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86 - 第86話  お別れしたかったのは

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2025年03月31日

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◻︎きちんとお別れ




それからしばらく、静江の独り語りを聞くともなく聞いていた。

香代が子どもの頃の話や、まだ夫(香代の父)が生きていた頃の話、それから瑞稀みずきという孫娘の話。

それらはただ聞いていると楽しい思い出話だけど、ところどころ辻褄が合わなかったり、ぽっかり抜けていたりする。

その度に香代が修正しようとするけど、私はその香代を止めた。


「聞いてあげましょう、黙って。終わるまで」

「……わかりました」


そのうち、部屋の隅にあった犬のぬいぐるみを抱きしめて、コロンと横になってしまった。

話していた声が小さくなって、それからメロディがついて。

きっと子守唄なのだろう。


「あれは瑞稀が小さい頃、とても大事にしていたぬいぐるみです。母に預けて私は昼も夜も働いていましたから、瑞稀を寝かしつける時にそばにおいていたみたいです」


しばらくするとくの字のまま、静江は寝息を立てていた。


「ね、結衣ちゃん、静江さんは何時までいられるの?」

「特には。晩ご飯までに帰れば大丈夫です」


時間は3時半。


「じゃあ、このまましばらく休んでいてもらおうか。香代さん、毛布を」

「はい」


押し入れから青い毛布を出してきた。

大きな鶴の絵があって、昔からあるしっかりしたもののようだ。


「じゃあ、あちらへ」


そっと襖を閉めて、隣の部屋に移る。

カランと音がして、誰かが玄関へ入ってきた。

ドタドタと元気な足音がして、バン!とドアが開いた。


「おばあちゃん?ねぇ、お母さん、おばあちゃんが帰ってきたの?」

「静かにして。今自分の部屋で寝ちゃってるから。こちらは介護施設の方たちよ」

「こんにちは!ちょっとおばあちゃん見てくる」


鞄を放り出すと、静江が眠る部屋へ入って行った。


「すみません、騒がしくて。昔っからおばあちゃんっ子なんですよ」

「じゃあ、おばあちゃんが帰ってくるのは反対じゃないんですね?」

「それは…はい、もちろん喜びます。でも…」


香代は何かを思い出したように、俯いてしまった。

そしてゆっくりと話し出す。


「たまの外泊ならばと考えましたが、一度家に帰ってきてしまうともう施設には戻らないと言いそうな気がして。それを無理矢理に戻すのが私にはできない。私だって家に連れ帰りたいんです。でも私が働かないと…」

「だから、連れてきて連れ帰ってくれるならという条件だったんですね」

「すみません、わがままだとわかっているんですが」


「よかったです。静江さんのことを嫌がっていらっしゃるのかと勘違いしてました」

「決してそんなことは…。でも面会に行くたびにどんどん年老いていく母を見ていると、なんだか怖くなってしまって。記憶までおかしくなってきているし。私をおんぶしてくれてたあの強かった母の腕があんなに細く、軽くなっていく現実が受け止められないんです」


気がつくと香代は泣き出していた。


「もっと親孝行したいと思うのに、どう接していけばいいかわからなくて。家に連れて帰ればまた施設に行かせるのが心苦しくて…」


鬼のような娘かと思っていたけど、反対だった。

優しい娘だった。



「それでも…それでもいつかはお別れが来ます。それだけはどんな人にも平等にやってくるんです」


わかってることだけど、改めて言う。

香代は答えない。


「………」


「静江さんに対して何をしてあげればいいのか、私にもわかりません。何をしても後悔は残るでしょう。でも、何もしなかったらもっとずっと後悔しますよ」

「………」

「私たちだって、明日何があるかわかりません。でも今は生きています。生きている時にしか相手と触れ合うことはできないんですよ」

「……そうですね。まだ、何かできますよね」

「もちろん。だから静江さんとちゃんと向き合ってください。きっとそれだけで静江さんには気持ちが伝わると思うから」

「はい、やってみます」


パタンとドアが開いて、瑞稀が入ってきた。


「お母さん?おばあちゃん、なんか小さくなっちゃったねって言ったらね、お葬式の時に迷惑をかけないためよ、なんて言うんだよ!バカなこと言わないでって怒っちゃった」

「おばあちゃん、そんなことを?」

「そう、軽い方が助かるでしょって。それからね…あ、起きてきた」


瑞稀に言われてドアを見たら、静江が立っていた。


「香代、ホットケーキの素は買っておいたかい?瑞稀がお腹を空かせて帰ってくるから、オヤツの用意をしないと」

「おばあちゃん、瑞稀はここにいますよ」

「…?あ、瑞稀?」

「そう!いいからおばあちゃんは座ってて」


そう言うとキッチンへ入って行った。

静江は、写真館で見た時とは別人のようにしっかりとして見える。

自分で腰を下ろし、飾り棚にある写真立てを見ているようだ。


しばらくして、瑞稀がホットケーキを焼いてきた。

牛乳と一緒に静江の前に置く。


「おばあちゃん、自分で食べれる?」


フォークを右手に持たせて、お皿を近くまで持っていく瑞稀。

静江が食べやすいように小さく切り分けてある。

静江は、ゆっくりとフォークでホットケーキを口へ運ぶ。

もぐもぐと咀嚼し、ゆっくりゆっくり飲み込んでいる。


「はい、牛乳もね。ちゃんと飲まないと大きくなれないからね」

「おばあちゃんはもういいんだよ」

「よくない!もっと食べて大きくなって強くなってよね」


そろそろかと時計を見ると、4時半をまわっていた。

香代が予想した通り、施設には戻らないと駄々をこねてしまうだろうか?


_____そろそろ?


私は結衣に目で合図をする。

結衣も気合いを入れたようだ。


「さて、静江さん、そろそろ帰りましょうか?」

「あー、そうだ、ブラウスは?お写真撮るんだから」

「そうでしたね、ブラウスを取りにきたんだった」


香代は紙袋にブラウスを入れた。


「はい、お母さん」

「ありがと」


静江は紙袋を受け取ると、ゆっくりと歩きだす。

私と結衣はそっと補助にまわる。

駄々をこねるどころか、しっかりと歩いて戻ろうとしている。

玄関まできて靴を履いたところで、静江はそっと振り返った。


「お世話になりました。さようなら」


はっきりとそう言って深く頭を下げた。

それは誰に対してというより、家に対してのように見えた。


_____そうか、これが言いたくてもう一度家に帰りたいと言ったんだ


静江は、家にきちんとお別れを言いたかったのかもしれない。

おそらく、もうこれが最後の自宅での時間だと思ったのだろう。


「お母さん、また迎えに行くから、ね!」


香代が慌てたように言うけれど、静江にはそれが聞こえていないようだ。

そのまま外に出て車まで歩く。

まるでその足元の感覚を確かめるように、ゆっくりゆっくり。

車の窓からじっと我が家を見つめていた静江の表情には、寂しさと諦めのようなものが見えた。


_____きっとこの後は、娘と孫娘がちゃんと関わってくれるはず


そう信じた。







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