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すず
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放課後の部室。角名くんが練習でコートに出ている間、私は頼まれたスコアブックを探して、ベンチに置かれた彼のカバンの横にしゃがみ込んでいた。
(……あ、これかな)
ノートを手に取った拍子に、カバンのポケットから彼のスマホが滑り落ちた。
画面が点灯し、そこにはロックがかかっていない、写真アプリの画面が開いたままになっていた。
「……えっ?」
見慣れた『Himari』というフォルダ。
でも、一番下までスクロールして、私は息を呑んだ。
そこにあったのは、昨日や今日の写真じゃない。
一年前。私たちがまだクラスメイトですらなかった、1年生の頃の私の姿。
中庭で友達と笑っている横顔。雨の日に傘を差して校門を出る後ろ姿。
――偽装彼氏を提案される、ずっと、ずっと前から。
「…………何、見てんの」
背後から、凍りつくような低い声がした。
振り返ると、ユニフォーム姿で汗をかいた角名くんが、無表情で立ち尽くしていた。
「……角名くん。これ、どういうこと……? 一年前から、私のこと撮ってたの?」
「…………バレちゃったか。……もう少し、うまく隠すつもりだったんだけど」
彼はゆっくりと歩み寄り、私の手からスマホを奪い取った。
怒っているわけじゃない。むしろ、すとんと感情が抜け落ちたような、虚ろな瞳。
「……向日葵、あいつらに困らされてたでしょ。……俺、それずっと見てたんだよね。……助けてあげたいな、でも、それ以上に……」
「…………以上に?」
「……向日葵のその困った顔、独り占めしたいなって思っちゃった」
彼はスマホの画面をなぞり、一年前の私の写真を愛おしそうに見つめる。
「……偽装彼氏なんて、ただの口実。……向日葵を合法的に、堂々とレンズの中に閉じ込めるための、ただの嘘」
角名くんは、私の目の前でスマホを床に転がした。
そして、逃げようとする私の両肩を掴み、そのままベンチへと押し倒す。
「……もう、演技なんて言わないよ。……一年間、ずっと君だけを追いかけてきたストーカーの、これが本音」
「…………っ、」
「……ねえ、向日葵。……こんなに気持ち悪い俺のこと、まだ『偽装』だって笑って許してくれる?」
彼の瞳は、暗い熱を帯びて激しく揺れていた。
一年分の執着が、一気に溢れ出す。
守られていたと思っていた「偽装」は、最初から彼が仕掛けた、逃げ場のない「罠」だったのだ。
部室に落ちたスマホの画面が、虚しく光っている。
一年前から撮り溜められていた、無数の私の写真。それは、彼が「偽装彼氏」という嘘を吐くずっと前から、私を檻の中に閉じ込めていた証拠だった。
「……気持ち悪いよね。自分でも分かってるよ」
私の肩を掴む角名くんの手が、小刻みに震えている。
いつも涼しい顔で、スマホ越しに世界を眺めていた彼が、今はレンズも通さず、剥き出しの瞳で私を見つめていた。
「……向日葵を助けたのも、彼女のフリをさせたのも、全部、俺が向日葵を独り占めするための……ただの『手段』。……最低でしょ」
彼は自嘲気味に笑うと、力を失ったように私の肩から手を離した。
そのままズルズルと、部室のベンチに座り込む。
「……ごめんね。……怖かったよね。……もう、いいよ」
彼が顔を上げたとき、私は息を呑んだ。
いつも細められていた瞳には、じわりと涙が滲み、鼻先が赤くなっている。
余裕たっぷりのキツネの面が剥がれ落ちた、ただの、臆病で不器用な男の子の顔。
「……偽装、おしまい。……動画も、写真も、全部今ここで消すから。……向日葵は、自由になっていいよ」
角名くんは震える手で床のスマホを拾い上げ、削除ボタンに指をかけた。
一年分。数千枚。私への歪んだ愛の記録を、彼は自らの手で葬ろうとしている。
「……消せば、……俺のこと、許してくれる?」
掠れた声。
消してほしいと思っていたはずなのに。
彼の絶望しきった顔を見ていると、胸の奥が、締め付けられるように痛んだ。
「…………待って、角名くん」
私が彼の手に重ねるようにして、スマホを止めた。
「……え?」
「……消さないで。……これ、全部角名くんが私を見ててくれた証拠でしょ」
自分でも信じられない言葉が口をついて出る。
「……気持ち悪いって思うけど。……でも、こんなに必死に私を求めてくれた人、他にいないから」
角名くんの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ち、スマホの画面を濡らした。
「……向日葵、……本気で言ってるの? ……俺、もう二度と離さないよ? ……一生、俺のレンズの中に閉じ込めるよ?」
彼は泣き笑いのような表情で、私の腰に腕を回し、しがみつくように抱きしめてきた。
偽装という名の盾は、もうどこにもない。
そこにあるのは、互いの体温と、剥き出しの、重すぎる愛だけだった。