第二章 葡萄風信子
青城烈 白露
久しく学校に来た鴨川を俺は深く問い詰める。
「学校中にばらまいた癖によく来れるな。」
「ご、ごめんなさい、皆が観るとは思っていなくて。」
俺を衝動的に貶めた後に、少しの情報が段々と明るみにさせていき、校内の全体にまで広まった。
──浅はか。
まるで、この言葉で出来ているような苛立ちが募る。
俺の足元で這いずるように縋り、顔を擦り付けてくる。
あの時突き放せば良かったと後悔の感情が滲んだ。
「….足元から離れて。」
「い、嫌よ!ねぇ、これを機に私と付き合って。お願い!」
何となく察しがつく。
俺の事が好きな反面、親から命令されて交際を申し込むこと。
「付き合うわけないだろ。父さんに言って退学にしてもらう。」
「退学は….どうか、勘弁を。」
「なら、CクラスからGクラスに降格してもらう。」
冷たく蹴飛ばし、中庭へと向かう。
朝からこんなに気分が頗る悪いのは、いつぶりだろうか。
これも全てあの女のせいだ。
溜息を吐き、目に入った教師に声を掛けた。
「鴨川愛さんを退学にして貰えますか。」
「えっ、は、はい。かしこまりました。」
失礼しますと深く頭を下げた。
生徒が俺に対して少し下に見ているのに対して、教師は俺を下には見ていない。
むしろ恐るべき存在だと熟知している。
中庭に出ると、先客がいた。
長谷川翼とその他の取り巻きの男子生徒達。
俺を見るやいなや大きく嘲笑し、皆で笑い合う。
「お前の家、あれなんだってな。不倫した親父がいるんだってな。」
「青城学もおちたな。本当、奥さんが可哀想。」
「言葉には気をつけろ。」
強く睨むと、挑発するように言葉を並べていく。
俺が落ちぶれたことを良いことに罵詈雑言を浴びせ続け、どんどんと鬱憤が溜まる。
ここで早まってはだめだ。
「鴨川愛もたまには役に立つんだな。あんな下賎な女に度胸があるとはね。」
「清羅さんと本当はデキてるんだろ?」
「デキてない方がおかしいだろ。あんな美人と幼馴染なら俺なら喜んでヤるけどな。」
「うわ、羨ましいー。柏柳さんってどんな感じなんだろうな?そういう時って。」
「そりゃあ、なぁ?まじでお前が羨ましいよ。烈。」
「それで、清羅さんとヤった時ってどんな感じだった?」
ドンッという衝撃音と共に、俺の脳内の空想が破裂する。
目の前の男子生徒が何も口に発しない時、手に振動が伝わった。
──やっと静かになった。
下級生や同級生が校舎で騒ぎ立てて、教師が俺の手を強く掴む。
半ば強引に生徒指導室へと向かう時に清羅を見た。
何にも驚かず、発することも、口を開けることも無かった。
期待が裏切られたような感覚だった。
生徒指導室には俺と長谷川翼、その取り巻き、教師、校長がいた。
教師が校長と話し合う中、長谷川翼は俺に視線を向ける。
気づかないフリをして机を見続けると校長が席に座った。
「あの時、何があったのか長谷川くん分かりますか?」
「青城くんに事実を言っただけです。校長先生だって知っていたでしょう、あの不──」
「黙りなさい、貴方がそれを仰る資格は無いのです。たかが庶民が何様のつもりですか。」
意外にも校長は俺へと支持をする。
父が雇う部下をここの学校に配属させたのだろうと見当がつく。
「しょ、庶民でも発言する権利くらいもってもいいではないですか。」
「なら先程の騒動は貴方のせいではないと言えるの?」
女教師が横から口をだす。
言い返す言葉もなく呆気なく口篭ってしまった。
「…もういいです。理事長に報告しクラスを降格とさせていただきます。」
「有り得ませんよ!そんなこと到底許されないです!」
机から身を乗り出し、教室に響く程の言葉を漏らす。
すると突然扉が開いた。
「お疲れ様です。理事長。」
父だ。
咎められ、あの日のように叱責されてしまえば、俺は本当に落ちぶれてしまう。
唇が震え、父の方へは向かずに窓の外を見つめた。
あいにくの曇りが気分をズドンと落下させる。
「烈、何があった?」
「長谷川くんと内牧さん、佐藤さん、平井さんが俺の事を不倫した男の息子だと仰ったのです。大切な父がそのような風に言われて腹が立ったので….」
証拠がつくられない限りは、話を大袈裟に盛っておくのが術だ。
