葵の家族の振りをして『風邪を引いてしまったので』と嘘をつき、今日は休みますと学校に連絡を入れた。それから僕は、ふらふらしている葵を支えつつ、家まで送って行ったわけだ。そして玄関に入ったところで、まるで気を失ってしまったかのようにしてぱたんと、すぐにその場で寝てしまった。
完全に電池切れだったみたい。
「まあ、無理もないよね。一睡もしてないんじゃ」
僕は葵をお姫様抱っこでベッドまで連れていったんだけど、いやいや、これが結構重いのなんの。見た目はこんなにも細いのに。
でも、それが僕にとって、ちょっとした安らぎになった。葵のことをまたひとつ知ることができたから。
それだけじゃない。
葵の重みは、僕により確かなものに感じさせてくれた。
僕の夢の中の住人でもなく、幻想でもなく、現実にこの世に存在する一人の人間だということを
* * *
葵がすーすーと寝息を立てているその寝顔に見惚れていたら、すっかり時間を忘れてしまい、遅刻という形で学校に到着したのはお昼休みに入ろうとしている午後十二時すぎだった。
さすがに小言のひとつでも言われるかと思ったが、これがその時の先生とのやり取りである。
以下、回想。
『す、すみません持井《もてい》先生! 遅刻しました! 本当にごめんなさい!』
前扉から教室に入るなり、僕は平身低頭。どうにか許しを乞おうと必死に頭を下げた。だってもうお昼だし。どんだけ社長出勤なんだよって感じ。
でもね。
『あらあら。大丈夫? 陰地くんが遅刻なんて珍しいわねえ』
さすがに『葵の寝顔に見惚れてたら』なんて口にしたら、クラスの男子全員からボッコボコにされそうだったので必死言い訳を考えた。けど、こういう時に限って上手い言い訳が思い付かないものである。
『は、はい。あの……登校する時に、お、お婆さんが道端で転んじゃってたんで。それで、背負ってお家まで送ってあげていまして。それで……』
嘘は極力つきたくないんだけど、こればっかりは仕方がない。くだらない嘘だけど、これは葵のためでもある。と、自分自身に無理やりそう言い聞かせた。
『あらー、大変だったのねえ。陰地くんって本当に優しいから』
『そ、そんなことないです。別に優しくなんか……』
そこで、何故か持井先生が急に黙り込んでしまった。俯き加減で。
はて? と思っていたら、顔に陰を作ってちょっと不機嫌そうに口を開いた。
『――私なんかこの前、思いっきり転んで足を挫いちゃったんだけど、だーれも助けてくれなかった……。イケメンもたくさんいたけど全員通り過ぎて行っちゃってたし。私、いつ結婚できるのかな? ずっと独身のままなのかな? 一人ぼっちなのかな? 将来、孤独死しちゃうのかな? ねえ、陰地くん! どうしたら結婚できると思う!? お願い! 教えて!』
も、持井先生ってこういう人だったんだ……。先生はこの前三十路を過ぎたところだったはず。確かに女性としては焦る年齢ではある。切実さが如実に伝わってくるし。
でもさ。目がめちゃくちゃ怖かったんですけど。なんというか、『夜中に藁人形に五寸釘でも打ち付けてるんじゃないの?』と思ってしまう程に。
大丈夫かな……。どうか良いご縁がありますように、と僕は心の中で願いを込めた。
でもさ。お婆さんの家まで送るのに四時間以上かかってるところ、突っ込まないんだ。しかも生徒に対して結婚相談までしてくる始末だし。そんなの知らんがな。
――と、まあ。そんなやり取りがあったわけで。
今はもう昼休み。僕達生徒にとって癒やしの時間である。僕もお弁当箱を開いて、ちょうどこれからお昼ご飯を食べるところである。一人で。
仕方がないよ、ボッチの宿命だもん。席と席をくっ付けて皆んなと食べるとか、そんなのただの都市伝説、と思うことにしている。でも、すぐ隣ににその都市伝説をやってのけられてるんだけどね。
……ヤバい、泣きそう。
「はあー。せめて葵がいてくれたらなあ」
「あらあら白馬に乗った王子様。どうかされたんですか?」
いきなり話しかけられたからちょっとビックリした。半分泣きそうだったから俯いていた顔を上げると、そこにはニヤケ顔の竹田さんがいた。
珍しい。いつもは葵とセットで僕に話しかけには来てたけど、一人で単独にというパターンは確か初めてじゃなかったかな?
「ねえねえ。今、葵ちゃんのこと考えてたでしょ?」
「え!? な、なんで?」
「いやー、そういうの分かっちゃうんだなあ、私って。で、どんなことを考えてたの? やっぱりR18的なこと? くんずほぐれつ? ヤバっ、鼻血出そう」
この人は本当にそっち方面に話を持って行きたがるなあ。でも、さすがにくんずほぐれつって……。エロオヤジみたい。一体、竹田さんはどんな妄想してるんだろう。
「そういえばさあ。今日、葵ちゃん風邪引いて学校お休みみたいなんだけど。よかったら一緒に、放課後にでも一緒にお見舞いにでも行かない?」
「え? う、うん。別にいいけど……」
いや、本当は全然良くないんだけどね。風邪引いたっていうの嘘だから。今頃、目が覚めて漫画でも読んでケラケラ笑ってそうだし。とりあえず、後で葵に連絡して口裏合わせをしてもらおうっと。
でも、その時。竹田さんの表情に若干の変化があった。
頬を朱に染めて、つと下を見ながら何かを考えているような。そんな表情を浮かべていた。それが何に由来するものなのか、僕には分からなかった。
でも、それに僕が気付いたのが分かったのか、竹田さんは全ての感情を振り払うようにして、そして隠すようにして、いつものニヤニヤな笑みを浮かべた。
「あははっ! いやー、ごめんねえ。葵ちゃんの様子が気になっちゃってさあ。じゃじゃあ。とりあえず放課後に一緒にお見舞いに行こうね」
「う、うん。分かった」
逃げるようにして、いつものグループの所に戻って行った竹田さんだった。
けど、その後ろ姿を見て、感じた。
本当は、『お見舞い』というのはただの口実にすぎないのだと。
『第21話 竹田さんと【1】』
終わり






