることが多すぎて頭がグラグラしてきた。そんな私の様子に先ほどまで明るかった麻理の様子が一瞬で変化した。
彼女の真剣な視線が、私の中にある迷いも苦しみも全て知ろうとするかのようにじっと向けられる。
「……本当に、そうなの?」
本当のことが言えたらどれだけ楽になるだろう? それでもちっぽけなプライドと見栄がそうはさせてくれなかった。
「そんなはずないでしょ? 麻理はそうやってすぐに物事を大袈裟にしようとするんだから、それで何度も怒られてるんじゃないの」
「う、それはそうだけど……」
昔の話を引っ張り出して、上手く誤魔化せたと思う。痛いところを疲れた彼女は、それ以上は岳紘さんのことについて聞き出すことを諦めたようだった。
……こうして、親友のはずの麻理にまた隠し事が増えていく。
もし全てが彼女にバレてしまったら、今の私と麻理の関係も崩れてしまわないかとても不安だった。そんな私の気持ちを見透かしたように、麻理は真面目な表情で――
「私は怒られてもいいのよ、雫の力になれればそれで。だから……私の助けが必要な時はちゃんと呼びなさいよ?」
「麻理……」
もしかしたら麻理には私が言えないでいる秘密もなんとなく気付いているのかもし得ない。私と岳紘さんの夫婦仲についても、いつも当たり障りのない会話だけしかしないでいてくれてたから。
このままでは我慢出来ず全てを話してしまうかもしれない、そう思い私は話題を変える事にした。
「そういえば……麻里も覚えているでしょう? 後輩の奥野くん、彼と駅近くの喫茶店で会ったのよ」
「奥野君て、あのお調子者のぽっちゃりくん?」
麻理の記憶の中に残る奥野君のイメージはやはり私の持っていたものとそう変わらなかった。だけど、それは昔の話で今の彼は違う。
「それがね、別人かと思うほど奥野君は見た目が変わってて……」
「ええー、それホントぉ?」
興味のある話だったのか、奥野君の話題に麻理は興味津々のようだった。話題がそれたことに安心したが、これはこれでなぜか複雑な気持ちになる。
もしかしたら麻理は奥野君に好意でも持っていたのだろうか? だが、すぐにその考えを頭から追い出した。思い出したのだ、奥野君の左手の薬指にはめられた指輪を。
「ええ、変わっていたけどそれはきっと奥野君に特別な相手が出来たからなのだと思うわ。あのプラチナのリングもきっとその女性と選んだのでしょうし」
「……結婚、してるの? 奥野君って」
麻理がショックを受けたように見えて、私は言葉のチョイスを失敗してしまっっと後悔しそうになる。今まで一度だって彼女からそんな事を聞いたことはなかったが、鈍感な自分が気づかなかっただけかもしれない。そう思ったのだが……
「うっそおー! 絶対に彼よりは早く結婚できると思ってたのに、こんなの信じられないわ」
「麻理、貴女ねえ」
真面目に考えた自分が馬鹿だったのかもしれない、麻理は昔からこういう性格だし奥野君に想いを寄せるなどあり得ない。呆れてしまって頭痛を感じていると、麻理が真剣な表情で私を覗き込んでいた。
「なに?」
「分かっていると思うけど、いくら変わっててもアイツに気を許してはダメよ」
何故? とは聞かなかった、なんとなく理由がわかってしまったから。今の奥野君はきちんとした相手がいるし、私にも岳紘さんという夫がいるのだ。
たとえどんなつもりで奥野君が私に声をかけたのだとしても、もう一度会いたいなんて思うわけにはいかない。