テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
リフェアリー
128
権田には、会わなかった。
会長が、御殿のテントに、台帳を一冊、持っていった。要は、広場の反対側から、それを見ていた。黒い作業着の男が、台帳を受け取り、めくり、テントの奥に消えた。権田は、出てこなかった。
「権田さんは、いないのか」要は、戻ってきた会長に聞いた。
「いる。でも、出てこない。『三冊の兄ちゃんが来てるのは知ってる。会う必要はない』と言ったそうだ」
「それだけ?」
「それと、『残りの二冊は、どこだ』と」
会長は、何と答えたか。
「『知らん』と言った。本当のことだ。おれは、飛脚がどの道を通ったか、知らん」
要は、うなずいた。御殿は、残りの二冊を探す。探して、見つからない。見つからない間に、甲府の人間は、御殿の台帳と、本物の記憶の違いを、覚える。
権田は、要と会わなかった。会わない、というのが、権田の答えだった。要の仕組みを、使う。要には、関わらない。
道具だけを、取る。
*
甲府を出て、要と孫は、諏訪へ向かった。
木曽へ戻る道でもあった。評判台帳の一冊が、諏訪の佐久間のところに、届いているはずだった。
諏訪湖は、動いていなかった。半年前と、同じように。
佐久間は、舟から下りてきたところだった。要を見て、立ち止まった。
「……顔の人の、連れか」
「土師要です」
「覚えてる。仕組みの人だ」佐久間は、言った。「荷物が、届いた。蝋で封じた、油紙の包み。二つの印。開けていない」
「開けてください」
佐久間は、集落の集会所に、要と孫を通した。包みは、棚の上にあった。佐久間は、蝋を割った。二つの印が、割れた。油紙を開くと、ノートが一冊。
「最初の一行を」要は言った。
佐久間は、開いた。読んだ。
「『評判台帳 甲府の市 初日 丸百十一 バツ七』」
「合ってます。それが、本物です」
佐久間は、ノートを閉じた。
「これを、預かれと」
「はい。木曽の、ばあさまと同じように。読まなくていい。書かなくていい。預かって、知らない顔が見に来たら、覚えてください」
「御殿が、来るかもしれん」
「来るかもしれません。でも、来たら、あなたは、顔を見る。それで、十分です」
佐久間は、長い間、要を見ていた。
「半年前、あんたは、評判台帳の話をした。わしは、要らんと言った。知らん相手は、入れん。それで、十分だと」
「言いました」
「今も、そう思ってる」佐久間は言った。「だが、一つ、聞きたい。知らん相手が、諏訪の魚を、証とかいう紙で、買いたいと言ってきたら、どうなる」
要は、佐久間を見た。
「……買いたい人が、いるんですか」
「いる。塩尻の商人が、先月、来た。木曽の証で、魚を買えないか、と。わしは、断った。紙は、食えん。だが、商人は、言った。『木曽の証は、木曽の米になる。米は、食える』」
「それで」
「断った。木曽まで行って、米に替えるのに、二日かかる。魚は、二日で腐る」
要は、頭の中で、それを追った。
諏訪の魚は、証では買えない。証は、木曽の米にしかならない。木曽は、二日先。魚は、二日で腐る。
「佐久間さん。諏訪に、米はありますか」
「……少ない。魚と、芋はある。米は、ない」
「木曽には、米がある。魚は、ない。諏訪の魚を、木曽が欲しがる。木曽の米を、諏訪が欲しがる。間に、証を置く。諏訪の人が、魚を売って、証を受け取る。証を、木曽の米屋に持っていく。米になる。二日かかるけど、米は、腐らない」
「魚は、腐る」
「魚は、干す」要は言った。「あなたがたは、冬の魚を、干してる。干した魚は、腐らない。干した魚を、証で売る」
佐久間は、立ち上がった。窓の外の、湖を見た。
「……わしは、知らん相手を、信じん」
「はい」
「だが、顔の人は、信じた。顔の人の名前で、甲府の台帳に、丸がつくと、あんたは言った」
「言いました」
「木曽の証にも、顔の人の名前が、あるか」
要は、懐から、証を一枚、出した。和紙。四つの印。
「印は、僕と、妹と、隣村の孫と、下流の村の孫娘です。つむぎの印は、ありません。でも、つむぎは、木曽の米屋で、証を受け取ってます。最初の一枚を、受け取ったのは、つむぎです」
佐久間は、証を、受け取った。裏返した。漉き目を、光に透かした。
「……これを、十枚、置いていけ」
「十枚」
「干した魚を、十枚分、売る。相手は、あんただ。あんたは、知らん相手じゃない。顔の人の、連れだ。十枚の証が、本当に木曽で米になるか、わしの孫を、木曽に行かせて、確かめる。なったら、次を考える」
要は、十枚を、机に置いた。
証が、三つの村の外に、初めて、出た。
コメント
1件
いやー、めっちゃ良かった…!権田に「会わない」って選択されたのがもう要にとっては痛いけど、それでも諏訪で佐久間とちゃんと向き合って証を広げていく流れが渋い。魚と米と証の話、地味なやり取りなのに「これは行けるかも」って手応えがじわじわ伝わってきたわ。最後の「三つの村の外に、初めて、出た」で背筋伸びた。仕組みが動き出した感じ、たまらん🔥