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#ネタバレ注意⚠️
🫧🐾ラムネ猫🐾🫧
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#BL
「――十時まで、あと三十分ですが。原稿はどちらに?」
受話器に向かって淡々と告げると、向こう側でひゅっと息を詰める気配がした。
『い、いやぁ、あと少しなんですよ。あ、そういえば桐島さんって、「みお」さんでしたっけ? 綺麗なお名前ですよね。てっきり女性の編集さんかと、最初は――』
「れいです」
間髪入れずに返した声は、自分でも驚くほど低かった。
『あ、すみません! れい、さん』
「原稿は」
『……あと、少し、です』
「その『あと少し』は、先週も伺いました」
カチ、と赤ペンのキャップを親指で弾く。乾いた音が、受話器の向こうの沈黙を容赦なく抉った。
「今日の十八時。それを過ぎたら、来月号の枠は別の作品で埋めます。あなたの名前は載りません」
『そんな、編集長――』
「決めるのは私ではなく、あなたです」
ガチャン、と受話器を戻す。プラスチックの冷たさが指先に残り、親指の腹で強く擦って消した。
フロアのあちこちで鳴っていたキーボードの音が、ぴたりと止んでいる。誰も顔を上げない。けれど、フロア中の神経が自分の一挙手一投足を追っているのが、肌でわかった。
桐島 澪、三十二歳。
老舗出版社・ブルーベル書房の編集長。圧倒的な目利きと容赦ない数字への執着でのし上がり、その延長でコミカライズ事業まで任された叩き上げだ。代わりに社内で付いた渾名は氷の編集長。鬼の桐島。そして、高嶺の花。
最後の一つだけは、どうにも納得がいかない。
(……花ってなんだ。三十二の男に使う言葉かよ)
色白で線の細い顔立ちも、読み間違えられる名前も、昔から「女みたいだ」と笑われる種にしかならなかった。だから澪は、シャツの第一ボタンまできっちり留め、ネクタイの結び目は指一本入らないほど首に沿わせて、鎧を着込んでいる。
息苦しいくらいで、ちょうどいい。
十一月下旬。窓の外では、ビルの谷間がイルミネーションに染まり始めていた。年末進行でフロアは朝から殺気立ち、空調の乾いた風に混じって、コピー機の熱とインクの匂いが鼻の奥にこびりつく。
パソコンの受信トレイに、新着が一件。件名は「ご相談」。開く前から、プレビューの冒頭で中身が透けて見えた。
〈印税の手取りが、正直、生活できる額では――〉
はぁ、と細く息を吐く。責める気にはなれなかった。数字が苦しいのは、こちらも同じだ。
昔ながらの大衆コミックを看板に、コミカライズの波へ必死にしがみついて息をしている小さな老舗。その足元を、じわじわと水位を上げるように浸していくのが、新レーベル「スカーレット・ワークス」だった。周辺の出版社を、次々と呑み込みながら。
進行表の隅に、赤字で一行。
――連載終了。
あの漫画家が終わった後にどこへ行くのか、噂はとっくに耳に入っている。
(……引き止める材料が、ないんだよ。クソっ)
奥歯を噛みしめた。顎に走る硬い痛みだけが、やけに生々しい。
その時、背後を誰かが通り過ぎた。
革靴ではない。履き潰した営業靴が床を擦る、軽い足音。小脇に抱えたファイルが腕に当たって、かさ、と鳴る。
ペンを握る澪の指が、ぴたりと止まった。
(――っ)
振り向かない。振り向けるわけがない。
遅れて届いた空気が、首筋をざらりと撫でていく。柔軟剤の匂いと、ほんの僅かな煙草の残り香。たったそれだけで、右の手首がじくりと疼いた。
シャツの袖の下。あの夜、自分の指では到底回りきらないほどの大きな掌に、縫い止められていた場所が、ドクドクと熱を持ち始める。
(やめろ。ここは職場だ。俺は編集長だ。あれは――)
ギロリと虚空を睨みつけ、澪は背筋を伸ばした。
足音が、止まる。
すぐ後ろ、椅子の背もたれ一枚を隔てた距離で。
「編集長。今、お時間よろしいですか」
穏やかで、控えめで、どこまでも大人しい声だった。
なのに、鼓膜の奥を、ざらりと舌で舐められたような気がした。
コメント
1件
かんなさん、第1話読みました。まず「氷の編集長」と呼ばれる澪さんの、締切管理の冷徹さと「花ってなんだ」という内心のツッコミのギャップが絶妙ですね。足音だけで過去の関係を想起させる手首の疼き——伏線としても、あの《やって来た部下》にどう繋がるのか気になりすぎます。設定の密度と緊張感が冒頭からしっかり立っていて、続きが待ち遠しいです。