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もちぷよ
46
やわしゅん狂
247
はる☻
45,450
ブツッ、と通話が切れて、静まり返ったリビングに無機質な機械音だけが虚しく響き渡る。
「は、はやちゃん、急にどうしたんだろうね!」
僕は押し寄せるこの重い空気を必死に吹っ切ろうと、喉の奥から精一杯の明るい声を絞り出した。
だけど、しゅんの表情は一切変わらない。
ピクリとも動かないその目は光を失ったままで、それどころか無言のままじりじりと僕に向かって距離を詰めてくる。
「あの……しゅん、……?」
彼の放つ圧倒的な無言の圧に気圧されて、僕は思わず一歩後ろへと後退った。
昨日と同じ。
急激に呼吸が浅くなって、身体中が石みたいにガチガチに固まってしまいそうになる。
頭では「いつもの優しいしゅんだから大丈夫」と思おうとしているのに、身体の芯が、本能が、彼に対して明確に『怖い』と悲鳴を上げていた。
しゅんの大きな右手が僕の顔に向かってスッと近づいてくるのを感じた、その瞬間。
「っ、……!」
僕は昨夜のあの乾いた衝撃が脳裏をよぎり、咄嗟に自分の両手を胸元へと強く引き込み、肩をすくめて顔を横へと背けた。
衝撃に耐えるように歯を食いしばり、次にやってくるであろう痛みから必死に自分の身体を庇うようにして身構える。
ぎゅっと目を瞑って、永遠のようにも思える静寂の中で息を止めた。
……けれど、どれだけ待ってもあの痛みはやってこなかった。
代わりに訪れたのは、僕の冷え切った頬をそっと包み込んでいく圧倒的な温かさだった。
最悪の衝撃に身構えていたのに、肌に触れたのは驚くほど柔らかくて優しい彼の掌だったのだ。
その痛いくらいに愛おしそうなぬくもりが、冷えた肌にじわじわと染み込んでくる。
予想していたものとは正反対の圧倒的な優しさに、張り詰めていた身体の強張りが、不甲斐なくも一気に溶けていくのが分かった。
「……、」
恐る恐る、薄く目を開けて彼の顔を見上げる。
そこにいたのは、僕を壊そうとする怪物なんかじゃなかった。
もの凄く優しくて、けれど今にも消え入りそうなほどに、ひどく悲しそうな顔をした舜太だった。
しゅんは、何も言わなかった。
ただ、零れ落ちそうな涙を必死に堪えながら、拒絶された痛みに耐えるように僕をじっと見つめている。
胸の奥が、冷たい刃でザクリと抉られたように痛んだ。
あぁ、僕はなんて残酷なことをしてしまったんだろう。
「嫌いになってない」「大丈夫」って、さっきまで何度も彼の愛を受け入れて、この口で安心させるような綺麗事を言っておきながら、いざ彼の手が近づいた瞬間、僕の身体は勝手に『また叩かれる』と最悪の怯え方をして、全身で彼を拒絶してしまったのだ。
どれだけ言葉を重ねても、僕のこの引き攣った仕草一つが何よりもリアルに彼への恐怖を物語ってしまっている。
僕の身体に染み付いてしまったこの臆病な拒絶が、しゅんの注いでくれた一途な情愛をどれほど無残に踏みにじり、彼の心をズタズタに引き裂いてしまったのかを察して、胸が張り裂けそうになる。
「しゅん……ごめん、違うの……」
「いや、いいんよ。……わかってる。じゅう、大丈夫やから……」
しゅんは今にも泣き出しそうなボロボロの顔で、無理に口角を上げて笑ってみせた。
「……っ、本当に違うの、俺、ただ……」
「大丈夫やって。反射やろ? じゅうちゃんナイス反射神経やな!へへっ」
「しゅん……」
そんな風に無理をして笑う彼を見ていられなくて、僕は彼の傷を埋めるように、今度は僕の方から彼を抱きしめようと両手を伸ばした。
けれど……。
スッ、と僕の手首を掴まれて、その動きを優しく、けれど明確に拒まれた。
「……明日も仕事やし、もう、今日は……これくらいにしとこか」
「あ……、うん。ごめん、……帰るね」
僕がしゅんに触れることを、拒絶されたのはこれが初めてのことだった。
繋ぎ止めたかったはずの手が、指先からするりと離れていく。
胸の奥がぎゅーっと、軋むような音を立てて強く締め付けられて、息ができなくなる。
目の前が涙で急激に歪んでいくのが分かった。
何より、さっき自分が取ってしまった無自覚な拒絶の行動がどうしても許せなかった。
僕はもうこれ以上しゅんの前に立っていられなくなって、彼に背を向け玄関に向かって走り出すように部屋を出ようとした。
「え?待って、送ってくで?!ちょっ、じゅう!!」
背後から焦ったようなしゅんの声が響いたけれど、すでに涙でぐしゃぐしゃに濡れてしまった顔を、今の彼にだけは見せるわけにはいかなかった。
僕は振り返ることなく、そのままハンガーに掛かっていた上着だけをひったくるように掴んで、しゅんの部屋を飛び出した。
ガチャン、と重いドアが閉まる。
マンションの外に出ると、空からは冷たい雨が容赦なく僕の頭上に降り注いできた。
……傘、しゅんの部屋の玄関に忘れてきた。
そんなこと思い出したけれど、今さらあの部屋に引き返す気力なんて、僕には一ミリも残っていなかった。
僕はそのまま激しい雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら夜の道をトボトボと歩いた。
なんていうか、今の僕にはこれくらい冷たい雨に打たれている方が、ちょうどいいような気がしたんだ。
この人ならって、もう一度彼のことを心の底から信じたはずだったのに。
結局僕の心と身体の奥底では、彼のことをまだ信じ切れていなかった。怯えていた。
その事実が、たまらなく苦しくて惨めだった。
大好きな人に、あんな風に怯えられるって。
ただ触れようとしただけなのに、化け物を見るみたいに怖がられるって……。
しゅんは、一体どんな気持ちだっただろう。
どれほど絶望して、胸を痛めたことだろう。
もう僕の言葉なんて、二度と信じてもらえないかもしれない。
だってそうだろう。
口では「嫌いになってない」「大丈夫」って都合のいいことばかり言っていたのに、実際の行動がこれなのだから。
口先だけの嘘つきだと思われても、仕方がなかった。
しゅんはあんなにも僕のことを一途に想ってくれていたのに……。
どうしようもない後悔と罪悪感で、頭がおかしくなりそうになる。
自分のことが、心底大嫌いになる。
あほらしい。
誰がこんな、自分のことしか考えられない面倒くさくて最低なやつ好きになってくれるんだよ。
激しい雨の音が、僕のすすり泣きを冷たくかき消していく。
なんだか、もう、全部に疲れてしまった。
冷たい水滴が染み込んで重くなったスーツのまま、僕は視界を涙で滲ませながら、どこまでも暗い夜の底へ向かって、当てもなく歩き続けることしか出来なかった。
to be continued……..