世間が不倫を許さないのと同様に、俺も彼らを許すつもりはない。
長谷川は贖罪するべき相手を侮っただけ。
そこの知了を知れば、這い上がるほどの格差は生じないのに。
父の徐々に理解していく姿が俺に罰を与える時の姿に酷似している。
顔全体が赤に染められた仮面をつける時のように。
「相澤、この子供達を二度と東京に足を踏み入れられないようにしてくれ。」
「かしこまりました。」
そう言い残し、教師や校長、父は出ていってしまった。
小部屋の中に俺は独りでいるような憂いに沈んだ。
染色体が緑に染め上げられた世界は、満たして満たして満たしてくれる。
権力に酔いそうだ。
目を瞑り、雨が降るのに耳を澄ませる。
「お前なんていなくなればいいのに。」
その声だけは耳に入らなくていい。
情報として処理しないで、粗大ゴミとして粗末してほしい。
名残惜しく生徒指導室から出るもまだ気持ちは浮き沈みする。
「烈、次、私のクラスと合同授業ですって。」
まだ希望はある。
夕星のような蟠りの中に彼女がいた。
愛しく哀しい俺と清羅。
少しの笑みを浮かべ、うんと頷いた。
「このような被害を引き起こす原因は──」
締めっきりの窓からくる湿っぽさに、腕が突っ張る。
教師が黒板に文字を書く音と度重なった耳を塞ぎたくなる音、点滅するスマホのライト。
前の席の男子生徒が地味な男子生徒に紙を渡す。
ガタッと大きな音が鳴り、そちらへ目をやると彼は席に座っていなかった。
床に尻もちをついて制服につく芋虫を追っ払う。
──こいつ芋虫を学校に持ってきてるぞ!やっぱ虫マニアっていう噂は本当だったんだな。
芋虫が俺の方へとやって来る。
「….沢尻くん、なにこれ。」
視線を向けると、俺を見ずにびくびくと子鹿のように震えた。
つま先までくる芋虫を忌々しく思い、足で踏み付ける。
うわと皆がドン引きしていた時、ごめんなさいと小声で聞こえた。
それに乗ったように謝罪!とアンコールをする男子生徒に合わせて皆アンコールと繰り返す。
教師が見て見ぬふりをするので、実質的に授業の主導権を握るのは俺になった。
──高貴なる神に敬愛を!
──靴舐めろよ!
アンコールは鳴り止まない。
鼓膜が破れる寸前の所で、ゆっくりと沢尻は俺の爪先を舐めた。
異質な空気に息を呑む。
「ごめんなさい、卑怯者の烈様。」
ピリッと鳴る。
ピリピリピリ…
沢尻の髪を引き上げ、特徴的な大きな瞳に目線を合わせる。
似てる。
「俺の靴、もう要らない。」
──奴隷に制裁を!
ああ…
──奴隷に制裁を!
──奴隷に制裁を!
──奴隷に制裁を!
清羅の生き写しのような沢尻が憎い。
髪を掴む力を強くして、更に引っ張ると唇が重なった。
ガリッという音と共に唇を噛み締める。
これが本当の制裁に等しい。
靴底を沢尻の顔に押し付け、頬を触った。
「似てる。」
「….?」
耳元で小さく囁くと、絶句したかのように、その場で硬直した。
──清羅に似てる。
模倣品として完璧に成り立つ姿を美しく思った。
俺が清羅に求めていた完璧な姿が、そこにあるのだ。
「な、何を言ってるんですか….!」
重い力が抜けたように、髪の毛から手を離すと沢尻は自分の席へと戻った。
つまらない。
やっぱりあれは清羅ではない。
でも何故だろう。
何故清羅は俺をそんな目で見てくるのだろう。
学習部屋に帰りに買った参考書と問題集を置いて、中を開いた。
次の問いに答えよ。
その言葉がこの世で一番嫌いな言葉になるとは、一年前の俺には思ってもみなかった。
順風満帆のようにスラスラと解けた問題がここ最近、解けなくなったのだ。
これは中学三年の一学期の問題だ。
しかも中級レベル。
なのに何故だか分からなかった。
先日の実力テストの結果を見れば、その状況を自ずと鵜呑みにできた。
数学は84点、一学期の実力テストよりも6点落ち、得意科目の化学も92点。
たくさんのテスト対策をしてこれなのだから、この問題集を今やりなさいと言われれば七十点、いや六十点になるかもしれない。
だが、本当は分かっていた。
人生の分岐点である受験を責任転嫁によって言い訳にしていたことくらい。
父が清羅の母親と不貞関係になったのが発覚した時から、気分が憂鬱となっていた。
