楓弥side
音楽番組の収録後、みんなが帰ったあと、スタジオにひとり残っていた永玖。楓弥が戻ると、スティックを持ったまま、静かにリズムを刻んでいた――
誰もいないはずのスタジオに、低く響くスネアの音が残っていた。
覗くと、スポットライトも落ちた薄暗い空間の奥。
えいくんが、ひとりドラムセットの前に座っていた。
無造作に流れた髪と、うつむいた横顔。
スティックがリズムを刻むたびに、心臓もどくんと鳴る気がした。
「……まだいたんですね」
声をかけたら、えいくんはスティックを止めて、こちらを見た。
表情は、何も読み取れないくらい静かだった。
「……ふみやこそ。もうみんな帰ったよ?」
「ちょっと…練習したくて。えいくんみたいになりたくて」
本当は“会いたくて残った”なんて、言えるわけがない。
えいくんは目を伏せて、静かに笑ったように見えた。
「やめとけよ。俺なんか、目指しても仕方ないって」
その言葉が、悲しいくらい優しくて。
「そんなことないです。俺、えいくんが……」
“ずっと好きでした”って言いかけて、
胸の奥で、音もなく飲み込んだ。
だって、言ったら終わっちゃう気がして。
スネアの音が遠くなって、スタジオは一瞬、息をひそめたみたいに静かになった。
えいくんは何も言わずに、スティックを握りしめたまま、膝の上で指を揃えていた。
……拒まれてはいない。
でも、肯定もされていない。
中途半端な沈黙が、どうしようもなく怖かった。
「……俺、まだまだで。全然だめで。でも、えいくんが憧れだから、少しでも近づきたくて」
言葉が空回りしてるのが、自分でもわかる。
それでも、何かを伝えたくて、追いかけたくて。
それが“憧れ”なのか、“恋”なのか、もう自分でもはっきりしない。
ただ、えいくんが違う人を見て笑ったら、胸がつぶれそうになる。
それだけはわかってる。
「……ふみや」
ゆっくりと、えいくんがこちらを見た。
その目には、なにか、言えない想いがひっかかってるような色が滲んでいて。
「おまえ、ほんとに…子どもじゃなくなったな」
えいくんの声が低く響いて、胸に直接落ちてくる。
いつもは優しくて、でも手の届かない場所にいる人が。
今だけは、まっすぐに俺だけを見てる。
「……えいくん」
一歩、近づいた。
えいくんは動かなかった。
拒まれなかった。
距離が、たった数歩なのに、息が詰まるくらい遠い。
この先に、踏み出していいのかどうか――
俺はまだ、怖くて、そのまま足を止めた。
永玖side
ドラムのリムを、コンと叩く。
乾いた音が、夜のスタジオに吸い込まれていく。
なんとなく、家に帰る気になれなかった。
疲れてるはずなのに、身体の奥のどこかがうずいて落ち着かない。
スティックを握る手に、ふと浮かぶのは、
昼間見かけた楓弥の笑顔。
後輩のくせに、無邪気で、まっすぐで。
……ずるいよ。
ああいうやつは、何も気づかないまま、
誰かをまっすぐ好きになって、幸せになれるんだ。
「……まだいたんですね」
突然かかった声に、心臓が跳ねた。
――うそだろ。
あんなふうに考えてた直後に、
本人が現れるなんて。
視線を合わせるのが怖くて、少し目を逸らした。
「……ふみやこそ。もうみんな帰ったよ?」
「ちょっと…練習したくて。えいくんみたいになりたくて」
その言葉が、優しく胸に刺さる。
おまえは、俺なんかに追いつかなくていい。
俺のことなんか、好きにならなくていい。
なのに、どうして。
どうしてそんな顔で俺を見んだよ。
言いかけた言葉を飲み込んだふみやが、切なげに唇を結ぶ。
気づいてる。
アイツは、俺をただの“推し”として見てない。
でも俺は、大人だから。
先輩だから。
バカみたいに正直な後輩を、壊すようなことは……
……できないんだ。
長く、沈黙が落ちた。
スティックを握る指に、うっすら汗がにじんでいた。
「……ふみや」
ただ名前を呼ぶだけなのに、喉がひどく乾いていた。
「おまえ、ほんとに……子どもじゃなくなったな」
声に出してしまった瞬間、
自分で言ったくせに、どうしようもなく胸が痛くなった。
あの無邪気さを守りたくて、
後輩としての距離を保ってきたのに。
どこかで、気づいてた。
あいつの目が、もう俺を“先輩”としてだけは見ていないことに。
「……えいくん」
ふうやが、一歩だけ、俺の方に近づく。
静かな足音。
それだけで心臓が跳ねるなんて、情けない。
手を伸ばせば、触れられる距離。
けど、そこを越えたら、もう戻れない。
「……ごめん」
俺は、そっと目を伏せて言った。
ほんとは、謝る理由なんてない。
けど、期待させるようなことをしたくなくて。
でも、離れる勇気もなくて。
結局俺は、
好きなくせに、
好きって言えない臆病者なんだ。
ふうやは何も言わずに、立ち尽くしていた。
暗いスタジオに、冷たい時計の音だけが響いていた。
「……また明日」
そう言って、俺はスティックを置いた。
背を向けたあと、
胸の奥にぽつんと、ひとつ、リムショットみたいな音が鳴った気がした。
コメント
3件
続き楽しみ!