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【何もかもが愛しい】
「上がりました」
ほかほかと湯気の立ちのぼりそうな身体に、薄桃色のマタニティパジャマを身につけてリビングへ行ったら、宗親がソファのところで春凪を手招きした。
「さ、ここに座って?」
――一緒に入れないなら、せめて風呂上がりのケアくらいは僕にさせて?
そんなことを宗親に提案されたのは、お腹が目立ち始めた妊娠十七週頃のことだった。
ポコンとしてきたお腹を宗親に見られたくなくて、一人でお風呂へ入りたい!と訴えたら、その打開案として提示されたのがそれだった。
とはいえ、宗親はオリタ建設に戻ってから、帰りが遅い日が本当に多い。
こんな風に春凪の入浴時間――大体二十一時過ぎ――に帰宅できていることの方が珍しいくらいなのだけれど、それだけに早く帰れた日は絶対に世話を焼きたがるのだ。
「妊娠線のケア、ちゃんと出来てますか?」
タオルドライしただけのしっとりと重い春凪の髪の毛をそっと持ち上げながら、宗親が春凪の耳のすぐそばで問いかけてくる。
その声にゾクリと身体を震わせて、春凪はコクコクと懸命に頷いた。
「もっ、もちろんですっ。はづ……お義母さまオススメのクリームでしっかりたっぷり念入りにっ」
まだ葉月のことを〝お義母さん〟と呼び慣れていなくて、つい名前で呼びそうになって慌てて訂正しつつ、懸命に大丈夫アピールをした春凪だ。
その辺りをよく強調しておかないと、「出来ないようなら僕が」と宗親が言いかねないから。
それを知っている春凪は大袈裟なくらいバッチリ大丈夫だと言い張って宗親を苦笑させる。
「確認させて?って言っても、キミは嫌だって拒否るんでしょうね」
「あっ、当たり前です!」
それを見せられるぐらいならお風呂だって一緒に入……(そこは恥ずかしくて無理かも知れないけれど)、お風呂上がりに妊娠線ケアのボディクリームを塗り塗りしてもらうぐらいは出来ているはずだ。
正直前に大きく突き出したお腹のせいで、ここ最近は特に、下腹の辺りがちゃんとケア出来ているか不安だったりする。
だけど恥ずかしくて誰にも見せられない以上、大丈夫だと信じるしかないではないか。
「まぁもしも跡が残ってしまったとしても、僕は気にしませんから……。それだけは覚えておいて?」
やたら確信に満ちた宗親の表情を見ながら、春凪は思う。
(そればかりか、宗親さんっ。下手したら妊娠線の一本一本までも愛でかねないですよっ⁉︎)
と――。
「もうっ。怖いこと言わないでくださいよぅ。私は気にするのにぃー」
出来れば宗親に堂々と見せられるような、つるんとした綺麗な肌のままでいたい。
そう思って唇を尖らせたら「もしも、の話です。それに……そういうのも全部全部春凪が頑張ってくれた証でしょう? 愛しく感じないわけがないじゃないですか」とサラリと言うのとか、本当ずるい!と思って。
今のところ自然分娩で産む予定の春凪だけれど、もしも何かトラブルがあって緊急帝王切開に切り替わったとしても――。
宗親は下腹部に残った傷すらきっと、心の底から愛してくれるだろう。
春凪に酷いことをして、今でも刑務所暮らしをしている康平とは大違いだ。
***
「もし熱かったら手をあげて教えてくださいね」
そんな声とともに、ゴーというモーター音がして髪の毛に温風が当たり始める。
春凪のためだけに宗親が買って来た、高級ドライヤーの火付け役とも言われるD社製のドライヤーは、とにかくパワフルで速乾性が高い。
すぐに乾くから髪に与えるダメージも最小限に抑えられて、乾いたあとの髪の毛が艶々サラサラになる優れものだ。
宗親が春凪の髪の毛に優しく触れながら温風を当ててくれるのを頭皮に感じながら、春凪は極上の心地よさに包まれる。
ゴーというドライヤーの音は、何故か心落ち着く子守唄にも感じられて。
お腹の中の赤ちゃんも、春凪がリラックスしているからだろうか。
普段は結構ポコポコ蹴ってくるのに、今は嘘みたいに大人しくしてくれている。
ややしてドライヤーの音がしなくなって。
乾いたのを確認するように宗親の指先が春凪の髪の毛にゆるゆると触れた。
「サラサラになりました」
言いながら、なおもずっと春凪の頭を撫で続ける宗親の手指の感触が、ほんわかと心まで包み込んでくるようで、春凪はいつしかうつらうつらし始めて。
(だって宗親さんの手、すっごく気持ちいいんだもん)
「春凪?」
呼びかけられる声さえも春凪にとっては極上の旋律だったから。
ふわりと香ってきたマリン系の匂い――以前春凪がプレゼントしたもの――に包まれて、春凪はぼんやり夢見心地。
「宗親しゃ……」
ポツンと呂律の回らない口調で宗親の名前を唇に乗せて。
春凪はゆらゆらと船を漕ぎながら、「大好きれす」とふんわり笑ってつぶやいていた。
***
宗親はそんな春凪に一瞬だけ瞳を見開くと、春凪以外には決して見せない極上の笑顔を口の端に浮かべて。
「僕もキミが大好きですよ、春凪」
小さくつぶやいてから、春凪の髪にやんわりと口付けを落とした。
もうひと月も経たないうちに春凪のお腹の中の子供が産声を上げることだろう。
今のうちに春凪と二人だけの贅沢な時間を堪能するのも悪くない。
「少し仕事の量をセーブしないとな……」
自分はオリタの副社長である前に、春凪の夫であり、腹の子の父親なのだから。
宗親自身が幼い頃に感じたような寂しい思いを、自分の家族にはさせたくない。
すやすやと気持ちの良さそうな寝息を立てる春凪の寝顔を見つめながら、宗親はそんなことを思った。
END(2022/10/11)
コメント
2件
今納期に2人の時間を満喫してね!
わあ、もう臨月なんですね…!今回も本当に温かくて優しい空気が画面越しに伝わってきました。宗親さんの「気にしませんから」って台詞、逆にそれだけ春凪さんへの愛情が深いんだなって感じられてじーんとしました。ドライヤーをかけてもらいながらうとうとして「だって気持ちいいんだもん」って心で思う春凪さん、めちゃくちゃ可愛いです。もうすぐ家族が増えるんだなあと思うと、胸がいっぱいになりますね。
#契約結婚
鷹槻れん

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