一階からくる皿が割れる音や家政婦が仲裁に入る声、両親の怒鳴り声。
数日経ってから何度も聞こえる鬱陶しいものが、今となっては不快に感じなくなった。
離婚だ!と聞こえる微かな声だけは幾つたっても慣れないが。
「なら、烈と優作はどうなるのですか!?私がいなくなればあの子達は片親だと罵られるかもしれませんのに。」
「あの子達の人生など更々どうでもいい。いい加減早く出ていってくれないか。」
「旦那様、おやめください!」
あれだけ俺を甚振るくせに、今更どうでもいいと興味を無くすのは本当に父親の言うことなのだろうか。
これだから勉強に集中出来ないのだ。
両親が良好な関係ではなくなった時、どうするべきか。
次の中から適切なものを選べ。
A 仲裁に入る
B 放置する
C 助けを求める
脳内で疑問が問題へと変えられてしまう。
これ程までに俺は勉強に執着していた。
勉強の意欲を無くすと同時に、勉強をコピー機のように扱う程の異常さ。
これらの答えは、Bの放置するが適切であるといえる。
何故ならば、マンションでここまで騒音を出していたら自ら助けを求めなくとも自然と誰かがくる。
案の定、スマホが鳴った。
表示されているのは、清羅と書かれている電話画面。
通話ボタンを押した。
『貴方の家がうるさいとお母様から言われているのだけど、何かあった?』
安定した声と安らぎが、俺の苦痛を緩和させる。
でも、後ろから子供の啜り泣きしている声が微かに聞こえてくる。
俺と同じ境遇にあっているのかと安堵した。
「母さんと父さんが喧嘩してる。そこまで大事じゃないから気にしないで。」
『….分かった。ねぇ、今夜姉弟達と烈の家に泊まってもいい?ご飯やお風呂は済ませてあるから。』
「いいよ。お互い様だろ。」
『本当?ありがとう。今から行くよ。』
電話を切り、部屋から出た。
リビングにいる父と母は、俺には気づいていないようだった。
家政婦が気づき、お戻りくださいと促すが、無視して耳を貸さなかった。
「父さん、母さん、今から清羅達が来るからそれ片付けたら?」
「なんですって?今こんな状態なのに何故迎え入れなくてはいけないのですか!?断ってください、烈。」
「母さん達と今同じ状況だから。」
母は一言で怯み、そうですかと視線を落とした。
父は都合がいいのか分かったとだけ言い、部屋へと戻ってしまった。
幸い落ちている皿は数える程度しかなかったため、家政婦二人によってすぐに片付けられた。
柏柳清羅 白露
手当たり次第、教科書を開いた。
不倫の子なんですってね。
ここ数日続く似たような文字。
辺りを見回しても皆そっぽを向けるばかりで、私の怪訝な顔など気にしていなかった。
いつも一人で本を読んでいる陰険女のイメージが、つき始めてから変わったような気がする。
愛さんは、白露の時期から忽然と姿を消して、烈はその理由を教えてくれなかった。
ただ、陰口に気付いているのに私を助けてくれない理由は教えてくれて良かったのではないか。
私が見返りを求めがちになっているだけなのか。
最近は気分が悪い。
脳裏で、母が烈の父親とそういう雰囲気になっていたのが私の偶像に反していたから。
誰よりも気高さを重要視するあの人が、ある日突然、気持ち悪く感じた。
軽蔑するべき人という認識だけが脳に詰め込まれている。
同時に私を見る目が変わった烈に対しても、不愉快の感情になった。
全てが重なった時にまた増やされてしまえば、私は、どんどん壊れていく。
パリンパリンと音を鳴らして。
教科書を閉じて、ゴミ箱に捨てると、私を避けるように皆が下がった。
この空気は異様だ。
あの出来事が起きてから、私の学校生活は微風のように通り過ぎていく。
決して愉悦に浸っていたわけではないけれど、私自身を見ない人が減ったことだけは感謝したい。
誰かの机の前に立ち小説をとると、視線を上げた。
「木野葵さんだよね。私の教科書に落書きしたの。」
私の信仰信者の中で一番崇めていて、一番嫌いな人。
「違いますよ。貴方を最も愛する私を疑っておられるのですか?」
仄かな笑みを浮かべた。
「一年時の時に私に初めて渡してくれた手紙と同じ筆跡なの。癖のある字だからすぐに覚えられた。」
