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「あ、美味しい……」
意外にも岳紘さんの作ってくれた雑炊はとても美味しかった。いつも私が普段作るそれよりも、彼の料理の方がスッキリ食べやすいくらいで。一口、また一口と蓮華を運ぶ手が止まらなくなる。食べなくても良いかと思っていたのが嘘のように、あっという間に岳紘さんがよそってくれた雑炊が胃の中に収まってしまった。
「おかわり、するだろ?」
「え、でも……」
このままでは岳紘さんの分まで食べてしまいそうで、もう十分だと伝えようとしたのだけれど。
「そんな顔して食べてくれるのなら、作った甲斐があった。ほら、お代わり」
「そんな顔って……私、変な顔してたの?」
何となく、本当にちょっとだけど岳紘さんの機嫌が良いことに気付く。いつもは夫婦として必要な会話くらいしかしてなかったのに、どうして急にこんな事をするのか分からない。
私に触れられないから、私と距離を置くためにあんなルールを作ったんじゃないの? こんな態度を取られてしまうと、余計なことを考えて胸が苦しくなるのに……
「いや、雫が夢中になって食べてる姿ってハムスターに似てる気がして。可愛いだろう、そういうのって」
「か⁉︎ そ、そんなふうに可愛いって言われても嬉しくなんかないし……」
初めてかもしれない、岳紘さんから面と向かって可愛いなどと言われたのは。例えそれが小動物的な意味だったとしても、慣れない言葉に一気に顔が熱くなるような気がした。
本当に、今日の岳紘さんは一体なんなの? まさか私を揶揄ってるのかと睨んでみても、彼は不思議そうな表情をするだけで。
これ以上は目を合わせないようにと、岳紘さんに渡されたお椀から黙々と雑炊を口に運んでいたのだけど。しばらくはそんな私を無言で見つめていた彼が、少し戸惑いがちに聞いてきた言葉にその手が止まる。
「……その、今日の親睦会は楽しかった? 普段の雫ならこういうのは断っていたから、今回はよっぽど参加したい訳があったんだろう」
「どういう、意味?」
何かを探るような言い方に、二人の間にピリッとした緊張感が生まれた。私は決して疚しいことはしていない、|久我《くが》さんや他の同僚とのおしゃべりを楽しみたかっただけ。それなのに……
「ルール、忘れたわけじゃないだろ。もし雫にとって良い相手が見つかりそうなら、それを知っておければと思って」
岳紘さんのその台詞で、温まりかけていた心が一気に冷えていく。まるで猛吹雪の中に置き去りにされたように、この身体も心も凍えてしまうようだった。
目の奥がツーンと痛い、そこだけが他の場所に反して熱を持っているみたいに。
「どうして……」
「え? 何」
冷えた心と身体が今度は徐々に熱くなっていく、それは怒りからだと自分でもハッキリと分かった。
どうして私は誰よりも愛する人に、こんな事を言われなければならないのだろう? あまりに残酷な彼の言葉に悲しみと悔しさが綯い交ぜになってこの心を乱していく。
もともと岳紘さんが他人の感情の機微にあまり敏感な方ではないことは分かっていた。それもマイペースな彼の魅力だと思えていたはずなのに、それが今はこんなに私を苦しめる。
わざとならまだ感情的に自分の気持ちを思い切りぶつけても良いのかもしれないが、岳紘さんが本気でそう考えるのならば私はどうすればいいのだろう?
「……そんなに、私に恋人を作って欲しいの?」
「前も話しただろう、その方がお互いのためだと思うからだ」
それは岳紘さん主観の考え方に過ぎないし、私はそんな事を望んでなんかいないのに。だうしてただ、彼を一番好きなままでさえいさせてくれないのだろう。
何年も抱いている純粋な想いを否定されているようで、どうしようもなく辛かった。
「じゃあそんな事を聞くために、こうして料理まで作って待ってたわけ? それは、ご苦労様」
「いや、俺はそんなつもりじゃ……」
口から出てきた言葉は酷く嫌味たらしいものだった。冷静でいようと思ったけれど、私もそこまで余裕のある状態ではなかったのかもしれない。
彼の驚いた顔を見た瞬間「しまった」と思ったが、自分は悪くないとつい岳紘さんから視線を逸らしてしまう。
……それが私を真っ直ぐに見つめている夫にどんな誤解をさせてるのかを、この時は何も知らないままに。