暑い朝。
後から思い返せばアタマ湧いてた発言。
「アタシ、デートを見守ってばっかりやん。1回アタシ自身がデートしたいねん」
桃太郎がしなっと足を折り曲げた。
「ま、まさか余を……」
「ちゃうわ! 何で怯えた目でアタシを見るねん!」
アタシは怒鳴る。
桃太郎なんて論外や。ありえへん!
このアパート内で考えると……うん、そうや。見た感じだけならかぐやちゃんが断然いいけどな。
ああ、花阪Gも可愛いかんじやな。勿論それも見た目だけ。
「うちはお姉があんな感じやろ。だからアタシ、ずっと弟が欲しかってん。カワイイ弟な」
そう言うと桃太郎はポッと頬を赤らめた。
「……間違ってもアンタみたいな人間ちゃうで。て言うか、アンタ年いくつなん?」
「余、余は桃から生まれたので……」
「それは分かったって! いや、分からんけどいいわ。だから、何年前に桃から生まれたん?」
桃太郎は年齢不詳の顔をおかしな具合に緩ませた。
「余には幼少期の記憶が……。母君が不慮の事故で痔になったという噂がゴニョゴニョ」
誤魔化している。
しばらくムニャムニャ言ってから桃太郎はパッと顔をあげた。
アタシの顔をじっと見る。
「姉君っ!」
「アタシはアンタのお姉ちゃんでも、お母さんでもないわッ!」
奴の頭をパシッと叩く。
ああ、不毛なやり取りした。もういいわ。
自分で自分が恥ずかしくなって、アタシは部屋を出た。
桃太郎が慌てて追って来る。
「姉君、どこへ!」
「トイレや! 姉君ちゃうし、付いて来んな!」
──しかし、今日の不毛騒動はそこだけでは終わらなかった。
階段降りてトイレまで来てから、アタシのガッカリ度は更に増幅した。
内股でうらしまが身をくねらせている。
トイレの前をウロウロ歩いてる。待ってるんか?
誰が長便なんやと思ったけど、中に人の気配はない。
「何してんの、うらしま? 入ったらいいやん」
「あっふ……ん、もうちょっと……」
何でや?
奴は限界間際の顔だ。額から血の気が引いている。
でも表情はどこか嬉しそうだった。
コイツ、最近お姉に構ってもらえないもんやから、遂に自分で自分を苛めだしたか。
「お、己に極限までの我慢を強いている……いや、強いられているという快感。更にその後の放尿の快感…二重の悦びのためにぼ、僕は今……」
冷や汗がダラダラ流れていた。
つまり、トイレ限界チャレンジを試みてるんやな。
いいわ、放っとこ。
そう思ってトイレのドアノブに手をかけた時だ。
突然お姉がやって来た。ドスドスと足音が荒い。
珍しくご機嫌斜めの様子。
手には荷造り用のヒモを持っていた。
やたらキョロキョロ、辺りを窺っている。
ヤバイ、怖い!
16年間、身に染み付いた危機意識でアタシは咄嗟に柱の影に身を隠した。
「キャハァーーッ!」
逃げ遅れたうらしまが捕まっている。
キャハーと悲鳴をあげながらも、奴は嬉しそうだ。
お姉は物も言わずに奴をふんじばっている。
細いヒモなので食い込みがキツイのだろう。
奴はキャーキャー嬌声をあげながら引きずられていった。
ゆっくりトイレをすませて出てくると、今度は建物自体がカタカタ振動していることに気付く。
ドンドンと音が響き、その度に天井からゴミやホコリが落ちてくる。
「屋根の上に何かいる!」
──どうせロクなもんじゃないやろうけどな!