「それだけでですか?そんなことで決めつける方だったのですね。やはり不倫した親の子は下劣だったわ。」
「貴方の生まれも変わらないのに?」
異様な空気が一変変わる。
一年時から彼女の話は有名だった。
親は略奪婚で、その時に産んだのが彼女であると、嘲笑の対象だったのだ。
「そ、それは….」
「そんなに落ち込まないで。ごめんね、貴方の偶像を壊したのは悪かったわ。あと教科書を少し貸してほしいの。」
「え、な、なぜ….」
「少しだけお願い。」
半信半疑な顔で教科書を渡した。
私とは違う何も施されていない普通で、綺麗な教科書。
中身を破き、床へと落とすと彼女は絶句した。
破いた紙の一部を机へと置く。
ビリビリと教室中に響く音が雷のようで、一音聞こえる度に皆が怯んだ。
私も初めて見た時は、クラスメイトや彼女のように絶句して、密かに絶望という感情に見舞われることになった。
ただ彼女に私と同じことを理解してほしい。
人は皆、悪人に過ぎない。
勿論、私も例外では無い。
「私はそこまで弱くないの。申し訳ないわ、許してくださる?」
「え、えぇ。」
清々した。
でも、疲弊した心の一部の蟠りが解けただけであって、浄化された訳では無い。
私と同様に、彼女のプライドの一部も蟠りが出来た。
それだけで嬉しい。
教室を出ると、私のロッカーに烈が寄りかかっていた。
「見てたの?」
「うん。」
「清羅は変わったな。」
変わったのは私もあるけれど、烈も変わったのだと思う。
あの頃の眩い瞳で見つめる烈は居ない。
私達の親の夫婦関係が破綻したのと共に時を目一杯かけた関係は破綻した。
「そうだね。私も、烈も。」
「….父さんが起業家としてやっていくのは厳しいと今朝言われた。」
何となく察する。
時期に株価が下落することは、目星についていた。
だからこそ私の生活に亀裂が入り込み、烈の生活にも亀裂が入り込むことを恐れていた。
「あんなことがあったのだからそうなるのも仕方ないよ。それで私に何か頼み事?」
「父さんが本邸の離れで暮らすことになって、母さんが優作を連れて実家に戻る。祖父母も引き取らないから、俺は清羅の家に同居させてもらえと。」
「….身勝手ね。私の親が断った場合はどうなるの?」
「里親を探すしかない。」
烈は、言葉をつまらせた。
あの母とあの父が受け入れてくれるのか、どうかが分からない。
事前に申せと叱責されるかもしれない、無理だと断られるかもしれない。
大人は都合が悪くなったら、すぐに身勝手な行動に走る。
そうした中で、子供は失われた幸福を追い求めている。
「頼んでみるから待って。」
スマホを取り出し、メッセージを打った。
『烈の親がマンションを去って烈を同居させてほしいとお願いしているそうです。事前に言うべきかと思い、連絡させていただきました。』
すぐに既読がついた。
『そう。旦那様に話してみるわ。』
人の幸福を踏みにじっておいて、よくそんなこと言えるなと呆れる。
私の姉弟や私が烈の家に訪れた時も、床はそれとなく傷ついていて、烈の母親の手先にも切り傷が入っていた。
あの夜に、きっと烈の両親は離れて暮らそうと話し合っていたのだろう。
烈の父親が本邸の離れへと戻ったとしても、母との関係が破綻することは無い。
人の恋心はそこまで糸を繋げさせる。
「お父様に話してみるって。良くものうのうと呑気にしていられるわね。」
「おばさんは恋多き女性だろ。仕方の無いことだ。」
「酒に酔ったように恋に酔っているけれど愚かだと思わないのね。」
「恋は盲目と言うだろ。」
だとしても…と言葉が詰まる。
「断っても俺は俺で何とかするから。」
「なるべく受け入れてもらうよう言うよ。大人の事情で烈が不幸になるのは理不尽でしょう。」
「ありがと、清羅。」
私の小指を握り、小さく微笑んだ。
烈自身も、自分がどうなるのか未知でしかなくて仕方がないのだろう。
甘える子供のように私達は分かち合う。
烈の目元に、ほんのり見える涙が私と重なって見えた。
でも拒絶したい気持ちが大きくなる。
この事を考えながら普通に接して、取り繕う私の方が無責任ではないか。
──ねぇ、烈。
君は私に対してどのような感情を抱いているの?
