俺が彼女と出会ったのは、今から五年前。俺が九歳の時のことだった。
父は魔搭という魔法使いの組織の首長を務めており、非常に優秀な魔法使いで、王国一と言われるほど素晴らしい魔法使いだった。しかし、冷たく無愛想な人だった。父が笑っているところを俺は見たことがなかった。そんな父の息子である俺も、膨大な量の魔力を持っていた。そのため、俺は幼くして次期首長と言われた。候補ではなく、確定である。そうなると、次期首長という立場や俺の魔力の多さに嫉妬する者が現れた。
あの日、俺は父の任務に着いて行っていた。父も任務に夢中で俺のことなど眼中にないようだった。そんなこともあり、突然俺は何者かによって路地裏に連れ去られた。俺を連れ去ったのは、俺に嫉妬している魔搭の一員だった。「ガキの癖に……!」などと言う暴言を浴びせられ、暴力をされた。魔法だと、どうしても俺には敵わないからだろう。俺は抗えなかった。魔法を発動する隙を与えられなかったから。こうして俺に嫉妬している奴らに何かされても、俺は父に言わなかった。言っても何の対処もしてもらえないからである。
やっと地獄の時間が終わり、奴は去って行った。全身怪我だらけになった俺は、その場に座り込んだ。
やっぱり、俺の味方なんてひとりもいないのだと思った。絶望した。ただただ孤独に飲み込まれ、俯いていたその時だった。
「大丈夫ですか?」
頭上から鈴を鳴らしたような可憐な声が降ってきた。
俺は驚いて顔を上げた。六、七歳くらいだろうか。そこには、天使のような美少女が心配そうな顔をして、俺の顔を覗き込んでいた。
雪の如く真っ白な肌、ふわふわとやわらかそうな、ミルクティーを映し出したかのような亜麻色の長い髪、頬に影を落とすほど長く濃い睫毛、それに縁取られた大きく澄んだ瞳は、温かな撫子色。瞳の中で芍薬の花が咲いているようだった。細く整った鼻梁、薄紅に色づいた唇。
華やかなドレスを身に纏っているから、どっかの上級貴族だろう。
「……何だお前は」
俺は低い声で言った。
すると彼女はさらに眉尻を下げた。
「何だではありません。ひどい怪我ではありませんか。失礼します」
彼女はそう言うと、しゃがんで俺の手を取った。
咄嗟に俺はその手を振り払う。
「何故初対面のお前に見せなきゃいけないんだ」
俺は彼女を睨んだ。
が、彼女は全く引き下がらなかった。
「私があなたの傷を治したいからです」
彼女の薄桃の瞳が俺を見据えていた。まっすぐじっと見つめられた。彼女のその澄んだ瞳が揺らぐことはなかった。
しばらく耐えていたが、とうとう根負けし、俺は彼女に手を差し出した。
すると彼女は微笑んだ。その穏やかな笑みに、一瞬心をかき乱されたような気がした。胸がきゅっと苦しくなるような。泣きたくなるような。
「ありがとうございます。では、失礼しますね」
彼女が俺の手を優しく握ると、彼女の手から淡い黄金色の光が放たれた。
何て温かい手なんだろう。華奢で小さな手。少しでも力を入れたら壊れてしまいそうだ。
するとその温かい光は俺を包み込んだ。次第に傷が消えていき、痛みも引いていく。
俺は彼女に話しかけた。
「……なぁ」
「はい、何でしょう?」
「お前は、俺が嫌じゃないのか?」
すると彼女は、ことり、と小首を傾げた。
「嫌?どうして?」
「……俺が青い目だから」
この国では、青い目は忌み嫌われていた。だから俺は周りに目が見えないように外套のフードを深く被った。俺はこの時フードを被っていなかった。俺の青い目を見ても尚、何故この子は嫌がらないんだろう。普通の人なら、近づくことすら厭うのに。
俺の言葉に、彼女は目を見開き、悲しそうな顔をしていた。が、少し考えるような顔をしてから俺の目を見た。彼女は、これ以上ないほど真剣な顔をしていた。
「そんなこと仰らないで。私は嫌ではありません。どこに嫌になる理由があるのです?周りの人が言っていることなんて気にしないでください」
幼い子供の口から出ているとは思えないほどまっすぐな言葉だった。その言葉のひとつひとつが俺の中ですとんと落ちていった。
彼女は、それに、と言葉を続けた。
「綺麗ではありませんか。深海のようで」
