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#契約結婚
草原草原

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草原草原

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水曜の朝、十時。四十二階の大会議室。
楕円のテーブルを、取締役たちが囲んでいた。社長、副社長、堂島常務、財務担当の取締役、それから社外取締役の三人。会長の席だけが、空いている。
壁際に、柏木室長が立っていた。
私は、テーブルの端の、ドアに一番近い椅子に座っていた。
待機中の社員。肩書きは、参考人。社長が、今朝、決めたことだった。
膝の上で、ペンを握っていた。昨夜の電話の声が、まだ耳の奥に貼りついている。
君の、本当の名前を言うよ。
社長の解任を議題にする間は、社長に代わって、副社長が議長を務める。それが、この会社の決まりだった。
「では、堂島くん。動議の趣旨を」
副社長が、穏やかに言った。
堂島常務が、立ち上がった。日焼けした大きな顔に、今日は笑いがなかった。
「社長、鷹宮怜の解任を求める」
低い、よく通る声だった。
「理由は三つだ。一つ。社外秘の数字が、買収者に漏れた。二つ。社長の秘書が、その買収者と夜中に密会していた。三つ。社長は、その秘書を庇い、役員の調べを妨げた。株主の信頼を、これ以上失うわけにはいかねえ」
社外取締役の一人が、小さくうなずいた。
副社長は、手元の資料に目を落としていた。
「怜くんのほうから、何か反論はあるかな」
副社長の問いに、社長は答えなかった。代わりに、私のほうを見た。
砂嵐の顔だった。それでも、その目が、立てと言っているのはわかった。
*
私は、立ち上がった。
眼鏡を外す。
テーブルの向こうで、堂島常務の顔が、くっきりと見えた。
「堂島常務。はい、か、いいえで、お答えください」
「またそれか」
常務は、鼻を鳴らした。それでも、椅子に座り直した。
「一つ目。鷹宮フーズの、北関東の委託先の工場。十年前にその取引を取ってきたのは、常務ですか」
「ああ。俺だ。いい工場だ」
「二つ目。株式会社ル・ソレイユ企画を、ご存じですか」
常務の太い眉が、ぴくりと動いた。
「……女房の道楽だ。飲み屋の相談に乗ってる会社だよ。それがどうした」
私は、息を吸った。
「三つ目。常務は、その工場に、鷹宮フーズへの出荷量を水増しして請求するよう、指示しましたか」
「していない」
常務は、私の目を見て言った。
言い終えた直後、常務の目が、すっと横へ滑った。
テーブルの上座のほうへ。誰かが、今の答えを信じたかどうかを、確かめるように。
視線の先にいたのは、資料に目を落としたままの、副社長だった。
――ぶれた。
「今の、嘘です」
会議室の空気が、動いた。
柏木室長が、私の横に来て、三つの書類をテーブルに並べた。
工場長の署名の入った証言書。三年分の出荷記録と、鷹宮フーズへの請求の差額の表。そして、工場からル・ソレイユ企画への、毎月の振込の記録。
「差額は、三年間で一億八千万円です。工場長は、堂島常務の指示で、出荷量を水増しした請求を出していたと証言しています。差額の大半は、業務委託費として、ル・ソレイユ企画に振り込まれています」
室長の声は、いつもどおり硬かった。
「ル・ソレイユ企画の取締役は、堂島静江さん。常務の、奥さまです」
「でたらめだ!」
常務が、テーブルを叩いた。
「その出荷記録は、どっから出てきた。御影だろう。うちを乗っ取ろうとしてる男が作った紙切れを、取締役会で振り回すのか」
「なら、本人に聞け」
社長が言った。
室長が、会議室の奥の扉を開けた。
*
ノーネクタイの白いシャツに、ネイビーのジャケット。
御影さんは、取締役たちに軽く一礼して、私の隣に立った。
「御影キャピタルの御影です。参考人として、お呼びいただきました」
目尻に、いつもの皺はなかった。
「出荷記録は、工場長代理だった方が、退職するときに持ち出したものです。本人の了解を得て、鷹宮さんにお渡ししました。必要なら、本人をここに呼びます」