「朝、聞いたけれど烈くんを同居させるって本当かしら。清羅。」
「はい、本当です。」
リビングから離れた居間で、私は深く頭を下げた。
私自身拒絶したいと考えているのに、ここまでしてしまうのは肩書きを失いたくないからだと思う。
「今日から烈くんは庶民になったのでしょう。それなのにねぇ?」
ぷっと母の悪い癖が出た。
母にとっての味方は烈の父親で、敵は烈の母親だ。
愛している男性とライバルの女性が破局すれば、愉快に浸るのは当然だと言える。
いつもよりも嬉しそうに、あははと笑った。
「そうさせたのはお母様が一番よくわかっているでしょう。」
「聞き捨てならないわね。私にとっては烈くんの家庭なんてどうでもいいの。」
烈の父親と私の母は似ている。
恋は盲目という言葉の通りに人の不幸など気にせず、自分の幸福を手に入れようとする。
法律が出来てしまえば可決されると言うのに。
既婚者に手を出すのは贖罪だと身をもって知って欲しい。
人を凄惨に傷つけるのには等しいのに、なぜ不倫は罪にならないのだろうか。
殺人未遂と同等なのに。
「お父様に咎められたではないですか。これで慰謝料を請求されたらどうすると。」
「慰謝料なんて請求されないわ。あの地味女がそんな大胆なことできるかしら。」
「可能性はあります。お母様、地味そうに見える女性ほど殻を破れば大胆になるものです。お父様も私もそこを恐れているのですよ。」
愛さんだって最初はそうだった。
地味めな眼鏡とあまり整えられていない制服のシワ、愛という名前には似ない容姿。
それが烈と出会ってから変わったのだ。
烈に愛されようと身を削ってアプローチしていて、他の女子生徒と違って他人を蹴落とすことはあまりしない。
本当の敵認定をした者のみに、そういったことはする。
烈の母親は物静かなのに品を仄かに感じられて、小さい頃の私の憧れだった。
それが落ちぶれた今、愛さんのように豹変するかは分からない。
確定できない以上、私達家族は祈るしかない。
「あの女が出来るわけないわ。知性も品格も無い顔だけの女なのよ。」
「ですが、それは分からないではないですか。」
「私が言っているのだからできないの。わかりなさい、清羅。」
「確定していない ──」
「清羅。」
あ…
失敗した。
ピリピリと音が聞こえる中、母は黙った。
母の仮面を踏んだ時に、この人には何を言っても無駄だと本能的に気付いた。
お願いだから今日はやらないでほしい。
お願い。
お願い。
怒らないで。
「貴方はいつからそんなに反抗的になったのかしらね?」
だめだ、無理だ。
いくら宥めたところで怒りが収まるわけがない。
深い溝の腐りきった中心に顔を当てられて、重力によって続けることに抗えなかった。
苦しい。
母はカッターを持って、私の腕の中に入れていく。
刃先から赤黒い液体が泡沫のように溢れだしてきて、畳に一滴二滴と垂れ落ちる。
母の力は徐々に強まっていき、それに比例するように液体はぽたぽたと垂れた。
これに抵抗すれば両腕、両足と下にかけて力を強めていく。
唇を噛み締めて抑え込むしか無い。
「清羅が旦那様のように言うなんて….成長したものね。だけどね、よく覚えておきなさい。」
いつものように言われるその台詞。
「お母様に歯向かっては駄目よ。わかるかしら。」
「はい、お母様。」
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い!
「なら、もっと躾てあげないといけないわね。次は左腕よ。出しなさい。」
力尽きたように私は左腕を出した。
繰り返していく苦行は私への罪であり、軽い笞罪なのだ。
なんら抵抗する気は無い。
でもどうして全てが痛いのだろうか。
チクチクではなくて、ピリピリ、ドスドスと。
烈を見た時も、ピリピリと音がする。
嫌な予感が的中するように。
「これからは私の言う事には、はいか、うんのみ使うことを許します。分かりましたか?」
「はい、お母様。」
私は許されない。
何をするのも、何かに意義を立てるのも。
だけれど許してほしい。
私が私でなくなるのを。
コメント
7件
複雑だなぁー
寝落ちしてコメント遅れた!! 変わりなくその場を表す表現力が凄すぎる!! しかも2人互いの目線で書かれてるのも良きすぎる お互いの感情が凄く理解出来る。 不倫したのは親なのに子供が散々文句言われる必要ないのにこんなのあんまりだ。 清羅ちゃんと烈くんの2人が複雑になって何とも言えないような関係なの好き 最後の表現とかもう大好き