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第3話:具現化
朝。
外の吹雪が弱まり、カナは窓の外を見た。
雪原の先に――誰かが立っていた。
それは人だった。いや、“人のようなもの”だった。
背丈も、輪郭も、父・タカユキにそっくり。
けれど、近づくほどに違和感が増していく。
顔が、ない。輪郭が、歪んでいる。
風が吹くたびに身体が霞み、まるで記憶のなかの誰かが歩いているようだった。
「父さん……?」
カナの声に、その影は一瞬だけ立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
顔はなかった。けれど、“返事のような風”が吹いた。
ソウタが駆け出そうとしたとき、父が腕を掴んだ。
「近づくな。あれは……俺が差し出したものだ」
その瞬間、テレビがついた。
「能力具現化、安定率:低」
「対象:記憶保持“中”」
「用途:不明」
「観察継続中」
その日、ライオン像は喋らなかった。
雪山の中央に埋もれ、左目の光が消えていた。
口元の石が崩れかけ、風で砕けた雪が舞っている。
まるで、自分が出した“存在”に力を吸われているように見えた。
石像の首元に新たな亀裂が入っていた。
それでもその顔は、無表情のまま空を睨んでいた。
誰かの命を、まだ待っているように。
午後、隣の小屋に暮らすブラジルの家族・アルメイダ家が姿を現した。
陽気そうな声で手を振る母・マリア。その背後には、音もなく動く“影”がいた。
「彼女たち、提出したの?」
「能力よ。“音楽”だって」
マリアが笑いながら言った。
そのとき、風のなかに――旋律が流れた。
雪の粒がリズムを刻み、空気が震えた。
だが、曲は途中で壊れたレコードのように歪み始めた。
突如、影が暴れた。風が爆ぜ、ドローンが一機落ちる。
アルメイダ家の父が叫んだ。「マリア、止めろ!」
「無理よ! 子どもが歌わないと……!」
再び、ソウタが震えながら前へ出た。
「やめて!」
その声に、風が止まった。
旋律も影も、すっと凍るように沈黙した。
具現体は、子供の声にだけ反応した。
夜。
テレビが、いつもの黒い画面を揺らしながら言った。
「具現化安定率:不安定」
「使用には十分な“祈り”が必要です」
「祈りを怠れば、存在は暴走します」
その夜、カナは夢を見た。
雪の中、父の姿が遠ざかる夢だった。
追いかけようとしたら、ソウタの手が、ぐっと袖を引いた。
「行っちゃダメ。カナが行ったら、戻れなくなる」
気づけば、窓の外の雪の奥に――また、あの顔のない“父”の影が立っていた。
あれは、本当に父じゃない。
けれど、誰よりも私たちを見ている気がした。
ライオンは、もう喋らなかった。
でもきっと、見ていた。
無表情なその石の顔で。
私たちの“祈り”が、足りるかどうか――見極めるように。