(き、気まずい……)
あれから、僕と葵は勉強をすることにした。自分の気持ちを誤魔化すようにして。隠すようにして。
そして、自分の気持ちに嘘を付くようにして。
「――ねえ、憂くん。さっき言ってたのってほんと?」
「さ、さっき言ってたのって、な、何が?」
「だ、だから。私のこと、可愛いって言ってくれたこと」
「そ、そうだって言ったじゃん。とにかく今は勉強に集中しようよ」
「――できるわけないでしょ」
僕達はまた、心に壁を作り、そこに隠れるようにして黙り込んだ。
僕も葵と同じだ。集中なんてできるわけがない。ずっと、ずっと言いたかった心の中の自分の気持ちを言葉にしてしまったから。
でも、それでいい。後悔はしていない。覚悟を決めたんだ。それをまた捨ててしまうなんて、まっびら御免だ。
部屋の中に、二人がシャープペンで文字を走らせる、その乾いた音だけが広がった。小さくて静かな音のはずなのに、それがやけに、僕には大きく聞こえた。
「憂くんって、私のこと、す――ううん。私のこと、嫌いじゃない?」
「だ、だから、さっきそれは言ったじゃん」
「そうなんだけど――」
僕も葵も、『好き』という言葉を口に出さないようにしながら、逃げるように。でも、何かを確かめるようにして、静かに言葉を交わし合った。
窓から夕日が差し込んできて、部屋の中を黄金色に染めていく。掛け時計を見て時間を確認。もうとっくに十八時を回っていた。
いつの間に、そんなに時間が経ってたんだろう。僕には、足を忍ばせるようにして、ゆっくりと、ゆっくりと、時間が流れていくのを感じてたのに。
「――私ね。本当は、憂くんに嫌われてると思ってたの。ずっと憂くんのことをからかってばっかりだったから。でも、そうするしかなかったんだ。私って、不器用だから。ほんと、自分のことが嫌になっちゃうよ」
何を言ってるんだよ、葵。僕はそのおかげで救われてたんだ。太陽の日を浴びているような気がして、心を温めてもらってたんだ。
嫌いになるわけがないじゃないか。
「痛っ」
「バーカ」
僕は葵に近付いて、中指で彼女のおでこをピンとはねた。とても軽く、優しく、僕の気持ちを届けるようにして。
「今までのお返し」
「ひっどーい。いきなりだなんて卑怯だよ」
「いいんだよ。お返しって言ったでしょ? これでノーカン。だから――」
だから自分のことが嫌いになっちゃうなんで言わないで、と。今まで僕がもらってきた温かな気持ちを『お返し』するようにして、それだけを言葉にして葵に贈った。
* * *
「憂くん、寝ちゃった?」
「ううん、まだ起きてるよ」
あれから――。
僕と葵は、再度、勉強の続きに戻った。お互いに全く集中できず、葵が作ってくれた夕飯をご馳走になって、それからすぐに布団に潜ることになった。
それは、『明日から学校があるから』と葵が言ったからなんだけど、それは大きな嘘が混じっていると僕は断言できる。
早く寝ないと、僕も葵も、今まで一滴一滴と溜まっていく感情という名の雫が、心の中にあるコップいっぱいになって、今にも溢れてしまいそうだったから。
僕はそう、解釈した。
「良かった。私、なんだか眠れなくて」
「僕も同じだよ。なんでだろうね」
「本当は知ってるくせに。ズルいよね、憂くん」
「それはお互い様」
そして僕達は再度、寝ることにした。それが無理なことだと分かっていながら。なので、僕は一度寝ることを諦めて考え考える。
僕は葵と幼馴染で、小さな頃からずっと一緒にいた。常に心の距離が近かった。だからこそ、言えなくなる。自分の素直な気持ちを。
きっとそれは、葵も同じだと思う。
