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流石に可哀そうになってきた
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雨は自宅こと木造オンボロアパートに帰宅すると、玄関で仰向けに倒れた。
疲れた。昨日から私働き過ぎじゃない?何時間労働だよ。6、8、12…絶対労基に違反してる…そう言えば労基はダンジョン内労働に適用されなかった。
雨は緩慢な動きで起き上がると、のそのそと六畳間の居間まで歩き部屋の中心にポツンと置かれたブラウンのちゃぶ台の上にある小さな金色のベルを鳴らした。
すると薄暗かった部屋の証明が灯り、肌寒かった木床が程よく暖かくなった。ベルを置いて調理場で手を洗い、炊飯器のスイッチを入れる。
雨は妹と二人暮らしのため家事全般はこなしていた。妹の晴《はる》が帰ってくると、決まって味噌汁を作りながら疲労を感じさせない満面の笑みを浮かべて言った『お帰りなさい』。晴は無邪気に雨の腰に抱きつくと元気よく言った『ただいま』と。
ベルを作ったおかげで色々と楽になったな。晴は今日も元気に帰って来て、抱きついてくるなんてまったく可愛くて仕方ない。こいつめ。
穏やかな笑みで晴の頭をお玉を持っていない方の手で撫でると、晴は嬉しそうに目を細めた。
「ねぇ、雨兄《あめにい》。今日もダンジョンに行くの?」
「今日は非番だから夜はずっといるよ」
「そっか…良かった」
週4の夜勤下層ダンジョン警邏のパート。将来的な素材買取の相手として最も安心できて、長く取引できるのはダンジョン庁含めての国家。雨はその信頼を得るために現在パートで警備員として働きその実績を積んでいた。
あと一年と半。それまでこの安月給で生活できないと将来的に安定した取引相手なんか見つけられないからね。
危険手当も出るが、釣り合っていないのが現状であり素材も安く買い叩かれる。国との信頼関係ならとっくに破綻していた。
舌足らずな声で喋る晴も、今年で中学2年生になる。「第二の人類の誕生」によって魔力は全人類に発現した。しかし、魔力量には個人差があり、当時魔力が膨大だったため制御できなかった晴は体の成長が止まってしまった。幸いだったのは情緒や人格の成長は止まらなかった事くらいだ。
「今日もご飯と味噌汁、きゅうりの醤油漬けだけ?」
「こういう清貧な生活もいいと思うけど、やっぱり腹一杯食いたいよね」
「…まあ、友達のさ、ぎゅうぎゅうに詰まった弁当箱とか見せられたらね」
雨は口元に手を当てくすくすと笑って火を消した。雨が食だけは節約するように心がけていたからか、晴は服や娯楽に困ったことはなかった。艶やかな黒のショートを柔らかく揺らして、気まずげに大きな目を伏せた晴に確かにと同意を示して、うーんと唸った。晴の体は少しづつ成長しているものの成人までは三十年以上かかるだろう。
「週末はどこか食べに行こうか」
「本当!」
「ほんとほんと、バイトは空けておくから晴の好きな場所に行こうか」
晴も雨も大食いというわけでもないため食費は大してかからない。貧しい生活の必要性もその楽しみもわかっている晴でも、やっぱり偶には違うものを食べたいという欲求は涌く。どこに行こうか今からそわそわと考え始めた晴に小学生ほどの外見には不似合いな中学生の制服を着替えるように言って雨は食器を並べ始めた。ご飯を食べて各々好きな時間を過ごし気づけば布団を並べて寝る時間となった。
「やっぱそっち行っていい?」
「駄目、と言いたい所だけど寂しい思いをさせてる側としてはそのお願いはクリティカルだよ」
消灯して静かになった室内で唐突に晴がそう言った。そろそろ兄離れしてほしいけど昔から一緒にいられる時間も少なかったし甘えてしまうのも仕方ないことなのかな?布団の上を少し移動してスペースを作ると、そこへ晴が入ってきた。雨は胸板にくっついてくる水色のパジャマ姿の晴に苦笑して毛布をかぶせた。そうして夜は更けていった。
ブウウンというバイブ音に目を覚ました雨は無造作に頭の上辺りに置いていたスマホを手にとった。
