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すず
2,246
🏳️⚧️ちべ🕶️
翌朝、私は鏡の前で立ち尽くしていた。
首筋に残された、昨日の「赤い痕」。コンシーラーを何度塗り込んでも、角名くんの執念が肌の下から透けて見えるようで、指先が微かに震える。
(……これ、もう「演技」の範囲じゃない)
重い足取りで登校し、教室の自分の席に座る。
隣の席の角名くんは、相変わらずスマホをいじりながら、私の顔を見るなり満足そうに目を細めた。
「……おはよ、向日葵。ちゃんと隠せてないよ、それ」
「…………角名くん。放課後、話があるの」
私の硬い声に、角名くんのスマホを動かす指が、一瞬だけ止まった。
でも、彼はすぐにいつも通りの食えない笑顔に戻る。
「……何? もっと過激な『演技』の打ち合わせ?」
「……違う。もう、やめよう」
放課後。人気のない屋上。
吹き抜ける風が、私たちの間に冷たい境界線を引く。
「……角名くん。偽装彼氏、もう終わりにしたい」
「…………」
「最初は助けてくれて嬉しかった。でも、昨日のあれは……。もう、何が嘘で何が本当か分からなくて、怖いよ」
角名くんは無言で私を見つめていた。
やがて、彼はゆっくりとポケットからスマホを取り出し、レンズを私に向けた。
「……怖い? 向日葵、俺が怖いんだ」
「……撮らないで。真面目な話をしてるの」
「……撮るよ。だって、今にも泣きそうな向日葵、すっごい綺麗だし。……これも『保存』しとかないと」
カシャッ、と。
非情なシャッター音が響く。
「……やめる? 無理だよ。向日葵が誰のものか、もうクラス全員知ってる」
「それは角名くんがそう仕向けたんでしょ!? 嘘だって言えば済む話だよ」
「……嘘? ……俺が今まで向日葵を撮ってきたこの数千枚の写真、全部『嘘』だって言える?」
角名くんは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
彼の瞳には、もう「余裕」なんて微塵もなかった。
「……向日葵の可愛い動画、俺、山ほど持ってるんだよね。……これを全部消すなんて、死んでも嫌」
「……やめさせない。……俺以外の男と付き合っても、俺、ずっと邪魔しに行くよ。……ストーカーって呼ばれてもいいから」
レンズ越しではない、剥き出しの狂気。
「……逃げられると思わないで。……向日葵は、俺が作ったフォルダの中から一生出られないんだから」
夕日に照らされた彼の影が、私を飲み込むように長く伸びて覆いかぶさった」
「偽装をやめよう」と告げた翌日から、角名くんは私に一言も話しかけてこなくなった。
無視されている。……そう思いたかったけれど、現実はもっと残酷だった。
(……視線が、痛い)
授業中、休み時間、お昼休み。
角名くんは自分の席から一歩も動かず、ただじっと、スマホのレンズを私に向け続けている。
私が誰かと話そうとすると、カシャッ、と乾いたシャッター音が教室に響く。
「……ねえ、向日葵ちゃん。角名くん、なんか怖くない?」
「……ごめん。ちょっと用事あるから」
友達でさえ、その異常な空気に気づいて離れていく。
角名くんは、直接私を縛り付ける代わりに、周囲の人間に「こいつに関わるな」という無言の圧力を、カメラ越しに撒き散らしていた。
「……角名くん。いい加減にして」
放課後、誰もいなくなった教室で、私は彼の机に詰め寄った。
角名くんはスマホを下ろさず、画面越しに私を見つめたまま、低く笑う。
「……何が? 俺、ただ写真撮ってるだけだけど」
「みんな怖がってるよ! 昨日の話、聞いてなかったの?」
「……聞いてたよ。やめたいんでしょ? ……いいよ、やめれば。……俺は勝手に撮り続けるだけだから」
彼は椅子に深くもたれかかり、スマホの画面を私に見せた。
そこには、今日一日、不安そうに周囲を気にする私の写真が、何百枚も並んでいた。
「……見て。怯えてる向日葵も、最高に可愛い。……これ、俺しか持ってないんだよね」
「…………っ、」
「……俺から逃げようとすればするほど、向日葵の表情は豊かになる。……もっと見せてよ、俺だけの前で」
彼は立ち上がり、私の耳元にスマホを寄せた。
スピーカーから、私が泣きそうに声を上げた瞬間の動画が、リピートで流れ始める。
「……ねえ、向日葵。……俺以外の男と付き合っても、俺、ずっとこうやって撮り続けるよ。……君の人生、全部俺のフォルダの中に保存してあげる」
逃げ場なんて、最初からなかった。
「演技」という言い訳を失った彼は、もう自分の狂気を隠そうともしない。
「……明日も、可愛い顔してね。……シャッターチャンス、逃さないから」
夕闇の教室。
フラッシュの光が一瞬、私の視界を白く染めた。
それは、自由を奪われた私が、彼の「専用フォルダ」に完全に閉じ込められた合図だった。