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東蘭(1週間執事化)
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まだ日は昇りきっていないけれど、カーテンの隙間から差し込む光で、辺りはうっすらと明るくなっていた。
自分の部屋のベッドに腰掛け、ポケットから取り出した飴を口の中で転がす。
ほんのりとした甘さと、人工的なグレープの香りが口いっぱいに広がった。昔から、こうして飴を舐めているとなんだか心が落ち着いてくる気がする。
手持ち無沙汰にスマホを眺めていると、扉が開く音が響いた。
「あっ、おはよう」
顔を出したあっとさんが、俺に気づいて声をかけてくれた。
「……おはようございます」
「ん、グレープの良い匂い。何か食べてるの?」
「飴です。……要りますか?」
差し出した手のひらを見て、あっとさんは嬉しそうに目を細める。
「くれるの? ありがと」
あっとさんは包み紙を剥がして飴を口に放り込むと、俺の隣に腰掛けた。
「早起きだね」
「たまたまですよ」
「そっか。……あ、そうだ。せっかくだし、今度うちの店に来なよ」
そう言って、あっとさんがポケットから1枚のチケットを差し出してきた。見ると、カフェの割引券だった。
「友達も一緒にさ。みんなで美味しいもん食べにおいで」
「……ありがとうございます」
話を聞いていると、あっとさんは普段、そのカフェで働いていて、夜の間だけここの手伝いに来ているらしい。
「そろそろ下に降りよっか。みんな起き始める時間だし」
「わかりました」
1階に降りると、すでに何人かの人がいた。中には、制服を着た学生らしい子の姿もある。その子はカウンターで、ころんさんと楽しそうに言葉を交わしていた。
「あっちゃん、ロゼくん、おはよー!」
ころんさんが気づいて大きく手を振る。俺は小さく頭を下げて、軽く会釈を返した。
「そんなに緊張しなくていいよ。楽にしててね」
あっとさんにそう言われたものの、どう動いていいか分からず、俺は結局、すぐそばにある壁にそっと寄りかかって様子を見ることにした。
時間が経つにつれて、中はだんだんと人が増え、賑やかになっていく。
カランコロン、と扉が開く音がして、今度は5、6人のランドセルを背負った小学生たちが勢いよく入ってきた。
(あ……)
その集団の中に、見覚えのある水色の髪の男の子の姿を見つけて、俺は小さく息を呑んだ。
先日、男に連れて行かれそうになっていた子だ。無事だったんだ、と心の底から安心していると、その子がこちらをキョロキョロと見回し、俺の姿を見つけた瞬間にパッと表情を輝かせた。
走ってこっちに向かってくる。
「こないだは、助けてくれてありがとう!」
「……あの後、大丈夫だった?」
「うん! もう全然元気だよ!」
男の子は胸を張って笑顔を見せるけれど、半袖から覗く腕には、あのとき男に強く掴まれた跡がまだうっすらと残っているのが見えた。
「あ、あとね。あの時の飴、ありがとう。すっごく美味しかった!」
「そっか。ならよかった」
「じゃあ僕、学校行くから! またね!」
ブンブンとちぎれんばかりに手を振る姿が、いかにも子供らしくて無邪気で、気づけば俺の口元にも自然と笑みがこぼれていた。可愛いな、と素直に思う。
小学生たちが嵐のように去っていったあと、今度はころんさんがこちらを真っ直ぐに見つめて歩いてきた。
「ロゼくん、本当にありがとうね」
真剣な声で急に感謝を告げられ、俺は戸惑って視線を泳がせる。
「えっと……俺、別に何もしてませんよ」
「ゆたのこと、助けてくれたでしょ?」
あの子は、ゆたくんと言うらしい。
「ロゼくんがいなければ、どうなっていたか分からない。ゆたの親御さんも、もの凄く感謝してたよ。よろしく伝えておいてほしいって」
「でも……俺はただ、たまたまそこに居合わせただけですし」
「それでもだよ。勇気を出して動いてくれて、ありがとう」
ころんさんの真っ直ぐな言葉が、じんわりと胸の奥に染み渡っていく。誰かにこんな風に真っ当にお礼を言われたことなんて、今まで一度もなかったから、どうしたらいいか分からなくて少し照れくさかった。
やがて小学生たちがみんな登校し終えると、朝食の時間になった。
カウンターの方から、パンの香ばしくて甘い匂いが漂ってくる。
「おいで。好きなの選んで良いからね」
あっとさんに促されてカウンターを覗くと、焼きたての食パンや綺麗なきつね色のクロワッサンなど、たくさんのパンが綺麗に並べられていた。どれも驚くほど美味しそうだ。
俺はシンプルな食パンを選び、サラダと飲み物を受け取って席につく。
少し離れた大きめのテーブルでは、朝から賑やかな声が響いていた。
「心音! 師匠の隣に座るんじゃねーよ!」
「早い者勝ちですー」
言い合っている二人の表情はとても明るい。きっと、普段からすごく仲が良いんだろう。楽しそうだな、と少し羨ましくなる。
「ロゼ、ここの席座って」
あっとさんが、少し離れた落ち着いた席を指差してくれた。
「ありがとうございます」
遠くのテーブルでは、ころんさんが「もー! 二人とも朝から静かにして!」と頭を抱えている。
「「だって! こいつが!」」
「はいはい、言い訳しない。それじゃあ、みんな揃ったね。いただきます」
『いただきます!』の声が、店内に一斉に響いた。
お皿の上のパンを一口かじる。外側はザクザクと小気味いい音がするのに、中は驚くほどふわふわで、食べたことのない衝撃的な美味しさだった。
「ごちそうさまでした。あっとさん、これ、どこに片付ければいいですか?」
お皿を持って立ち上がると、あっとさんが優しく微笑む。
「カウンターのあそこに置いといてくれれば大丈夫だよ。ありがとね」
「わかりました」
指定された場所にお皿を置く。周りを見ると、食べ終わった人たちがそれぞれ本を読んだり、雑談をしたりして思い思いの時間を過ごしていた。
「あ、そろそろ時間だし、俺は行くね。またね、ロゼ」
時計を見たあっとさんが、荷物を持って立ち上がった。
「あ……また」
あっとさんの勤務はここまでみたいだ。
「それじゃ、お疲れ様」
「はーい、あっちゃんまたねー」
ころんさんの声に見送られながら、パタンと扉が閉まる。
さて、俺はこれから何をしようか。
周りの人たちは各々の仕事や学校へと出かけていき、店内の人数もまばらになってきた。かと言って、外に出てもやることは何もない。
ふと見ると、少し離れた席で、一人で黙々と机に向かってペンを動かしているやつがいた。さっき、ころんさんの隣の席を取り合っていた、心音って。
(勉強、か……)
机の上に広げられた教科書を遠目に見つめる。あそこに書かれている数式や文字は全く思い出せない。今できることと言えば、簡単な暗算くらいだ。
なんだかすごく難しそうなことをしている彼を、俺はただぼんやりと眺めていた。
コメント
5件
さいっっっっっっっっこうです(ロゼくん推し)
うわ、このエピソード、じんわり沁みました……。ロゼくんがあっとさんにカフェの割引券をもらうところとか、ゆたくんと再会して「ありがとう」って言われるシーン、本当に温かい気持ちになりました。特に「誰かに真っ当にお礼を言われたことなんてなかった」ってロゼくんが照れてるのが、なんか切なくて、でも少しずつ周りに受け入れられてる感じが伝わってきて。あと、飴ちゃんが彼の心の拠り所で、それを人にも分けられる優しさを持ってるんだなって思いました。HISORAさん、この優しい空気感、すごく好きです。