テラーノベル
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夕食の後、月呼はひとり外に出る。目的は特にない。悲しいことがあると、無性に街をうろつきたくなるのだ。
「うう……」
とぼとぼと歩きながら涙が出た。倒産、自己破産。食卓の席でショッキングなワードが飛び交った。両親としては苦渋の決断だったろう。月呼は娘として気がついてあげられないことが悔しかった。歳之のようにすぐには気持ちを切り替えられない。
大学院まで進学させてもらう分、社会人になったら毎月給料の一部を親にあげ、受けた恩に報いると考えていた。月呼は親に甘えすぎていたと猛省する。二十一歳の今まで、店をたまに手伝うくらいで、アルバイトをしてこなかった。もちろん、両親としてはそれでじゅうぶんだったのだが、月呼は自分を責めた。
「大学院進学は諦めよう……」
涙をふき、冬の夜空を見上げる。月呼の目にプロサッカー選手の看板が飛び込む。それはビルの屋上にでかでかと飾られていた。
「桟明日都(かけはしあすと)――」
桟明日都はサッカー日本代表選手であり、欧州の強豪クラブに所属している。兵庫県神戸市出身ということもあり、兵庫県民、特に神戸市民にとっては馴染み深い人物だ。サッカー部の弟たちにとっても憧れの選手である。先日、指定難病患者を支援する団体に五百万円を寄付したと発表していた。
「五百万円も寄付できる財力がうらやましい」
月呼の口から思わず本音が漏れる。
「って、桟明日都がそれくらい稼いでいるのは当たり前でしょ、私。日本のサッカー史上最強と言われているくらいすごい選手だもの、桟明日都は」
その後も月呼は歩きながら色んな建物を見た。今度はとある女優が載っている看板が目に飛び込む。彼女は女性アイドル歌手グループのメンバーだったが、グループ卒業後は女優に転身していた。
「いいなあ、芸能人は。企業と広告契約するだけで、大金が稼げるんだから」
月呼は自分の頬を触る。大きな目にぽってりとした唇、卵型の輪郭。幼い頃から、月呼はその容姿をしょっちゅう他人にほめられていた。高校時代、同級生からアイドル歌手のオーディションを受けるよう勧められたこともある。歌やダンスに興味がなくて右から左だったが、それが運命の分かれ目だと思うと、今ではオーディションを受けるべきだったと考える。
「……って、自分がオーディションを受けていたら売れっ子芸能人になっていたって考えるなんて、自惚れみたいで嫌だ」
月呼は首をはげしく左右に振る。「帰るか」とつぶやいた。
「はーあ。宝くじが当たらないかな……」
元来た道をたどりながら、道端に落ちていた小石を蹴る。
「私、ツキを呼ぶで月呼なのに、昔からくじが当たった試しがないんだよなあ……」
同じ小石をもう一度蹴ろうとした時、月呼の三メートル先でひとりの老爺がよろける。その弾みで彼が両手に抱えていた荷物が落ちた。コンビニエンスストアから放たれている光がその姿を照らす。スーツの上からコートを着ていて、シルクハットを被っている。後ろ姿だけでも、紳士的で、社会的地位が高そうな印象を抱く。
月呼は走って近寄った。手を貸さなければならないと、本能的に体が動いていた。
「お爺さん! 大丈夫ですか?」
「ありがとう」
地面に落ちていた紙袋を相手に渡そうとする。けれども、老紳士が荷物を持って歩いても、またよろけそうだと感じた。
「よかったら目的地まで荷物を持ちますよ」
「ありがとう。この先のバス停まででいいよ」
月呼は荷物の半分を持つ。ふたりは横並びで歩く。
「……お嬢さんは学生かい?」
「はい」
「どこの大学に通っているの?」
「神武庫(じんむこ)大学です」
「名門国立大学じゃない。頭がいいんだね」
「小さい頃からエジプト考古学が学びたくて」
「エジプト?」
老紳士が月呼にとって第二の国の名前に反応を示した。
「好きなんですか?」
「いや。ただ――なんでもないよ」