そう思いながらもアタシは外に飛び出した。
勢い込んで駆け出したものの「おおっと!」とすぐに立ち止まったのは、人の壁にぶち当たったからだ。
「何や、何や?」
アパート玄関先に全員集合している。
桃太郎にワンちゃん、カメさんにオキナ、かぐやちゃんに花阪Gまで。
ちょっと離れた所にお姉が高慢ちきそうに顔を傾けて上方を睨んでいた。
その視線を追って、アタシはゲンナリ。
溜め息をついたものだ。
「キェッ! キャーッ!」
屋根の上でうらしまが金槌振り回してる。
修理やろうか。
胸と腰をヒモで縛られ、その先は近くの木に括り付けられていた。
「あのヒモ、ひょっとして命綱?」
高い所で衆人環視の下、縛られているものだから、うらしまのテンションは異様に高い。
その様は、やはり義妹としてはかなり痛い。
「昨日の大雨で屋根が壊れたのよ。2─2から4号にかけて大規模な雨漏りよ」
お姉が憤慨している。
このアパート、満身創痍やな。
建付けも悪いし、傾いてるし。その上、雨漏りもきたか。
「何なの、あの局地的豪雨。うちのアパートだけみたい。ご近所には一滴も降ってないらしいじゃないの」
「うわぁ……」
その局地的豪雨の原因、アタシ知ってる。
チラリと原因を見るとかぐやちゃん、桃太郎、オキナの雨乞いトリオは素知らぬ顔してうらしまにヤジを飛ばしていた。
下らない企画は立てまくるのに、こういうところでのイニシアチブはとらないんやな。
「うらしま殿、そーっと動くのじゃ」
「クギが足りなめなんじゃない~?」
「ピンポイント爆撃に気をつけろ!」
そういや隕石騒動の時も、うらしまが修理を一手に引き受けていたな。
こういうことが得意なんやろか、とはアタシも思わなかった。
アタシの義兄はお姉に褒められたくて、ひたすら忠犬のごとくシッポを振っているにすぎないのだ。
「ガンバレ! うらしま」
自分でも思いもよらなかった涙が、応援と共に零れた。
「ガンバレ、うらしま!」
「がががんばってくださいぃ」
「がんばれぇがんばれぇ…………」
ワンちゃんと花阪Gの頼りない応援も続く。
「うらしま、滑りやすいから気ぃつけや!」
「大丈夫だよ。ありがとう!」
屋根の上からうらしまが手を振った。
アタシたちの間には、この時確かに兄妹の絆が通っていたのだ。
ハラハラしながら義兄を見守る。
「滑るなよ! 落ちる瞬間はフワッと浮遊して、手足の爪先までピンと気持ちよく真っすぐになるねん。それで絶妙なバランスを保ちつつ、キレイに両尻から地面に落ちていくねん。落ちた直後はショックと興奮で痛みはないけど、しばらくしたらジンジンくるんや。で、おふろに入った時、スリ傷に気付くねん。ジンワリ痛むんや。屋根から落ちるってのはそういう経験や。だからうらしま、気をつけろ!」
「実に説得力があるよのぅ」
桃太郎が小さく呟いた。
経験のある女子(おなご)は違うのぅと横目でアタシを見る。なんかイヤやなぁ。
でもアンタもあの騒動の時、一緒に落ちたやん。
あの時、アタシは必死になって宇宙人を探してたっけ。
何であんな心境になってたんやろ。
屋根に登ったって、ヤツらが見付かるわけでもないのにな。
あれは我ながら悲しい記憶、痛ましい思い出や。
ちょっと遠い目になって空を見た瞬間。
「あっふぅーーーーーーん」
間の抜けたあえぎ声を放ってうらしまが足を滑らせた。
アタシらの目の前に降ってくる。
腰からストーンと着地した。
「あふっ……! あっふ……!」
地面をのたうち、苦しんでいる。
「アラアラ」
お姉が奴の元へ歩み寄った。
「命綱、役に立たなかったわね」
「あふんっ……」
お姉、ちょっと嬉しそうだ。
うらしまもかなり幸せそうに見える。
「付いていけんわ……」
アタシは目をそらせたのだった。
原因は分かってる。命綱が長すぎるねん。
その夜のこと。
みんなは1─1号──この狭い八畳板間で和気あいあいと食事をした。
一見仲良さそうに見えるけどコイツら、一家団欒って間柄とは違うで?
よくよく考えたらディープな関係や。
SとM、赤毛に変人、乙女に心霊少年、ヘンな子……濃い~面子(メンツ)揃ってにこやかに食事している。
ホンマに変な光景やで。
その誰もが寝たきりのうらしまのことは無視や。
本日の功労者はコイツなのに。
哀れなことに、お姉ですら知らん振りしてごはん食べてる。
「うらしま、これ食べや」
アタシはお盆におかずを乗せて奴の元へ運んでやった。
せめて義妹として、アタシだけでも優しく接してやらなきゃ。
部屋の隅に布団敷いて横たわっていた身体を、うらしまはヨボヨボと動かして起き上がる。
「カメさんお手製の生姜焼きと野菜炒め、ご飯に味噌汁。お新香と梅干しもついてる。ホラ、カンペキな夕食やで。食べ」
するとうらしまは、その中からわざわざ梅干しをチョイスした。
「あふんっ!」
酸っぱかったのだろう。口を尖らせている。
でも悲しいかな、誰も見てない。
「32.鉄ゲタ事件~不毛ヘンタイ兄妹参上!」につづく