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「瑞奈、帰り、一人で平気か?」
練習後、瑞奈の最寄り駅の、一つ手前の駅に電車が止まった際に俺は訊いてみた。
「何が? 痴漢に注意?」
「いや、そうじゃなくて」
瑞奈の足もとを見る。
「おまえ今日も限界越えて走っただろ。また昨日みたいに足腰立たなくなるんじゃないのか」
「へーきだよ」
瑞奈が呆気なく言い返す。少し口調が緩んでいた。
「今日はお酒飲んでにゃいし。今あたしは次の対戦相手のことで燃えてるの。次だけじゃない、優勝のために。このまま順当に勝ち上がっていけば、湖北大スパーズが決勝の相手でしょ」
「ああ」
湖北大スパーズは昨年度の覇者だ。ボール支配率の高いサッカーで勝ち進んでいると聞く。
その湖北大スパーズサッカーの中心にいるのが、川南澪という女子選手だった。
瑞奈みたいに技術、走力、判断力が高い。しかも、男の中にまじってもあたり負けしない強靭な身体ももっている。
「前の試合で、川南ちゃんが偵察に来てた」
「そうだったのか」
瑞奈と川南は、昔からのライバルらしい。きっとお互いの存在を認め合いながら切磋琢磨し、サッカー力を磨いてきたのだろう。
「絶対に負けられにゃいの」
話すうちに瑞奈は気炎を揚げていた。
「そっか、でもな、時に休めよ。走りっぱじゃいつか故障する。蓄積された疲労は逃がさないとだめだ」
「疲労なんかにゃい」
瑞奈の顔が綻んだ。語尾がまた「にゃい」と、ネコ語のように呂律が回らなかったことを恥ずかしがっていそうだ。
「だいじょーぶだって。そんな犬みたいに心配そうな顔しないでよ」
くすくすと笑いながら瑞奈が俺の胸を小突いた。
「犬は心配そうな顔なのか?」
「晴翔くんが心配する時、あと不安そうな顔する時って、なんか犬顔になるんだよね。それと、嘘つくときは右眉が……あ、何でもない。へっへっへ」
電車が駅に着き、反対側のドアが開く。瑞奈が、床におろしていたバックパックを「よ」と背負った。「じゃね」と歩き始めた途端、彼女の足がもつれた。
「おい」俺が駆け寄るよりも早く、瑞奈は「恥ずかしー」と言いながら立ち上がる。
実際、車内の視線が瑞奈と俺に集まっていた。足を取られた彼女を目撃したのか、失笑している乗客もいる。
「瑞奈、マジで大丈夫か?」
閉まりかけたドアからするっと出ていった瑞奈が、「へーき。りゃね」と言葉を残した直後、電車が動き始める。瑞奈がホームを歩きながら、俺に向けて笑顔で手を振った。俺はその様を、何故だか笑えずに見ていた。
りゃね? ……じゃね、って言いたかったのか?
何だろう。この胸騒ぎ。
スマホをカバンから取り出し、瑞奈にLINEのメッセージを送った。
『何かあったら連絡くれ。すぐに行くから』
俺の家の最寄り駅までは、この快速電車をあと三十分乗り続けないといけない。今までなんとも思わなかった三十分が、今夜は随分と長い距離に感じられた。続けてメッセージを送る。
『やっぱ引き返そうか?』
次の停車駅までは約七分。俺は暫くスマホの画面を見続けていた。なかなか既読が付かない。瑞奈は極度の機械音痴だ。今どきの若者のくせに、スマホなどの情報端末を苦手としている。
ようやく既読が付き、それからたっぷり時間をあけ『いい』さらには『帰ったら電話する』と絵文字の無い返事が来た時には、電車が次の停車駅で止まるために速度をだいぶ落としていた。この二つのメッセージを打つのに何分もかかるのが、瑞奈なのだ。
俺はスマホを尻ポケットに捻じ込んだ。ドア窓から外を見ようとして、窓ガラスに映り込んだ自分の顔を見、苦笑した。
犬の顔だった。
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