「はいこちら小野崎」
雨の電話番号を知っている相手の多くが仕事関係が占めているため、どうしても事務的な喋り出しとなってしまう。
「もしもし、天原だ」
「天原さん、なんですか真夜中に、勤務時間中でもないのに今時間外労働とかそろそろ裁判所に訴えますよ」
「…済まない、だが緊急の事案なんだ」
「どうせどっかのダンジョンがブレイクしただけでしょ。付近の近くには必ずと言って良い程ソロの下層探索者が沸くんですから私が行く必要ないですよね」
「それでも対応できる者を派遣しないわけにはいかないんだ。唯一下層モンスターに余裕を持って対処できる君でなければ今回のブレイクには対応できないんだ」
忌々しい、そんなの人材育成を怠っているダンジョン庁の管轄の問題だ。たかだかパート要員の私に話が回ってくること自体おかしな事、怠慢以外の何物でもない。顔をしかめた雨は場所を聞くと乱暴に電話を切りゆっくりと深く眠り込んだ晴から体を離し布団から出た。
暗くても暗視できる雨には関係のない事、通常装備の桐箱を腰に下げて外出する。時刻は午前一時を回った頃、快晴の星空の下でブレイクしたというダンジョンの方向を見やるとその方向の空だけが異様に白くぼんやりと明るい。
人間眠りを妨げられた怒りは、皆知ってる通り収まるところを知らない。桐箱のスライド蓋を開けて大鍋一杯ぐらいの質量を持つ針達を取り出して空中に足場を作る。足場は針が中心から円を描くように広がり片足幅の円形を保っている。音を極限まで抑えて飛翔してダンジョンまで向かう。
案の定というべきか入口から中層下域のモンスターが次々と出てきていた。付近は数十人体制で戦闘を展開して独自の戦法で対応している。
「私無駄足だったじゃん」
上空からその光景を眺める雨は益々憤りが胸を染めていくのを感じながら戦況を把握した。ソロのハイランナーならこんな戦闘もうとっくに終わっていて当然だ。そして入り口をふさいでどこかへふらりと立ち去るのが普通。だがそれは下層モンスターが現界した場合、つまりソロハイランナーがいない時点で雨が出張る必要もなく、いても雨がすることはないというのだ。
深夜の時間外労働、精々いつもの三倍は残業代請求してやる!。そう意気込んで腰の桐箱から針を取り出した雨はぬるい茶番に終止符を打とうとしていた。針が二本ずつ現界したモンスターに初速音速を超える速度で射出されホーミングして刺さると、音爆弾のような超高音を周囲に鳴らして肉をえぐり爆発した。刺さった個所はどこも致命傷を避けられない位置であり、その間も別の針の数々がダンジョンの入り口を塞ぎにかかっていた。十秒もかからずに終了した戦闘とも言えない虐殺に眼下の探索者たちは呆然としていた。
「…戦闘終了、帰宅します。後処理は任せました天原さん」
「ありがとう小野崎君。いらぬ残業をさせてしまって悪かった」
「天原さんこそこんな深夜の電話対応ありがとうございました。あと入り口をふさいだ針は二日後には消滅させますので勝手に触れたら怪我することを現場の人たちに伝えてください」
「ああ、分かった。じゃあ、よい夜を」
「これでシニカルに笑ったらいい皮肉だったんですけどね。あと、ダンジョン庁担当官には今回の残業代は三倍要求するので覚悟するように伝えてください」
「ははっ、相分かった」
電話を切った雨は、パトカーや消防車の密集した現場を残して帰宅した。部屋にそろりそろりとドアを開けて入ると晴はまだ寝入ってくれているようで安心した。あれから三十分経ったが体勢も何も変化していない。桐箱を本棚になおして布団に入り込むが、そのまま眠ることもできずに朝を迎えた。
「おはよう」
「ん…おはよぅ」
結局四徹する羽目になった雨は寝ぼけ眼をこすりながらあくびする晴に口元をほころばせて布団から出た。朝食ももう作り、ちゃぶ台も出して後は食べるだけの光景に晴は雨が徹夜したことを疑って訝しんでいたが、とうの雨は微妙に視線を合わせずに曖昧に笑うばかりであった。
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