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突然だが
俺の個人的な “店長ムカつくポイント” をひとつ挙げておこう。
それは
──料理が、めちゃくちゃ美味い。
……なんかもう、腹立つくらいに。
煮込みハンバーグは箸で切れるし、グラタンは表面が香ばしくて中がとろとろ。
おまけに気まぐれで出す賄いが、ちゃんと美味いってどういうことだよ。
(まあ、珈琲は萌香に負けてんだけどな。そこだけは救いだ)
たぶん佐藤家の血かなんかだ。
叔父だか祖父だか知らねぇが、DNAレベルで“喫茶店力”が高いのかもしれない。
それがまた──
「俺のバイト、続けざるを得ない感」に拍車をかけてくる。
……まったく、こういうのを**“美味いは罪”**って言うんじゃねぇのか。
なんて考えていたら、再びドアベルがカランと鳴り、ひとりの男が弾んだ足取りで入ってくる。
「おー!五千円当たったよ、大ちゃん!」
陽気な声に、厨房の奥から顔を出した大吉が驚いたように言う。
「ほんとっすか! やったね、英ちゃん」
「おーう」と言いつつも、全然席に着かず、まずは店内をうろうろ。
メル婆さんの席の横で立ち止まり、
「おっと、今日はメルちゃんもご出勤かい?お嬢さん、美猫ですなぁ〜」
「ニャア」
「……陽気と騒音は紙一重だな」
五十嵐は、そっと音量を絞るように心の中で突っ込んだ。
「コーヒー?それとも紅茶?」
大吉が問う。
「どっちも!あと、できればマスターの特製サンドも頼みたいねぇ〜!」
「朝から重てぇな……」
五十嵐がボソリと呟いた声は、かろうじて届いていなかった。
笑いながら言葉を交わす二人の様子は、まるで親しい兄弟のようだった。
カウンターの奥でその様子を見ていた五十嵐浩二は、コーヒーを注ぎながら小さくぼやく。
(……一つ言っていいか? お前ら、兄弟か)
顔は似ていないし、性格も真逆に見える。
だが、気安さだけは血縁を思わせる。
《燈》には、そんな妙な間合いを持つ人たちが自然と集まってくる。
理由はよく分からない。ただ、ここに来ると、誰もが少しだけ柔らかくなる。それだけは確かだった。
英二は、テーブルに置かれたコーヒーを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「やっぱ、マスターが“大吉”って名前だから、運が巡ってきたんじゃねぇかと思うんだよなぁ」
それを聞いた大吉は、口元を緩めて軽く応じた。
「じゃあ、それは俺の功績ってことになりますね」
一瞬の沈黙。英二が、わずかに眉をひそめて問い返す。
「……は?」
大吉はすぐさま手をひらひらと振って、笑った。
「冗談冗談。そんなわけないでしょ」
その軽さに、英二は苦笑した。
カウンターの内側で様子を見ていた五十嵐は、黙ってグラスを拭きながら心の中で毒づく。
(ほんとだよ。……んな訳ねえだろ)
カウンター越しに二人のやりとりを眺めながら、五十嵐浩二はグラスを拭く手を止めることなく、心の中でぼやいた。
(はぁ……なんで、萌香の親戚が、こんなにも適当な男なんだ)
喫茶店「燈(ともしび)」の厨房に立つその男──佐藤大吉は、冗談半分に笑いながら、客と気楽な会話を交わしていた。
のらりくらりとした態度に、どこか憎めない人懐っこさ。けれど、どうしても性に合わない。
五十嵐は、思わず深いため息をつきそうになるのをぐっと堪えた。
(……もう少しまともな叔父さんはいなかったのか?)
もしも運命に抗う力があるなら、いま真っ先にその「血縁」という厄介な宿命に、ひと太刀浴びせたい。
それほどに、大吉の“適当さ”は、彼にとってなにかとストレスの種だった。
ふと、グラスを棚に戻しながら、五十嵐浩二は言った。
「……明日から、バイト減らしていいっすか?」
その声に、厨房の奥でのんびりと卵を割っていた大吉が振り返る。
「えええ!? 困るよ〜、浩二が入らないと、誰が僕の仕事代わりにやってくれるの?」
ぴしゃりと、タオルで手を拭いながら五十嵐は吐き捨てるように言った。
「やってくんねぇよ!! 自分でやってください」
言い終えたあと、少し強めに閉められた戸棚の音が店内に響いた。
だが当の本人──佐藤大吉は、どこ吹く風で、「いや〜、浩二がいるとほんと助かるんだけどなぁ」と、まるで子どもをあやすような調子で返してくる。
五十嵐は黙ってその姿を睨んだ。
怒る気力すら、少しずつ削がれていく気がした。
「まぁまぁ、穏やかにね?」
フライパンを揺らしながら、大吉がのんびりと笑う。
「喫茶店の店員さんは、穏やかじゃないと」
五十嵐は、思わずカウンター越しに身を乗り出す。
「今この状況が正に穏やかじゃないんだってば!!」
叫ぶようにして吐いた声は、どこか空しく店内に反響した。
しかしその声を受け止める者は──目の前の男にはいなかった。
平然と卵を返しながら、むしろ上機嫌に鼻歌まで添えられる始末。
この男の図太さだけは、もはや才能と言うべきなのかもしれない。
「まぁ、正直ね──」
大吉が、フライパンを火から外しながらぽつりと言う。
「うち、地域に根付いてる店じゃない? ありがたーいことに常連さんも多くて、ほんと感謝してるんだけどさ……若い子、欲しいよね。若い子」
「……客で?」
五十嵐はグラスを拭く手を止め、顔をしかめる。
「そう。客で」
大吉は何でもないことのように言いながら、卵を皿に滑らせた。
焦げ目ひとつない、綺麗なオムレツ。
適当に見えて、妙に料理の腕だけは確かだというのが、いっそう腹立たしい。
「流行りのカフェとか、可愛いスイーツとか、写真映えとか……うちはそういうの、ないからさ」
「だったら、やらなきゃいいじゃないっすか。無理に流行に乗る必要なんか──」
「違う違う、そういうことじゃなくてさ」
大吉は笑う。その目尻に、少しだけ疲れが滲んでいた。
「この店を好きだって思ってくれる子が、もうちょっと増えたらいいなって……思うだけ」
その言葉には、珍しく“店主”らしい真剣さがあった。
五十嵐は思わず言葉を失い、カウンターの向こうで静かに息をついた。
「じゃあ、僕の知り合いにここ紹介しましょうか?」
突然の声に、五十嵐は肩をびくりと跳ねさせた。
「うわっ、びっくりした……!」
カウンターの端には、すでに青年──古上創也の姿があった。
本を開きながら、穏やかな表情でカフェオレを啜っている。
「お前……ドアベルついてんのに、気配消せる能力でも持ってんのか」
「いいですね〜その設定、採用!」
目を輝かせながらペンを走らせる古上に、五十嵐は深いため息をついた。
「小説の話じゃねえよ……!」
それでも、どこか緩んだような空気が店内に漂う。
大吉が肩をすくめて笑った。
「いいじゃない。作家の卵がうちをモデルにしてくれたら、ちょっとは若い子も来るかもよ?」
「……悪いけど、俺のキャラはあくまで脇役ですからね」
「それ、メイン張る自信ないって意味じゃなくて?」
「うっせぇよ」
平日昼下がりの「燈」。
古びた木目のテーブルと珈琲の香りに包まれながら、
今日もまた、静かに物語の一節が綴られていく。