なぜそこで言葉を濁すのか気になるが、月呼は言及しない。
「神武庫大学の文学部にはエジプト考古学の第一人者の教授がいて、エジプト考古学が学べることで有名なので。神武庫大学に入りたいと思ったのは小学生の時でした。だから、私は大学受験合格を他の人より早くに目標としていただけです」
会ったばかりの女子大生の身の上話にも、老紳士はにこにこと笑って聞いている。月呼は初対面の老紳士と話すことで辛い現実を忘れられていた。
そんな老紳士の穏和な態度が、もともと多弁な月呼の口をいっそういきおいづかせる。
「――ピラミッドに興味を持ったきっかけは、家族で初めてエジプト旅行した際での母の言葉でした」
「お母さまはどんな言葉を言ったのかい?」
「ナイル川を見ながら『ピラミッドが建てられた時代にも、このナイル川は流れていたのよ』って。私は日本で例えると縄文時代の頃の人たちと同じものを見ていることに感動しました。その時に見たナイル川の美しさは一生忘れないでしょう」
「へえ」
ただ、ずっと研究者になりたくて勉強してきたものの、親の経済状況から違う道に進まざるを得ない――という事実は口をつぐむ。
それからも月呼が話して、老紳士が相槌をうつという流れが続く。
「ナポレオンのエジプト遠征でロゼッタ・ストーンが発見され、シャンポリオンを含む人間がそれに書かれている文字を解読したこと。まるで小説のようなストーリーが現実にあったことと思うだけで、私はわくわくとするのです」
月呼のトークは止まらない。老紳士はなにを話しても声に出さずに笑っていた。月呼はだれかがここまで自分の話をちゃんと聞いてくれるのも久しぶりのことだと感じる。
ふたりはバス停に到着した。月呼は老紳士に荷物を返す。
「こんな老いぼれに親切にしてくれてありがとう。そうだ。これ、もらってくれないかな? パーティーの出し物の景品としてもらったものなんだけれど」
老紳士は月呼に一枚のチケットを渡す。それは国内ツアークルージング旅行の招待券だった。チケットにはエジプト料理が食べられるとも書いてある。月呼はそれでさきほど老紳士がエジプトという言葉に反応したのだと悟った。
「えーっ! いいんですか!」
荷物を持って一緒に歩いただけで豪華客席に乗れる権利をもらうなんてと、大きすぎる対価に戸惑った。
「足腰も弱くてね。体力的にきびしいから。もらってくれるほうが助かるよ。家に妻をおいてひとりだけ旅行するというのも――妻も旅行には興味がないし」
月呼はもう一度チケットを見る。このチケットで乗船できるのはひとりだけのようだ。
「お嬢さんが行かないとなると、このまま家のゴミ箱行きだ」
「それはもったいないですね。では、ありがたくもらっておきます」
「それに、エジプトが好きなお嬢さんが行く方が有意義だろう」
「ありがとうございます。旅行、楽しんできますね」
老紳士と出会うまで泣いていたというのに、月呼の気分は最高潮だった。自分はやっぱりツキを呼ぶ月呼、だと。
#探偵
橘靖竜
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おだんご🍡
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コメント
1件
第2話、読み終えました。家族の倒産という重い現実に打ちのめされながら、街を彷徨う月呼の心情がとてもリアルで胸に迫りました。老紳士との偶然の出会い、そしてエジプト考古学への熱意が彼女の口を滑らかにさせる展開は、読んでいて温かい気持ちになりました。特に「ナイル川はピラミッドの時代から流れていた」という母の言葉が、月呼の原動力になっている描写が美しかったです。老紳士がエジプトという言葉に一瞬見せた反応や、クルーズチケットが「ひとりだけ」である点、今後の展開への伏線として気になります。明るい兆しが見えた終盤、次話が待ち遠しいです。