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私達は失敗作だったのだ! だがそれは同時に救いでもあった。なぜなら我々は死すべき運命から逃れられたからだ。
だから今度こそ、我々はやり直せるはずだ。
さあ行こう、我らが父よ。
我等が同胞たちと共に新たな地平を切り拓こうではないか!! 私はこの世界の救世主となるはずだった。なのになぜこんなことに……? ああ主よ、どうか哀れなる子羊をお助け下さいませ! 我等は貴方の御心に従おうとしただけなのです! おお偉大なる我が主よ、今一度お力をお貸しくださいまし。さすれば我らが望みは叶いましょうぞ! あの女が憎くて仕方がないのです。あの女の所為で何もかも台無しになってしまった。ええ、全てですとも。あの女が居なければ、もっと上手くいくはずなのです。
もうすぐ全てが終わる。その時こそ、あの女を殺して差し上げよう……
──嗚呼、やはり。お前達は失敗したのだね。
それは誰の囁きだったのか。
それとも自分の中の誰かなのか。
或いは、あの人の声……? 分からないけれど、きっと全ては自分の中にあったものなのだ。
いつだってそうだ。自分はいつも選択をして、何かを選び取ってきた筈なのに、その結果だけは残らない。
後悔ばかりを繰り返して生きてきた気がする。
何故もっと早く気付けなかったのだろうか。
今更悔いても遅いと言うのに。
自分が一番よく分かっていたじゃないか。
もう何もかも手遅れなのだと。
***
ふわりと意識が浮上して、目を覚ました。
薄暗い部屋の中で何度か瞬いて辺りを見回す。見慣れない景色に一瞬だけ戸惑うものの、直ぐに此処が自分の家だと思い出す。
(夢魔)
【解説】
この世に存在するすべてのものは、死すべき定めを背負っている。しかし、それは同時に再生の約束でもある。たとえ一度滅びようとも、魂は不滅なのだ。死を恐れてはならない。恐れるべきなのは、それを受け入れぬことにあるのだ。
(『詩篇』103章4節~8節)
死を受け入れる者は幸いなり。なぜならば、神の御手が汝らを造り給うたことを悟るからである。
(『新約聖書』ヨハネによる福音書20章19節)
聖書の記述によると、イエス・キリストが十字架上で息を引き取る直前に弟子たちに向かってこう言ったとされる。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)
「主の祈り」には次のように記されている。
天の父なる神様、今日も無事に過ごすことができましたことに感謝いたします。