テラーノベル
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月曜の朝、悠人はまだ寝ていた。帰ってきたのは二時過ぎで、玄関で靴を脱ぐ音だけを聞いた。
私は玄関の引き出しを開ける。
合鍵は、結婚したときに三本作った。一本は悠人の母に。一本は私の実家に。残りの一本は、この引き出しの、印鑑の横に置いてある。
印鑑の横には、何もない。
私は引き出しを閉めて、もう一度開けた。鍵は増えなかった。
鍵を替えようとは思わなかった。替えれば、悠人が気づく。気づかれて困るのは、鍵の数ではなく、私が数えていることだった。
台所に行き、フックにかけてあった紺のエプロンを外した。洗濯機には入れず、ビニールの袋に入れて、仕事の鞄の底に押し込んだ。
鞄は、いつもより少し重くなった。
◇
火曜は休みだ。
朝七時、私はミモザガーデンの裏口から入った。段ボールの箱を一つ抱えていた。
母の形見の帯留め。通帳の写し。実印。結婚のときに父が持たせてくれた、祖母の時計。家にあると、誰が触るか分からないものを、紙に書き出したら六つになった。
ロビーを抜けて二階へ上がろうとしたとき、階段の上に一ノ瀬が立っていた。
七時だった。この人は、何時に来るのだろうと思った。
「引っ越しか」
「持ち物の整理です」
一ノ瀬は箱を見た。箱の中は見えない。見えないものを、この人は聞かない。
「今日は休みのはずだが」
「休みです」
「休みの日に、持ち物を職場に運ぶのか」
「職場のほうが、鍵が多いので」
一ノ瀬は何も言わずに階段を下りてきて、私の横を通り過ぎた。ラウンジではなく、元の支配人室のほうへ歩いていく。
私は箱を抱えたまま、自分の机に向かった。箱を足元に置き、パートの勤務表を開く。美咲と約束した数字は、半年分。式の件数、担当した客の人数、リピートの紹介。
三十分ほどして、机の上に影が落ちた。
一ノ瀬だった。
何も言わずに、机の端に鍵を一本置いた。小さな鍵で、タグに「金庫」と手書きしてある。元支配人室の、坂上が使っていた金庫の鍵だと分かった。
「オーナー」
一ノ瀬はもう階段を上がっていた。振り返らなかった。
私は鍵を手に取る。冷たい。手のひらで温めてから、箱の中の六つを、元支配人室の金庫に移した。扉を閉めて、鍵をかけて、鍵を名札の裏に入れる。
職場のほうが、鍵が多い。本当のことだった。
九時に美咲が出てきた。私を見て「休みですよね」と言い、机の上の勤務表を見て「あ」と言った。
「数字、出すんでしたね」
「座って」
私は半年分の勤務表を二人のあいだに置いた。
「パートさんの名前ごとに、担当した式の件数。それから、その式のお客様が、あとで誰かを紹介してくれたかどうか。紹介の欄は、お客様カードの裏にある」
「裏、見たことないです」
「今日から見る。紹介が一件あれば、半年分の時給より多い」
美咲は電卓を出して、最初の一人の名前を書いた。半年前に入った人だった。
「チーフ、これ、オーナーに出して、通りますかね」
「数字なら読む、と言った人だから」
「冷たい人ですよね」
「冷たい人は、言ったことは守る」
美咲は納得していない顔で、それでも二人目の名前を書いた。
「あの人、今朝、六時半にはもう来てましたよ。裏口の鍵、開けてあったので」
「そう」
私は名札の裏の、金庫の鍵を指で確かめた。
◇
ひなのから、昼前にメッセージが来た。
『字幕の言葉、思いついたらすぐ送りますね♡ とりあえず一個目!』
『3/14 出会い。彼、『合宿』って言って来てくれた』
合宿。
私は手帳の三月十四日を開いた。『合宿(栃木)。帰宅は翌日』。
字幕の言葉を、そのまま打ち込んだ。一文字も変えなかった。
◇
午後、申込書の続きの欄を確かめた。
『招待客の連絡先(お相手の方のご関係者)』
『柴田健(彼の会社の後輩) shibata.k@……』
ひなのの字で、『この人が全部まとめてくれます!』と添えてある。
柴田健。夫の後輩で、五年前の私の結婚式で受付をしてくれた人だった。悠人が「ゴルフ」と言う日の、半分以上に名前が出る人でもある。
私は式場のメールを開いた。差出人は『ミモザガーデン 佐倉』。
『柴田健様
桐谷ひなの様よりご紹介をいただきました、ミモザガーデンの佐倉と申します。
十二月十二日(土)のサプライズプロポーズにつきまして、高梨悠人様のご関係者のご招待を、柴田様にお取りまとめいただけると伺いました。
お手数ですが、ご招待予定の方のお名前とご人数、当日のご連絡先をお知らせください。
なお、本件は高梨様ご本人にはサプライズのため、お取り扱いにはご配慮をお願いいたします。』
最後の一文を、三回読んだ。本人には秘密で。配慮を。
送信した。
休みの日に、職場で、夫の後輩に、夫のプロポーズの招待をまとめてくれと頼むメールを打った。三十三年で、一番長い火曜日だった。
◇
夜、家。悠人は「残業」だった。
二十二時十五分に、式場のメールが転送されてきた。
『佐倉様
お世話になっております! アクセル広告の柴田です!
ご連絡ありがとうございます。桐谷さんから聞いてます! 了解です!
高梨さんには内緒で進めてます! 会社のメンバーは今のところ十名くらいで、部長も来ると思います。名簿は今週中に送ります!
あと一点だけ、すみません。
高梨さん、来週そちらのオーナーに会いに行くので(うちのピッチの関係で)、その時に会場の話は絶対しないでください。本人にバレるので!
よろしくお願いします!
柴田』
私は、最後の二行をもう一度読んだ。
来週。夫が、この式場に来る。
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
赤井 里会
1,613
ゆうき
73
コメント
1件
「合鍵」第5話、読み終えました。 引き出しから消えた合鍵から始まって、仕事場の金庫の鍵を預かるシーンへとつながる流れに、じわっとくるものがありました。鍵の数を数えること自体が「バレてはいけない」という状況、その静かな緊迫感がすごく伝わってきます。 それから、職場の机で半年分の勤務表と向き合う場面。冷たい人ほど言ったことは守る、という台詞も印象的でした。 最後に浮かび上がってきた、夫が来週その式場に来るという伏線。ああ、これは一波乱ありそうな予感です。引き続き読ませていただきますね。