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「……待ってください!」
ルシンダが振り返って問う。
「サシャさんが言っていることは、本当に正しいんですか?」
「……どういう意味ですか?」
サシャがルシンダへと視線を移す。
「サシャさんは、エリアス殿下が王位を継ぐのが王妃殿下の願いだと言いますが、本当に王妃殿下がそう仰ったのですか? 私は全くの部外者ですが、エリアス殿下が王妃殿下のことを心から慕っていらっしゃるのを知っています。きっと、愛情深くて素晴らしいお母様だったのだと思います。……だから、どうしても腑に落ちないんです。そんな方が、大切な我が子を追い詰めるようなことを願ったりするでしょうか?」
エリアスは優しい人だ。
さっきはこの誘拐騒動に関わっているのかと少し疑ってしまったが、そうではなかった。
きっと最初は《聖女》を利用するつもりだったのだろう。けれど、後から思い直してくれた。
そんな非情になりきれない優しい子に育てた人が、自分の願いを押し付けるような言葉を残すだろうか?
自分には親の無償の愛というものは分からないし、子供を愛する親がどういった振る舞いをするのかも想像がつかない。
けれど、サシャの語る王妃殿下の願いと、エリアスが話してくれた王妃殿下の思い出がどうしても結びつかないのだ。
「本当は、王妃殿下はそんなこと仰っていないのではないですか?」
ルシンダの言葉にサシャの瞳が暗く翳る。
「……だとしたら、どうだと言うのですか?」
独り言のようにも聞こえる低い声。
エリアスが怪訝そうに眉をひそめる。
「サシャ……?」
「たとえ王妃殿下が明言されていなくても、エリアス殿下が国王の座に就かれればお喜びになるに決まっています。私は忠誠を捧げた亡き王妃殿下のため、そしてエリアス様のために尽くしているだけです!」
波の音だけが繰り返し聞こえる海辺に、サシャの叫びが響く。
ルシンダは初めて目にする激昂したサシャを真っ直ぐに見つめ、ゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ、それは違います。あなたは口ではエリアス殿下のため、王妃殿下のためだと言いながら、実際は自分の願いを押し付けているだけです。きっと、あなたの忠誠心は本物なのだと思います。でも、今のあなたは、私のためだと言って自分の利益ばかりを考える私の義両親のようです」
「……っ」
ルシンダの言葉にサシャは大きく目を見開いた。
伯爵夫妻など、利己心の塊で、義理とはいえ娘さえ利用する愚かな人間ではないか。
そんな者たちと自分が同類?
馬鹿な、と咄嗟に怒りが込み上げた。
そんな訳がないと反論したかった。
しかし、傷ついたようなエリアスの表情を目にした瞬間、何も言葉が出てこなくなった。
「……サシャ、そうなのか? 僕が王位に就くことが母上の願いだと言っていたのは、嘘だったのか?」
エリアスが微かに震える声で尋ねる。
「……」
「──サシャ!」
うつむいたまま返事をしないサシャに、エリアスが声を荒らげる。
「…………はい。ルシンダさんの仰るとおりです。申し訳ございません」
「……どうして、そんなこと……。僕はサシャのことを信じていたのに……!」
エリアスが顔を歪ませ、悲痛な声で叫ぶ。
自分と母のために何年も尽くしてくれたサシャ。主従関係であり、身分の差もあったが、誰よりも信頼できる兄のような存在だと思っていた。
それなのに、そんな自分の思いは酷く裏切られてしまった。
まるで、この世界から自分の味方が誰もいなくなり、たった一人取り残されてしまったようだった。
「……私はただ、エリアス様に幸せになっていただきたくて……」
サシャが力無くその場にくずおれる。
「エリアス殿下……」
ルシンダが気遣うように声をかける。
エリアスはぎゅっと目を瞑って涙をこらえ、ゆっくりと振り返った。
「……今回のこと、本当にごめん。この罪は必ず償うから──」
「エリアス殿下」
頭を下げようとするエリアスの目の前に、ルシンダが人差し指を突き出す。そしてエリアスの胸元を指差した。
「お母様の形見のペンダント、今も身につけていらっしゃいますか?」
「あ、ああ、ずっと身につけているけど……」
怪訝に思いながらも、胸元からペンダントを出してみせる。
「ちょっと試してほしいことがあるのですが……そのペンダントに魔力を流してみていただけますか?」
「魔力を?」
「はい、真ん中の白い石に込める感じでお願いします」
「ああ、分かった……」
ルシンダが何を考えているのか全く見当がつかないものの、エリアスは言われたとおり、ペンダントの石へと魔力を送った。
「……! これは……?」
いくらか魔力を流すと、それまで控えめな光沢をまとうだけだった雪色の石が、突如虹のような輝きを帯び出す。
そうして、どこからか、幼子にうたう子守歌のように優しく穏やかな声が聴こえてきた。
『……リアス。私の可愛いエリアス』
自分の名を呼ぶ声に、エリアスが反応する。