そして彼女は、満面の笑みを浮かべた。その笑顔の美しさを、俺は今でも覚えている。花開くような、春が訪れたような、ふわりとした笑み。その瞬間、目の前の景色が鮮やかに彩られた。今まで色がなかった視界に、鮮明な色が映った。何て愛らしく笑うんだろう。何てやわらかい笑顔なんだろう。その微笑みに、強く惹かれた。胸が苦しくなった。誰かに笑顔を向けられることで、優しい言葉を掛けられることで、こんなに胸が温かくなるなんて知らなかった。俺は辛いんだと、泣きたいんだとこの時初めて知った。
そして、治癒が終わったらしく、俺の手から彼女の手が離れていった。
と、遠くから「リリアーナ!」という声が聞こえた。
その声に、彼女は立ち上がった。
「ごめんなさい。もう行かなければ」
彼女は俺に深々と頭を下げ、走り去っていった。
あっという間の出来事に俺はぽかんとしていたが、胸に手を当てて、とくんとくんとやけに速い鼓動に目を細める。
「リリアーナ」
彼女の名前をそっと呟いた。何て可憐な名前なのだろう。
この日から、俺は強くなると決めた。
また、彼女に会える日を夢見て。
それから数年の時が流れ、副首長になった翌年、俺は任務としてマーティアン伯爵家のパーティーに、招待客に紛れて忍び込んだ。マーティアン伯爵に横領の疑いがあったため、その調査として。
領地内を歩いていると、離れを見つけた。
その離れには、とても強い封じ魔法が掛けられていた。
それを解いて奥に進んでいくと、人の気配がした。
警戒しながら歩いていくと、彼女を見つけた。床に座り込み、眠っている彼女を。思わず自分の目を疑った。しかし、本当に彼女だった。だが、あの頃とは彼女の容姿が随分違っていた。艶やかだった髪は傷み、貧相なドレスを身に纏い、そこから覗く手や足は木の枝のように細く、あざだらけだった。虐待されていることは明らかだった。彼女をこんな姿にした奴らに、静かに怒りが湧き起こった。いや、怒りなんてそんなかわいいものではなかった。腹の底が燃えているような感覚に陥った。
そんな姿でも、彼女はより一層美しく、愛らしくなっていた。
魔搭本部に戻り、彼女の今に至るまでの五年間の記録を調べた。調査した結果、様々なことがわかった。彼女は俺と出会った数ヶ月後に両親を亡くし、伯爵家に引き取られ、虐待を受けていたこと。朝から晩まで働き、睡眠も少ししかとれず、食事もろくにしていなかったこと。そんな生活をしていても倒れなかったのは、彼女の中にある魔力が持ちこたえていたからだろう。一番驚いたのは、彼女が最大貴族であるフィアディル公爵の令嬢だったことだ。
何よりも、彼女がこんな扱いをされていたなんて、怒りでどうにかなりそうだ。
彼女のことを調べ始めてから数ヶ月後、俺はとある人物の元へ向かった。
それは父だ。父の元へ行った。そして、彼女のことを話した。
すると父は、「わかった。頭に置いておこう」とだけ言い、それ以上は何も言わなかった。
その数週間後、彼女に会いに伯爵家の領地内を歩いていると、部屋の中に彼女が座り込んでいるのを見つけた。が、彼女の様子がおかしかった。顔は俯いていてよく見えなかったが、何かに怯えている様子だった。
ん?と思い、彼女の周りを見ると、彼女の目の前に、ナイフを振りかざした伯爵が見えた。
その恐ろしい光景に、俺は本能的に動いた。転移魔法で父のところまで行って父を呼び、また転移魔法を使って彼女のところへ行った。
その時、ちょうどナイフが振り下ろされた瞬間だったので、間一髪間に合った。
「ルウィ……ルク……さま…」
横からかすれた彼女の声が聞こえ、俺は彼女の方を向いた。
彼女は泣いていた。ぼろぼろとたくさんの雫を流していた。
それを見た途端、再び激しい怒りが俺の中で渦巻いた。
彼女の肩を抱きかかえる手の力が強くなった。
今は彼女をとりあえず救出できて安心はしているが、あの伯爵家の奴らだけは許さない。永遠に。
彼女が魔法を習いたいと言ってくれたおかげで、会いに行ける理由ができた。それが何よりも嬉しかった。
彼女を守らなければ。彼女は、俺の全てだから。彼女には、笑っていてほしいから。
この想いは、まだ内に秘めておこう。そして、いくつかの季節が過ぎたら、必ず言おう。
お前を愛している、と。
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これ書くのに4日かかりました。そんなこともあってか、他の話は1000~2000字なのに対し、これは驚愕の3500字越え。書くのは楽しかったですが、文字数多すぎですね……。分けたらよかったかな……。