コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
深瀬視点
コンコンッ
聞き慣れたノック音がした。
訪問者におおよその見当がついていた。
きっとたっくんだろう。
「どうぞー」
「お邪魔します」
ほら。
やっぱりそうだ。
同じ現場にいる時は、
お互いどちらかの楽屋に入り浸るのが、
俺ら二人のルーティンとなっていた。
「早速なんですけど、
新しいギターコードを使いたくて、
ちょっと教えてもらえませんか?」
「いいよ。
こっちおいで!」
俺は自分の隣をぽすぽすと軽く叩いて、
彼を呼び寄せた。
すぐ嬉しそうに駆け寄ってくると、
俺の右側に腰を下ろして、
夢中で話し始めた。
「ここをーーーってしたくて、
でもピッキングがしにくいんです」
「あーそれはね⋯」
俺が隣について細かく説明をすると、
真剣な表情で一つも聞き逃すまいと、
メモを取りながら話に耳を傾けていた。
(普段の無邪気なところも可愛いけど、
こういう真面目なところも教え甲斐があっていいんだよな)
「なるほど⋯こうすればいいのか」
「他は?
まだ何かあるなら教えてあげるよ」
俺はてっきりギターの相談をされるものだと思っていた。
しかし彼の口からは予測していなかった答えが返ってきた。
「えっと⋯
歌と言いますか、
ボーカルに関してもいいですか?」
新人とは思えないほど抜群の歌唱力を誇っているのに、
今更そんなことをする必要性があるのか?
俺はその相談に違和感を覚えた。
教えるのが俺でいいのかとさえ思うくらいだ。
とは言え自分で話題を振った手前、
断るのもおかしいと思って引き受けることにした。
彼はコミュ症だからいきなりよく知らない、
ボイストレーナーをつけることに抵抗があるのだろう。
だからこそソロとしての限界を感じて、
指導を頼んできたのだろうかと気に留めなかった。
「何がわかんないの?」
「高音で声が掠れてあまり綺麗に歌えないんです」
確かに彼の持ち味は低音だ。
高音を極めたい気持ちもわかる。
しかし早速声出しをしてみると、
以前のような伸びがない。
(急に下手になった?
やっぱりおかしい)
明らかに何かあると感じた。
リハの時に歌った新曲は低音がベースの歌だったからか、
そこまでの違和感はなかった。
それなのに高音では、
声が空間全体に響き渡るような伸びが、
かなり弱くなっていた。
まさか病気だろうか。
「ねえ⋯たっくん。
こんなこと言いたくないけど、
俺に隠してることある?」
「あ⋯」
彼が気まずそうに俯く。
どうやらクロだ。
するとスマホでコソッと俺にだけ打ち明けてくれた。
『マレーシアで大きな事故に巻き込まれて、
その後遺症で喉をやられたのか、
高音を持っていかれました』
喉は歌手の生命線だ。
急な帰国はリハビリのためだったのか。
彼は色気が漂う男声と、
広範囲へと突き抜ける女声の両方を併せ持つ、
いわゆる数少ない両声類のミュージシャンだった。
そんな彼がもう一つの取り柄である高音を失ったのは、
どれほどショックなことだったか、
俺では計り知れなかった。
今までは先輩としても、
ライバルや戦友として、
一緒に音楽で繋がっているだけで満足できた。
彼が弱っているからこそ、
一番近くで支えたいという願望を抱いてしまい、
自分でも驚いた。
(もっと頼られたい)
俺は出来うる限りのサポートを彼にしたいと、
体や喉にかかる負担を抑えながら、
高音が出しやすい声の使い方をふとしきり伝授した。
我流だからどこまで効果が見込めるかわからないが、
早く元の高音が戻ることを信じてーーー