額に手を当て、とても信じられないというように、手の下の髪をくしゃりと握りしめた。
「──母上……?」
繊細なベールのように柔らかで温かな声。
自分が一番大好きだった声。
聞き間違えるはずがない。
これはたしかにエリアスの母、王妃ユディタの声だった。
『……エリアス。私の命はきっともうすぐ尽きてしまうでしょう。だから、いつその時が来てもいいように、ここに私の言葉を残します。可愛いエリアス、いつも私のために頑張ってくれてありがとう。こんなにも心の優しい子に育ってくれて、とても嬉しいわ』
「母上……」
懐かしい母の声に、エリアスの視界が涙でにじむ。
『でも……私が病弱なせいで、あなたをずっと縛りつけてしまっていることが本当に申し訳なくて……。私が丈夫な身体だったら、あなたは薬草や治療のことばかりではなく、もっと多くのことを学べたでしょうし、二人でもっと色々な場所に出かけることもできたでしょう。私があなたから可能性や思い出を奪ってしまっていると思うと、とても耐えられない……』
「……違う、そんなことありません」
『あなたが私を大切に思ってくれているのは分かっているし、その気持ちは本当に嬉しいの。私もあなたと少しでも長く一緒にいたいから、頑張って治療するつもりよ。……でもね、もし私が力尽きてしまったら、今度はあなたに自分の人生を生きてほしい。誰のためでもなく自分のために、自分のしたいことを思い切りやりきって、幸せになってほしい。それが私の願い……』
「……」
『エリアス、私はあなたという息子を持てて、本当に幸せよ。あなたがいるだけで、私の人生は最高だと思えるの。私の子に生まれてきてくれてありがとう。ずっとずっと、いつもあなたのことを想っているわ。大好きよ、エリアス──……』
その言葉を最後に、ユディタの声は波の音に溶けて消えていった。
「母上……」
母の残した想いを身の内に閉じ込めるかのように、エリアスがペンダントを握りしめる。
やがて夜空を見上げ、大きく深呼吸すると、ルシンダのほうへと向き直った。
「ルシンダ嬢、今のは一体……」
いくぶん落ち着いた様子のエリアスに、ルシンダが答える。
「エリアス殿下のペンダントの白い石……。少し前に魔石について調べていたおかげで気づいたのですが、それは《蓄音》の魔石なんです」
「蓄音の魔石?」
「はい、魔力を込めることで音声を記憶したり流したりできる、珍しい魔石です。前にエリアス殿下にペンダントを見せていただいたときのことを思い出して、もしかしたらって……」
「そういうことか……。ありがとう、ルシンダ嬢。おかげで、母上の本当の想いが分かった」
エリアスが穏やかな顔で微笑む。その目は、少しだけ赤くなっていたが、どこかすっきりとした晴れやかさがあった。
きっともう大丈夫だろう。
「……ところで、エリアス殿下、サシャさんは……」
サシャの名前が出てエリアスは一瞬表情を曇らせたが、すぐに気を取り直し、未だ地面に膝をついたままのサシャへと近づいた。
「──サシャ、お前が母上の願いを偽ったこと、僕は許せそうにない。……でも、母上の病を治すために尽くしてくれたことには本当に感謝している」
怒りをぶつけることもなく、淡々と語りかけるエリアス。
ずっとうつむいていたサシャが不安げに顔を上げる。
「……エリアス、様……?」
「僕も、僕の願いのために、ずっとサシャを縛り付けてしまっていたんだろうな……。僕が最初に助けを求めたのはサシャの母君だったのに、彼女が亡くなった後もサシャが支えてくれるのに甘えていた」
「いえ、それは違います! 私は自分の意志で……」
「うん、サシャは心から尽くしてくれていたと思う。……でも、僕たちは互いに依存しすぎていたのかもしれない」
エリアスが、サシャの頭に手を置く。
「僕は決めた。王位継承権は放棄する。これからは、自分のための生き方を探していこうと思う。……サシャ、お前はこれから犯した罪の償いをしなければならない。でも、贖罪を終えたその先は、僕にとらわれることなく、自分のために人生を使ってほしい。……今まで本当にありがとう」
そう言い残すと、エリアスは未練を断ち切るように、くるりとサシャに背を向けた。
「……ルシンダ嬢、クリス殿、今回は本当に申し訳ありませんでした。僕に出来ることは何でもしますから、いつでも仰ってください」
真摯に頭を下げるエリアスに、クリスが無表情で答える。
「いや、これは殿下のせいではありません。ですが、貴方も仰ったとおり、あの者は罪を償わなければなりません。……どうかご覚悟ください」
「……分かりました」
「お、お兄様……! 私は結局無事だったんだから、そんなに大事にしなくても……」
慌てて腕にすがりついてくるルシンダに顔を向け、クリスはぽんぽんとその愛らしい頭を撫でる。
「ルシンダ、しでかしたことの責任は取らなくてはならない。……それは、彼を手助けした者も同様だ」
冷たく光るクリスの瞳に、ルシンダはなぜか妙な胸騒ぎを覚える。
そうして正体不明の不安を抑えるかのように、クリスの腕をぎゅっと握り締めるのだった。