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リフェアリー
128
三月の終わりに、ひかりが、言った。
「お兄ちゃん。私、水車を作りたい」
峠の小屋だった。雪は、まだ残っていたが、川の音が、大きくなっていた。
「水車」
「村の、米を搗くのに、今、全部、手でやってる。杵と臼で。一日に、一軒分。水車があれば、十軒分。下流の村に、昔の水車の跡がある。石の台が残ってる。木を組めば、動く」
「作ればいい」
「作れない」ひかりは言った。「木は、山にある。でも、切って、運んで、組むのに、人が五人、一ヶ月要る。五人が一ヶ月、他の仕事をしない。その分の証は、誰が払うの」
要は、ひかりを見た。
「水車ができたら、米を搗く仕事が、十倍速くなる。速くなった分、村の人は、他の仕事ができる。その分、証が増える。でも、それは、水車ができた後の話。今、五人分、一ヶ月分の証が、要る。百五十枚くらい」
「百五十枚」
「私、持ってない。村の蔵にも、そんなにない。組合の蔵は、運の悪い家のためのもので、水車のためじゃない」
要は、ノートを開いた。
顔。三冊。割符。評判。手形。証。組合。
七つ目まで来た。七つとも、今あるものを、動かす仕組みだった。今ある米を、今ある味噌と、交換する。今ある証を、今の運の悪さに、使う。
ひかりが言っているのは、違う。
まだない水車のために、今、証を使う。
未来の価値を、現在に、持ってくる。
「……貸す、だ」要は言った。
「貸す?」
「誰かが、百五十枚を、今、お前に貸す。お前は、水車を作る。水車ができたら、米を搗く仕事で、証を稼ぐ。稼いだ証で、百五十枚を、返す。少し、多めに」
「多めに」
「貸した人は、百五十枚を、半年、使えない。その間、自分が証を使えば得られたものを、得られない。だから、返すときは、百五十枚より、多く返す。百六十枚とか」
「それ、利子」
「利子だ」
ひかりは、眉をひそめた。
「利子って、なんか、嫌な感じがする」
「嫌な感じがするのは、正しい」要は言った。「利子は、貸した人が、貸さなかった場合に得られたものの、代わりだ。それ以上を取ったら、搾取になる。それ以下なら、誰も貸さない。ちょうどいい利子は、誰も決められない。だから、嫌な感じがする」
*
誰が、貸すか。
要は、三つの村の人間を、思った。百五十枚を持っている人間は、ほとんどいない。期限があるから、貯め込まない。貯め込まないから、一人で百五十枚は、持っていない。
一人で持っていないなら、十人で。
「十人から、十五枚ずつ」要は、ひかりに言った。「十人が、お前に、十五枚ずつ貸す。半年後、お前は、十人に、十六枚ずつ返す」
「十人が、私を信じてくれる?」
「信じない。水車を信じる。水車ができるかどうかと、できたら、本当に十倍速くなるかどうかを。それを、十人が、判断する」
「判断、できる?」
「できる。十人は、米を搗く仕事を、知ってる。水車の跡を、知ってる。お前が、木を組めるかどうかを、知ってる。知らない相手に貸すんじゃない。知ってる相手に、知ってる仕事のために、貸す」
「それ、お兄ちゃんのいた銀行と、どう違うの」
要は、答えに詰まった。
違わなかった。銀行がしていたのも、これだった。未来の価値を、現在に変える。貸して、利子を取る。違うのは、一つだけだった。
銀行は、知らない相手に貸した。記録を信じて。
十人は、知っている相手に貸す。顔を見て。
「違うのは、距離だ」要は言った。「銀行は、遠くの他人に貸した。これは、十キロ以内の、顔を知ってる相手に貸す。狭い。でも、壊れない」
*
十人は、三日で、集まった。
木曽から四人。隣村から四人。下流から二人。米を搗くのに、苦労している家。水車の跡を、見たことがある人間。ひかりが木を組めると、知っている人間。
峠の小屋で、紙を、書いた。
『土師ひかり、水車建設のため、証百五十枚を借用。半年後、百六十枚を返済。貸し手、十名、各十五枚。返済は各十六枚』
十人の名前。ひかりの名前。三人の立会いの印。三冊の台帳に、写し。
ひかりが、署名した。
要は、その署名を見ていた。妹の、字だった。小学生の頃と、あまり変わらない字。
大剥離の前、要は、毎日、何万件もの貸付を、システムの中で見ていた。数字が、動くのを。誰の顔も、見なかった。
今、目の前で、一件の貸付が、紙の上で、成立していた。十人の顔。一人の署名。三つの印。
「これが」要は、小さく言った。「資本主義の、心臓だ」
誰も、聞いていなかった。ひかりは、百五十枚の証を、数えていた。十人は、ひかりを見ていた。隣村の孫は、三冊目に、写しを書いていた。
要は、ノートの隅に、書いた。
『八、貸す』
書いてから、少し、手が震えているのに気づいた。
怖かった。嬉しかった。両方だった。
貸すことは、信じることだった。十人が、ひかりの未来を信じた。信じて、今の証を、手放した。その信じ方は、記録ではなく、顔でできていた。
壊れるかもしれない。水車が、できないかもしれない。ひかりが、返せないかもしれない。そのとき、十人は、十五枚ずつ、失う。
でも、十人は、それを、知っていて、貸した。
「お兄ちゃん」ひかりが、顔を上げた。「水車、絶対、作る」
「絶対は、ない」要は言った。
「わかってる。でも、作る」
要は、うなずいた。
峠の外で、川の音が、大きくなっていた。雪解けの水が、谷を、下っていた。その水が、半年後、水車を回す。たぶん。
コメント
1件
第30話「貸す」、めっちゃ良かったです……! 要が「資本主義の心臓」って言ったところ、すごく刺さりました。顔の見える距離で、知ってる相手に、未来を信じて貸す。銀行との違いが「距離」って表現、すごく分かりやすくて震えました。ひかりの「絶対作る」も、子供っぽいけど力強くて好きです。水車、ちゃんと回ってほしいな…続きが気になる(涙)