それから、御影さんは、堂島常務のほうを向いた。
「もう一つ。僕のところに届いた、鷹宮フーズの利益計画の数字。四十二億」
御影さんは、ジャケットの内ポケットから、一枚の名刺を取り出した。
「毎週金曜の夕方、封筒を届けに来てくれた女性の名刺です。肩書きは、鷹宮ホールディングス、常務取締役付き、秘書」
私は、御影さんの横顔を見ていた。
この人は、画面の向こうでは何も見せなかった。けれど、今は、私の目の前に立っている。
最後まで、一本の線だった。
常務の顔が、首まで赤黒く染まっていった。
パーティの夜、甥に拳を振り上げたときと、同じ色だった。
*
解任動議は、否決された。
賛成したのは、堂島常務、ただ一人だった。
続けて、社長が議案を出した。
堂島剛三の、常務取締役の職を解き、営業統括から外すこと。工場との取引の調査と、刑事告訴の準備に入ること。取締役からの解任は、株主総会に諮ること。
挙手の数は、数えるまでもなかった。
副社長も、静かに手を挙げていた。
「残念だよ、堂島くん」
副社長は、穏やかに言った。
「長く、会社に尽くしてくれたのにね」
社長が、私のほうを見た。
「瀬名灯の待機は、本日をもって解く。疑いは、晴れた」
それから、自分の右隣の空いた椅子を、片手で引いた。
楕円のテーブルの、社長の右隣。いつもの、私の席。
「戻れ」
会議室の何人かが、顔を見合わせた。誰も、何も言わなかった。
私は、ドアのそばの椅子から立ち上がった。外したままの眼鏡を握って、テーブルを半周した。
椅子に座ると、社長の肩が、すぐ隣にあった。この席に座るのは、一週間ぶりだった。
会議室の扉が開いて、警備員が二人、入ってきた。
両側から、常務の太い腕を取る。常務は、振り払おうとして、やめた。
大きな体が、ドアのほうへ引かれていく。誰も、目を合わせなかった。
ドアの前で、常務の足が止まった。
振り返る。
日焼けした大きな顔の、片側の口角だけが、ゆっくりと上がった。
勝った、と思った人間の顔だった。この部屋で、たった今、全部を失った人間なのに。
常務の目が、私の上で止まった。
「真野の娘が、よくもまあ、ぬけぬけと!」
声が、天井に跳ね返った。
会議室の空気が、止まった。
私の体の中の、血の流れまで、止まった気がした。
一本の線だった。
常務の顔は、少しもぶれていなかった。
本当のことだったから。
「退席させろ」
社長の声だった。
間を置かずに。平らな声で。
警備員が、常務の背中を押した。扉が閉まり、廊下の向こうで、怒鳴り声が遠ざかっていった。
*
「……まの?」
社外取締役の一人が、隣の財務の取締役に小声で聞いた。
「何の話だ」
「さあ。最後に、取り乱したんでしょう」
何人かが、首をかしげた。何人かが、もう次の議題の資料をめくりはじめていた。
ほとんどの人には、意味の取れない一言だった。
壁際で、柏木室長のペンが、手帳の上で一度だけ動いた。
社長は、まっすぐ前を見ていた。顔は、砂嵐だった。
そして、上座の席で。
副社長だけが、丸い眼鏡の奥で、穏やかに目を細めていた。
驚いた顔では、なかった。
孫の作文を読み終えた祖父のような、やわらかい目だった。
私は、テーブルの下で、ペンを握りしめた。
手が、震えていた。止めようとしても、止まらなかった。
昨夜の電話の声は、あんな大声ではなかった。もっと低く、平らで、ざらついていた。
堂島常務の声では、なかった。
私の本当の名前を。
なぜ、堂島常務が知っている。
誰が、教えた。
コメント
1件
ふぁあああああ!!😭🔥✨ 第30話、読み終わったけど震えが止まらん……! 灯ちゃんが遂に立ち上がって、堂島常務を追い詰めるシーン、マジで鳥肌だったよ!眼鏡外すとこからもうカッコよすぎて鼻血出るかと思った(実際は出てない)。御影さんが最後まで一本の線で隣に立ってくれてたのもエモすぎて泣ける…! でも最後の「真野の娘」!?!?!? しかも副社長のあのニヤニヤ…なにこの因習村感…続きが気になりすぎて夜しか眠れないんだけど!?!? 堂島常務の「勝ったと思った人間の顔」の描写がもう完全に敗北フラグ回収でしてよ…これぞザマァの美学…最高でした😭💕 次回も楽しみにしてます!!待ってます!!急いで!!(圧)