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ruruha
第六話 ②【見張られている夜】
部屋に入って最初に誉が思ったのは、
ツインでよかった
だった。
さすがにダブルベッド一台だったらどうしようかと思ったが、そこまで地獄ではなかった。
シングルベッドが二つ、窓は小さく、ユニットバスのある、ごく普通のビジネスホテルの部屋。
「狭」
シオンが言う。
「文句言わないでください。俺の部屋より広いです」
「それはちょっと悲しい」
「ほっといてください」
誉は鞄をベッドの上に置き、ようやく大きく息を吐いた。
とにかく座りたい。横になりたい。
でも今はまだ無理だろう。
ノックのあと、相良が入ってきた。
手にはコンビニの袋を持っている。
「軽食です。食べておいてください」
「気が利く……」
誉が素で呟くと、相良はわずかに肩をすくめた。
「夜食がないと話が進まない顔をしているので」
「それは本当にそうです」
袋の中には、おにぎり、サンドイッチ、ペットボトルのお茶。
誉はそれだけでちょっと救われた気がした。
「では」と相良。
「ここから、改めて整理します」
誉はベッドの端に座り、シオンは壁際に立ったまま、相良に向き合う。
「まず、現時点で確定に近いこと」
相良は指を折る。
「一つ。秋山圭介さんは、シオンさんに執着していた。特に“本名”や過去のバンドに関わる部分に」
「はい」と誉。
「二つ。秋山さんは高瀬晃一という人物と接触していた可能性が高い」
「……はい」
「三つ。北松さんは偶然巻き込まれたように見えて、秋山さんや高瀬に認識されていた」
「そこが一番嫌です」
「でしょうね」
相良は淡々と続ける。
「四つ。ロッカーにあったものは本命ではなく、監視記録、脅し、あるいは受け渡し確認用の副次資料である可能性が高い」
「本命は紙袋、ですか」と誉。
「可能性はあります」
「ホームでコートの男の足元にあったやつ」とシオン。
「ええ。そして五つ」
相良は少し間を置いた。
「今夜、自宅前に現れた男と、新宿であなた方を見ていた男は、同一か、少なくとも同じ側の人間の可能性が高い」
誉は頭の中でそれを並べてみる。
線は少しずつ見えている。
でも、肝心の中心がまだぼやけている。
「……結局、何を狙ってるんですか。高瀬って人は」
誉が言うと、相良はシオンを見る。
「そこは、あなたの情報が必要です」
シオンは無言だった。
「高瀬晃一さんについて、もう少し話してください」
「……話したところで」
「話してください」
相良の声は低いが強い。
逃がさない種類の言い方だった。
シオンはしばらく窓のほうを見ていた。
カーテンの隙間から街灯の光が細く差し込んでいる。
やがて、諦めたように息を吐いた。
「昔、バンドやってた」
「それは聞きました」
「高校出てすぐくらいから。今のバンドじゃなくて、もっと売れそうで、もっと終わってたやつ」
「終わってた、とは」と相良。
「人間関係が」
誉は何も言わず、続きを待った。
「最初は普通だった。俺、ベース。高瀬、ギター。ボーカルとドラムもいた。小さい箱回って、たまに名前出て、調子乗って」
シオンの言葉は淡々としていた。
でも、その奥にうっすらと棘がある。
「で、売れかけた」
「売れかけた?」
「音楽サイトに取り上げられたり、ちょっと大きいイベントに呼ばれたり。ほんとに、ちょっとだけ」
「はい」
「そのへんから、高瀬がおかしくなった」
「どうおかしく?」
相良が尋ねる。
「自分が中心じゃないと気が済まなくなった。曲作りも、見せ方も、インタビューも。俺やボーカルが少しでも目立つと機嫌悪くなる」
誉は眉をひそめる。
ありがちな話なのかもしれないが、実際にその渦中にいた人間の口から聞くと生々しかった。
「それで」と誉。
「解散?」
「いや、その前」
シオンは壁に背を預けたまま、少しだけ目を細める。
「俺の本名、勝手に出した」
誉は息を呑んだ。
「……え」
「雑誌の取材かなんかで。“シオン”っていう名前の演出が嫌いだったらしくて、“こいつ本当は——”って、笑いながら」
部屋が静かになる。
「冗談っぽく言ったけど、俺には全然冗談じゃなかった」
「それで揉めた」と相良。
「めちゃくちゃ揉めた」
「どうしてそこまで本名を隠したいんですか」
誉はかなり慎重に聞いた。
聞かないほうがいい気もしたが、もうここまで来たら核心だった。
シオンは、すぐには答えなかった。
「……ダサいから」
「は?」
「いや、それだけじゃないでしょ」と誉。
「それもある」
「絶対それだけじゃない」
シオンは少し笑った。
でもその笑いは、いつものからかいとは違う。自分を先に雑に扱って、そこから先に踏み込ませないための笑い方だった。
「家のこととか、昔のこととか、全部その名前にくっついてる」
ぽつり、と言う。
「だから嫌だった。捨てたかった」
誉はその一言に、何も返せなくなった。
“捨てたかった”。
それはただの芸名の話ではない。
人生ごと、別の名前に乗り換えたかったみたいな響きがあった。
「高瀬は、それを知ってた」と相良。
「うん。だから面白がった」
「では、高瀬さんが今またあなたの“本名”にこだわる理由は?」
シオンは首を振る。
「分かんない。でもあいつ、昔からそういうとこある。人が隠してるもん見つけると、それが武器になると思うタイプ」
「最低ですね」と誉。
「でしょ」
その時、相良のスマホが震えた。
相良は短く失礼、と言って通話に出る。
「……はい。……ええ。……分かりました。写真、送ってください」
通話を切ると、表情が少しだけ変わっていた。
「何かあったんですか」と誉。
「秋山さんの所持品が追加で確認されました」
「ホテルで?」
「ええ。ベッドの下に、小型のICレコーダーが落ちていたそうです」
シオンが目を上げる。
「まだあんの」
「ええ。内容は今、鑑識が確認中ですが、先に一枚だけ共有された写真があります」
相良はスマホの画面を三人に見せた。
透明な証拠袋に入ったICレコーダー。
その横に、折りたたまれたメモがあった。
メモには、手書きで駅名が並んでいる。
新宿 中野 高円寺 阿佐ヶ谷
「中央線……?」と誉。
「たぶん」と詩織。
「西方面に向かってる」とシオン。
「これ、どういう意味ですか」
相良は首を横に振る。
「まだ分かりません。ただ、秋山さんが何かの移動経路、あるいは保管場所を追っていた可能性があります」
誉はハッとする。
「紙袋」
「そう」
「終電で受け渡しされる何かを追ってた?」
「可能性は高い」
相良はスマホをしまった。
「そして、その“何か”の確認役として秋山さんが動き、高瀬がそれを管理していた。北松さんが最初に異変を見たのは、その流れの一部だったのかもしれません」
「でも俺、ほんとに見ただけですよ」
「見ただけで十分なこともあります」
その言葉が重かった。
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