「あなたならきっと」
晴(はる)さんにはっきり「会えない」と言われたわけではないけれど、会いたいと伝えて「ごめん」と言われてしまっている。
これ以上会いたいと言って気を遣わせたくないし、ワガママだと思われたくない。
だけど―――。
思考は堂々巡りになって、翌日になってもそのことばかり頭をよぎり、なにをしていても上の空になった。
学校から帰り、お茶でも飲んで落ち着こうとリビングに入ると、お母さんがテレビを見ながらアイロンをかけていた。
流しっぱなしのテレビに何気なく目を移すと、製菓メーカーのCMが流れ、「手作りチョコを作ろう!」というキャッチフレーズの元に、タレントが笑顔でバレンタインをアピールしている。
思わずそのCMを見つめていると、それに気づいたお母さんが私に話しかけた。
「美穂(みほ)は今年チョコ作らないの?毎年あかねちゃんと作ってたじゃない」
「あっ……」
お母さんに言われて、なんとも言えない苦笑いが浮かんだ。
「作りたいんだけど……。久世(くせ)さんが仕事で忙しくて、バレンタインに会えなさそうで」
「そうだったの。でも、それなら別の日に渡したらいいんじゃない?」
「それが……」
晴さんと昨日話をしたことと、そこで自分が感じたことを話すと、お母さんは相づちを打ちながら聞いてくれていた。
「そうだったの。久世さん今忙しくされてるのね」
「うん……。チョコ渡したいけど、困らせたくはなくて……。でも当日、きっとだれかからチョコをもらうだろうし、私が渡せないのに、ほかの人からもらうのはイヤで……」
仕方がないと思っているのに、なかなか消化しきれなくて、モヤモヤとしたものが胸に溜まっているのがわかる。
うつむきがちに言うと、笑みを含んだお母さんの声が聞こえた。
「美穂もそんなことを言うようになったのねぇ」
「やっ、やっぱりワガママだよね……!」
後ろめたさでぱっと顔を上げれば、お母さんの優しい目とぶつかった。
「ワガママっていうか……。美穂は男の人のことをあれだけ苦手だったのに、久世さんのことは本当に好きで、ヤキモチやくんだなって思ってただけよ」
「あっ……」
たしかに、お母さんは私が男の人を怖がっていたことをよく知っているし、「怖い」と相談したことはあっても、こういった話はしたことがなかった。
晴さんを好きだと伝えてはいるけど、改めてそんなふうに言われると急に恥ずかしくなる。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お母さんは笑いながら続けた。
「そうねぇ。久世さんの仕事を邪魔したくないっていう美穂の気持ちはわかるし、相手を思いやるのは大事だと思うよ。でもチョコを渡したい、会いたいって気持ちは悪いことじゃないでしょ。ひとりで悶々(もんもん)としているより、その気持ちを伝えてもいいんじゃない?」
考えもしなかった話に、ただ目を丸くしていると、お母さんは優しく言う。
「久世さんは美穂のことをよくわかってくれている人だって、お母さんは思ってる。そんなふうに悩んでいることを伝えても、一緒に考えてくれるんじゃない?」
言われて、親にあいさつしに来てくれた時の晴さんを―――お父さんとお母さんの前で、彼が 真摯(しんし)に接してくれたことを思い出した。
……そうだ。
晴さんはいつも私のことを考えてくれて、大切にしてくれている。
アドバイザーの頃から私に寄り添ってくれて、どんな話も親身になって聞いてくれていた。
彼の負担になりたくなくて、自分勝手になりたくなくて悩んでいたけど……お母さんの言葉が心に沁み入ってくる。
晴さんと過ごす時間が増えるにつれ、だんだん彼との絆みたいなものを感じられるようになっていた。
前よりもお互い心を開けていると思うのは、私の気のせいじゃないと思うから―――。
「私も……久世さんなら私の気持ちを聞いてくれると思う。だから、正直に伝えてみるね」
「うん、頑張ってみなさい」
お母さんの励ましに、一晩中悩んでいたのが嘘みたいに心が軽くなる。
その日の夜、晴さんに電話をするつもりでいた私は、スマホを手にどう連絡しようか悩んでいた。
正直に話そうと決めているけど、会いたいと伝えたのはおとといだし、またその話をするのはまだ早いかな……。
(今日話をするのはやめて、もっと後にしようかな)
悩んでいると、急に手の中でスマホが震えた。
「今仕事が終わって、家に着いたよ」
晴さんからのメッセージを見た瞬間、思わず笑顔になった。
返事しようとしかけた時、続けてメッセージを受信する。
「もし大丈夫なら、電話してもいい?」
一瞬ドキッとしたけど、「はい!」と返事をすれば、すぐに着信が入った。
「も、もしもし!お疲れさまです!どうかされましたか?」
電話がもらえるなんて思っていなかったから、嬉しくて声がうわずっているのが自分でもわかる。
「あ、いや……。美穂どうしてるかなって思っただけなんだけど」
彼が苦笑した時に感じるような、やわらかい気配が伝わってきた。
恥ずかしそうで遠慮がちな口ぶりから、なんとなくだけど、晴さんは昨日のことを気にしてくれて、私に電話をしてくれたように感じた。
(晴さん……)
今感じたものが本当かもわからないけど、彼の優しさは伝わってきて胸が高鳴る。
「今日はどうだった?なんでもいいから、美穂の話聞かせて」
考えると、お母さんにバレンタインの相談したことが頭をよぎる。
彼に伝えたいと思っていた話だけど……今それを伝えてもいいだろうか。
「今日、お母さんとバレンタインの話をしてて……」
負担にならないかな、とか、迷惑じゃないかな、と不安も生まれた。
でも……きっと晴さんなら、私の気持ちをわかってくれると信じられるから、思い切って続けた。
「私……。晴さんがお忙しいのはわかっているつもりです。お仕事を応援もしています。だけど、女子の会員さんとか、お仕事が一緒の女の人はバレンタインに晴さんに会えるから……。私が会えないのはさびしくて」
言った後、電話口から伝わってきていた雰囲気が変わった。
なにを思っているかまではわからないけど、なにか思っているのは感じて、私のほうも緊張してくる。
でも……迷惑だとか思われているふうには感じなくて、黙って晴さんが真剣に聞いてくれているのも感じる。
だからきっと……彼なら大丈夫だと思えて、言うか迷っていた本音がこぼれた。
「遅くなっても私は全然かまいません。本当にすこしだけでいいから……バレンタインに晴さんに会えませんか?」
伝えた後、一秒、二秒と間があった。
その数秒がとても長く、重たく感じられ、鼓動が騒いで苦しくなる。
やがて電話の向こうから、吐息を吐き出すような気配を感じた。
「……嬉しい。俺も本当はものすごく会いたくて、会えないのが残念だったから」
掠れた甘い声が耳を打った。
届いた声と電話越しの雰囲気で、彼が本当にそう思ってくれていることが伝わってくる。
不安もあったから、それを聞いて安心できたと同時に、胸がぎゅっと締めつけられた。
「晴さん……」
「仕事が終わるのがいつになるかわからないから、美穂に会いたくても我慢してた。だけど……そう言ってくれるなら、その日終わったら連絡してもいい?」
聞こえたのはいつも通りの温くて、だけどどこかふっきれたような声だった。
「俺も会いたい。家まで会いに行かせてほしいんだけど、大丈夫かな?」