もし自分の本当の気持ちを伝えたら、今まで積み上げてきたものが一変してしまうのではないかと。壊れてしまうのではないかと。そう思うからこそ、言葉にできなかったんだと思う。
怖かったんだ。
これまでの関係が、何も書かれていない白紙のノートのようなものに戻ってしまうのが。少なくとも、僕はそうだった。
「――ねえ、憂くん。わがまま言ってもいいかな? あ、あのね。今日だけでいいから、ここに来て一緒に寝てもらえないかな」
僕は頭を振った。
「ごめん。それはできないや」
「そう、だよね……」
寂しさと悲しさが混じり合ったように、葵は言葉にした。
「それはできないけど――」
「え? ゆ、憂くん?」
布団から起き上がった僕は、ベッドの上で横たわっている葵の頭を優しく撫でた。これまで葵と一緒にいた時の、たくさんの思い出を込めながら。
「今の僕にはこれが精一杯でさ。でも、子供の頃に一緒の布団で寝る時、こうしてよく葵の頭を撫でてたよね。そしたら葵は安心して、すぐに寝ちゃってたっけ。なんか、懐かしいね」
「よ、余計に眠れなくなっちゃうよ」
「そうかもね。でも、僕も葵と同じで不器用でさ。だから今はこれで――」
嗚咽が聞こえた。葵は僕に背を向けるようにして。顔を見られないように。
「う……ううう……ぐす……」
「葵――」
僕は何も言わないで、そのまま葵の頭を擡で続けた。本当に泣き虫だな。全く。そろそろ子供のままの葵を卒業させてほしいよ。
でも、それは僕自身にも言えることだ。
「ごめんね。ぐす……。ごめんね、憂くん。私、頑張るから。少しでも変われるように頑張るから。だから、もう少しだけ待ってて」
葵は、自分が本当に言いたかった言葉を押し殺しながら、僕に向かって言葉にした。でも、それで十分伝わってきた。
別に焦ることはない。ゆっくり、ゆっくり、小さな歩幅でも一歩一歩前に進んでいけばいい。共に歩ける日が、きっといつかやって来るから。
そう想いながら、僕は葵が寝付くまで優しく頭を撫で続けた。
だけど、一言だけ。たった一言だけ。
僕のありったけの気持ちを込めて、葵に伝えた。
ありがとう――と。
* * *
翌朝。
僕と葵は少しだけ時間をずらして登校することにした。先に葵が家を出て、それから少し時間が経ったところで、僕も学校へと向かった。
そして、学校に着いたところで、僕はガラガラと教室の後ろ扉を開けた。
「あ、来た! ねえねえ陰地くん! 昨日はどうだったの! 一昨日はどうだったの! 何かあった? やっぱりあんなことやこんなことがあったりした? 葵ちゃんに訊いても何も教えてくれなくてさー。絶対に何かあったでしょ! いろーんなことをお勉強したんでしょ! ヤバっ、鼻血出そう」
竹田さんの妄想力って一体……。
「竹ちゃんやめてよー。でも教えないから。私と憂くんだけの秘密だから」
そう言って、葵は人差し指を口に当てながら、僕に向かって「シーッ」と言った。
「えー。秘密って何!? ズルいよ葵ちゃーん。詳しく聞かせてよー」
「だーめ。秘密なのに言っちゃったら、それって秘密じゃなくなっちゃうじゃん。ねえ、憂くん?」
葵と僕の二人だけの秘密か。嬉しいな。秘密を共有できるなんて。
「そうだね。秘密」
僕も葵も素直な気持ちになるまで、まだまだ時間はかかるかもしれない。だけど、そんなのはあっという間の出来事だ。
だって僕と葵は、何年も――いや、十何年も一緒に時間を共にすごしてきたんだから。
だから、僕は葵のことを好きでい続ける。
その先に、明るい未来があると信じながら。
『幼馴染の陽向葵はポジティブがすぎる』
第一部 完
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