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僕の家は変わり果てていた。厭、恐らく端から何も変わってはおらぬ。強いて挙げるとするならば、この浮世自体が変わったのだ。見渡す限り、そこはただの畑であった。通祭りの時から感じていた違和感は此処にあった。まるで別の世。もしや此処は彼岸なのであろうか。
それはそれとして、家に帰られぬ、母に会えぬ寂寞の思いに思わず涙が出そうであった。半ば焦りに似た燻りも相まって、取り返しのつかぬほどどくどくと溢るる。母の言葉を思い出した、涙を拭かず、隠さずに徹した。此を行えば、男らしくないからだ。だけど、母は死んだとは思えぬ。一時だけただ会えぬものと考えて、一度涙を止めることに努めた。
「大丈夫でしょうか。平生では無さそうです。確認したいことは出来ましたか。」
狐面の女子は、泣いた僕を心配しておどおどしていた。放っておけばそのままもらい泣きしてしまいそうなほどだ。大丈夫。とも言うが、かすれた声では大丈夫なように思えぬ。意を決して、僕の頭を引き込んでくれた。その温度に僕は母を思い出した。嗚呼、女性とはまこと強いものだ。
「もし、其処の人。道に立ち尽くしてどうした。」
あ、はい僕ですか。
「道祖神様にお参りするなら、此道を真直ぐ行ったところに居らっしゃる。私もちょうど行くところで、一緒に行かないか。」
立ち尽くした僕達を見かねて声をかけた成人の男児は信心深い様だ。家も無いなら帰る先も無くなった僕は半ばどうなってもいいという心持ちで着いていくことにした。男児が盗人であろうと(男児から見るに僕の方が盗人に見えるやもしれぬが)そうでなかろうと八銭しか身銭がない。女子も僕の心持ちを分かっているはずだ。僕と男児は共に疑り合い、共に潔白を記したいのだ。此処に馴染みあるようで馴染みが無い。通祭りが過ぎてからというもの、案内されてばかりだ。
「ついてきなさい。此方だ。」
首を一度縦に振って、黙ってついていく。5人並んで歩けそうなほどの道を逸れて、山道へ入る。森が生い茂っている。
「見ない顔だが、此処まで如何にして来たか。」
分からない。昨日の通祭りから文字が反転したり、民衆が逆向きに歩いたりしているんです。身銭はほとんどありませんから、心細いのです。それを皮切りに、男児は突然立ち止まり向き直ってきた。その顔は真剣其のものだ。
「其の言葉、真か。」
偽りは一つも無い。ただ事実を述べたのみ。
「であるならば、一度通祭りの行われた神社に戻るが良い。神主を訪れなさい。口下手故俺は言葉ではうまく説くことができぬ。」
曰く、男児は本当に信心深いだけの人様だ。盗人ならば神社に行き、悠長に神主の言葉を聞く筈が無い。あい分かった。忙しいでしょうから、通祭りが終わりましたら訪れます。
「其れでは遅い。今から道祖神様ではなく神社にお参りしよう。心苦しいが火急故致し方ない。」
其の変わり様に僕と女子は不可思議に顔を見つめ合った。歩く方角もがらりと変わった。
神主曰く、僕は別の浮世に迷い込んだようだ。此処は彼岸では無い。祭りとは、ケという神々の浮世とハレという人々の浮世を繋ぐ通り道。詰まり、ハレとは日常のことで、祭りはハレの為の非日常のことであり、ハレとケの境界を曖昧にさせるもの。僕はその祭りという道を通った神隠しの様。この場合は人隠しである。知恵熱が出るような話だ。しかし、あまり無いおつむを全て使い、一つの疑問が浮かび上がる。
其れは、僕のもと居た浮世はあたかも神々の浮世であるかの様な言い草。斯様な事実は存在せず、寧ろハレとケの扱いや心持ちは逆な様にも思えます。其れは何故でしょう。
神主続けて曰く、斯様な事実は初めて聞いたと。であれば、神々の浮世にも何方かが此方から行く者が居る可能性が存在する。所謂神隠し。さて問答だが、文字が反転していることを鑑みると、浮世全体がハレとケのように反転していると考えらます。文字、歩み、文化、地理までも。
帰る場合は如何にすれば良いでしょう。僕は帰りたいのです。と言うと、女子は目を見開いた顔を此方に向けたように感じたものの、僕は続けることにした。
神主は首を横に振って答える。私には分からぬ。分からぬが、貴方ならば分かる。帰る手立ては必ず在る。ハレとケの境界を曖昧にする通祭りのみ可能。ということです。
考えども考えども、僕にも帰る手立ては分からぬ。この場は一旦離れて、一度女子の家に帰って頭を冷やしたいと思った。
貴方はそう思わないかもしれませぬが、貴方は私たちにとって神にも同然。お帰りになるのであれば、全面的に援助しましょう。
「お帰りなさい。何か収穫がありましたか。」
女子の母は開口一番にそう聞いてきた。きっとこの方も何故か僕が早っていること察している様。僕は事の顛末を全て話した。
「それは大変でしたね。ですが、神主は貴方にしか分からないと仰ったのでしょう。」
ええ、そう仰いました。
「なれば、きっと心配ならずとも良いでしょう。今日を含めてまだ二日あります。ご飯になさいますか。」
ええ、そうですね。また、貴女にお祭りの案内お願いするでしょう。ご飯は今食べる気になりません。申し訳ございません。女子はずっと俯いたり、顔を赤くしたりと忙しない。無意義にも僕の散歩に付き合ってくれたことを踏まえて、敢えて聞いてみようとも思ったが、失礼かもと思い、留まった。