聖女が西へと去った。
10日近くが経過している。カドリはヘリック王子について、情勢の把握に努めていた。
いまは、青い服を身につけた伝令が報告をヘリック王子にしている。青い制服は北方、オコンネル辺境伯領のものだ。
「くそっ!どうなっているっ!」
きれいな赤髪をかき乱して、ヘリック王子が声を荒げる。
(当然だろ)
今までにも何度もカドリも伝令と同じ危惧を聞かせてきたのだが。話半分にしか聞いてくれていなかったようだ。
「北方、レグダの前線で食い止めてはおりますが、魔物の数があまりに多く、崩壊しかけております。至急、中央から応援を、と辺境伯領閣下からの要請であります」
伝令が緊張した顔で告げる。
聖女が絶えず結界を維持してきたから魔物の数が押さえられていたのだ。倒すだけが聖女の効能ではないのである。
当然、引き止めに失敗した自分にも責任はあると思っていた。
伝令をヘリック王子が手振りで退出させる。
「悪かったな。聖女の出国を阻止できなくて」
カドリはひと目の少なくなると告げる。
(同胞も、やられてしまったか )
出してしまった犠牲について、カドリは痛恨の思いである。すぐに動けて、追いつけそうな同胞がオオツメコウモリだけだった。
(彼は勇敢に過ぎた)
首尾よく追いついて単身で突っ込み、あえなく聖女とレックス皇子に敗れた。
「いい。まさか、即日、持ち帰られるとはな。それも他国の皇子に。くそっ、あの女め」
ヘリック王子が侍らせているメイヴェル公爵令嬢の肩に手を回して言う。
「ほいほいと渡りに船とばかりについていくなんてな。もう少しは、この国に愛着があるかと思っていたが」
恥も外聞もないことを、臆面もなくヘリック王子が言う。
「そうよぉ、あの平民女が悪いのよぉ。カドリさんは悪くないわぁ」
ケタケタと笑ってメイヴェル公爵令嬢が口添えする。まったく嬉しくはなかったのだが。
昼日中からイチャイチャとくっついているのだった。
「誰が悪いにせよ、厄介なことになった。今まではただ聖女フォリアを送り込めば、魔物の襲来は時間が解決してくれたが、これからはそうもいかない」
カドリは冷静に告げて軌道を修正する。
今、もっとも火急の報せを寄越しているのは北方オコンネル辺境伯領だ。想定を遥かに押し寄せる地属性の魔物に襲われているとのこと。
(このまま放置しては人間側が押し込まれる)
聖女フォリアの出奔により、血を流すのは一般の兵士や国民なのだ。
イワガネタマムシといった大物の姿も見られたという。
「現地の軍だけでやれるだけやらせるしかないだろう」
ヘリック王子が他人事のように言う。
(こんなのでも一国の王子だからな)
カドリは思うも反抗しようとも思わなかった。
(上などいくら愚物でも構わない)
カドリはかねてから思っていた。
王侯貴族といった政治家が秩序を体現し、教会や聖女といった面々が信仰を集めて人々の力となす。
(では、私はどうか)
カドリは決して敬意を払われることのない我が身について思う。領地を持つが貴族ではない。雨を呼んでもらわなくてはならないから、食わせないわけにもいかない。それで、人々が自分の先祖に領地を持つことを許した。
代わりに没個性的であることを求められたのだ。長ずると個人としての名前すら失い、『カドリ』と自称することとなる。
むしろ、蔑まれて便利に扱われてきた一族なのだった。
「そういうわけにもいかない。現地の人員は限られていて、もともとギリギリだったところに負担が増したんだから」
カドリは更に言い募る。
「真面目だなぁ、カドリは」
ヘリック王子の呑気な言葉に、メイヴェル公爵令嬢がクスクスと笑みをこぼした。
「人命がかかっているのだからね」
カドリとしては当然のことなのだった。
「聖女と殿下がどうあれ、そこで暮らし、魔物と対峙している人々には関係ない。ただそれぞれの戦いがあるだけだ」
更に思うままカドリは言葉を紡いでいく。
敬意を払われることはない。つまり言葉にもなんの重みもないということだから、好き放題に言うことを許されているのだ。
口調が自由である代わりに、ヘリック王子の心に自分の言葉が響くこともないのだった。
「実は、もう私の方で対策は打ったんだよ。聖女のいなくなった教会の兵団がいただろ?あの連中を激戦区に送り付けてやったよ。教主の奴の顔が見ものだった。領民の命がかかってる。拒むに拒めなくて酷い顔をしていたさ」
得意げにヘリック王子が自らの為した悪手を披露してくれた。
(私にそんな悪趣味はないんだが)
カドリは言葉を呑み込む。
聖女フォリアも一人きりで戦ってきたわけではない。護衛の戦士団が20名ほどつけられていた。
それらは全て、教会に仕えていた信者たちである。ヘリック王子が動かせる人々ではなかった。
(恫喝したな)
聖女フォリアの出国を認める代わりに教会に言うことを聞かせたのだろう。聖女フォリアを人質にしていたから、戦士団も是認した。
「そうするとレグダの前線かな」
王国北部の地勢を思い浮かべてカドリは告げた。
「いや、そこから更に押し込まれて、今、前線はウェイドンの村だよ」
さらりとヘリック王子が言う。
既に国土を若干、魔物に削られたということではないか。
「ま、聖女の家来どもはまだ森で粘っているらしいぞ?あんなとこで踏みとどまって何がしたいのやら。私には理解しかねるな」
村人に犠牲を出したくないから、退がらずにいるのだろう。カドリにもよく分かる発想なのだが、ヘリック王子には分からないらしい。くっくっと笑みを漏らしている。
「笑い事じゃないぞ、殿下。百戦錬磨の屈強な戦士たちだ。無駄遣いしていい戦力じゃない。もっと有効に使わないと」
長年、人心を集めてきた聖女フォリアにヘリック王子が嫉妬している向きもあった。長年こじらせていた思いで、聖女フォリアの関わるもの全てが憎たらしくてしょうがないらしい。
「フォリア以外、主君と認めない、頑迷な連中さ。使い捨てにするより他ないではないか。私の指示を聞かないのだから。カドリ、君とは違うよ、君とは。君は本当にこの国を思って、いつも私に力を貸してくれるじゃないか」
使いこなせない以上は死なせる。ある意味、筋は通っているのだった。
代々、カドリは王族に害をなさない。これも長年の決まりごとだった。幼いうちに面通しされて学友ともされる。
「だが」
カドリは言葉に詰まる。やはり聖女の護衛団。戦力としては惜しいのであった。
「そんなに言うなら、君が行ってこいよ」
ヘリック王子が若干うんざりした調子で告げる。
予定調和ではあった。聖女がいない以上、自分も力を尽くすよりほかないだろう。
(出来るか分からないが、やるしかないか)
自分も聖女の追放に一役を買ってしまっていたことはカドリも分かっている。
あの宴会場での歌。カドリの歌声であの場にいた人々は催眠状態に近かった。
だから、皆、聖女の追放などという暴挙を受け入れたのである。
(王族に逆らってはならないとはいえ。聖女追放に加担し、止めることにも失敗した)
カドリとしては、そうするしかないというところ、客観的には罪深い存在なのだ。
「君が魔獣を撃退してくればいいさ」
こうして、カドリはヘリック王子の命令を受けて、北方オコンネル辺境伯領へと旅立つのであった。
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