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誰も知らない、高嶺の花の裏側2
第75話 〚名前を呼ぶ声〛(澪視点)
その日は、
胸の奥が、静かに決まっていた。
怖くないわけじゃない。
でも——
心臓は、逃げろとは言っていない。
昼休み。
澪は、校舎の渡り廊下に立っていた。
少し先に、
あの中学二年生の男子がいる。
友達と話している。
時々、こちらを気にする視線。
(……今)
澪は、一歩、前に出た。
「……あの」
声は、思ったよりもはっきり出た。
男子が振り返る。
周りの二年生も、つられて静かになる。
澪は、距離を保ったまま言った。
「朝の通学路のこと」
「話してもいい?」
男子は、少し戸惑いながら頷いた。
「……はい」
澪は、深呼吸する。
心臓は——
穏やかだった。
「毎日、同じ道を通ってるのは本当です」
「でも、それだけです」
一つ一つ、言葉を選ぶ。
「声もかけてないし」
「ついて行こうとしたことも、ありません」
周囲の空気が、
張りつめる。
「もし、怖い思いをさせてたなら」
「それは、ごめんなさい」
でも、と澪は続けた。
「でも」
「私は、誰かを追いかけたり、困らせたりするつもりはありません」
男子は、目を見開いた。
「……俺」
「勘違い、しただけかも」
その言葉に、
周りがざわつく。
「通学路、同じ人多いし」
「距離も……普通だったよな」
誰かが、そう言った。
澪は、男子をまっすぐ見た。
「怖かったなら」
「距離、もっと空けます」
「でも」
「変な噂になるのは、悲しいです」
それは、
責める言葉じゃなかった。
ただの、本音。
数秒の沈黙。
「……すみません」
男子は、頭を下げた。
「俺、勝手に思い込んで……」
「大丈夫です」
澪は、首を横に振る。
「話せてよかった」
周りの二年生たちも、
表情を変えていく。
「やっぱ誤解だったじゃん」
「噂、違ってたんだ」
小さな声。
でも、確かに方向が変わった。
⸻
少し離れた場所で。
海翔、えま、しおり、みさと、りあ、玲央は、
何も言わず、ただ見ていた。
前に出ない。
代わりに話さない。
——澪が、選んだから。
澪は、最後にもう一度だけ言った。
「私のこと、疑ってもいいです」
「でも、直接聞いてくれたら嬉しい」
それだけ言って、
澪は一礼し、戻ってきた。
心臓は、
驚くほど静かだった。
⸻
「……すごかった」
えまが、小さく言う。
「逃げなかったね」
しおりが微笑む。
りあは、少し目を潤ませていた。
「澪、強いね」
澪は、首を振った。
「強くない」
「ただ……選んだだけ」
海翔は、澪の隣に立つ。
「それが、一番強い」
澪は、空を見上げた。
噂は、
一瞬で消えるものじゃない。
でも——
自分の言葉で向き合った事実は、残る。
未来を見なくても。
嘘を使わなくても。
澪は、ちゃんと立っていた。
——自分の名前で。