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#ミニ知識
なつほ
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中太です。
合法(?)で中太♀を書くためだけにこの話を作ったまである。
チャットノベルの更新はめっちゃ遅いくせにノベルは毎日三話以上投稿してる
昨夜の泥のような眠りは、皮肉なほどにあっけなく、そして唐突に幕を下ろした。
カーテンの隙間から差し込む、まだ青白い夜明けの光が、太宰の瞼を薄く叩く。彼女は意識の混濁したまま、重たい頭を持ち上げた。視界に映るのは、昨夜そのまま倒れ込んだせいで皺の寄った布団と、ひんやりと冷えた部屋の空気。枕元の時計に目を向ければ、短針はまだ五時を指したばかりだった。
「……早すぎるよ、いくらなんでも……」
掠れた声で独り言を溢し、太宰は力なく再び布団に顔を埋めた。二度寝をしようと目を閉じるが、一度覚醒してしまった脳は、冷酷なまでに冴え渡り始めている。昨夜、深夜三時に帰宅したというのに、わずか二時間の睡眠で体が起き上がろうとしている。これは、死に場所を探し続けているはずの自分の肉体が、どうしようもなく「生」に執着している証左のようで、彼女はひどく憂鬱な気分になった。
のろのろと体を起こすと、背中に嫌な重だるさが残っている。昨夜、髪を乾かさずに眠ってしまった報いだ。焦茶色のゆるふわな長い髪は、一部が湿ったまま枕の形に固まり、ひどい寝癖となって彼女の肩を覆っている。太宰は溜息をつき、おぼつかない足取りで洗面台へと向かった。
鏡の中の自分は、昨夜の疲労をそのまま引きずったような、どこか虚ろな表情をしていた。琥珀色の瞳は眠気で潤んでいるが、その奥にある知性はすでに、今日一日の予定を事務的に組み立て始めている。
「……まずは、この惨めな髪をどうにかしなきゃね」
ドライヤーの騒々しい音が、静かな早朝の部屋に響き渡る。生乾きの髪に温風を当てながら、彼女はぼんやりと、窓の外で少しずつ色を変えていく空を眺めていた。温風が冷えた耳朶や首筋を撫でる感覚は、昨夜のお湯の熱とはまた違う、乾燥した現実の感触だった。女性の体というのは、手入れを怠ればすぐにその報いが返ってくる。以前なら気にも留めなかったような些細なことが、今の彼女には、日常という舞台を維持するための必須項目として重くのしかかっていた。
髪を乾かし終え、次に歯を磨く。ミントの清涼感が口内を駆け巡り、脳の隅々に残っていた微かな眠気の滓を強引に洗い流していく。電動歯ブラシの規則正しい振動に身を任せながら、彼女の意識は徐々に「今、自分が置かれている状況」へとピントを合わせ始めた。
出社まで、まだ二時間以上ある。
これなら余裕を持って準備ができる。国木田に怒鳴られることもないし、なんなら途中でどこかの川の様子を眺める時間すらあるだろう。
そう楽観的に考えた瞬間に、脳裏を一筋の、冷たい電光のような記憶が走った。
「……あ」
口の中に残っていた泡を急いで吐き出し、口をゆすぐのもそこそこに、彼女は居間へと駆け戻った。
昨夜、電源を落としたまま放置していたスマートフォン。
それを手に取り、長押しして起動させる。画面に表示されるロゴマークが、今日一番の恐怖の象徴に見えた。システムが立ち上がった瞬間、通知センターが狂ったように震え始める。
『不在着信(12)』
『メッセージ(24)』
そのほとんどが、一人の人物から送られたものだった。
太宰は、指先をわずかに震わせながら、メッセージの履歴をスライドさせた。
最初は、いつものような乱暴な催促だった。
『おい、三十分経ったぞ。どこにいやがる』
『返信しろ、手前。わざとか?』
しかし、時間が経つにつれて、文字の羅列から余裕が消えていくのが分かった。
『おい、探偵社のビルの前で、俺に恥をかかせる気かよ。……いい加減にしろ』
『……。返信しねえってことは、まだ仕事か。寝てんのか。どっちだよ』
そして、最後の方は、怒りというよりも、どこか焦燥感に近い響きを帯びていた。時刻は昨夜の十一時を回ったあたり。
『……おい。何かあったんじゃねえだろうな』
『返せっつってんだよ。死ぬなら俺の目の前で死ね、クソ鯖』
太宰は思わず、スマートフォンの画面を伏せて天を仰いだ。
「……やってしまった。完全に、やらかしたね、これは……」
冷や汗が背中を伝う。中也。相棒であり、宿敵であり、そして、この世界で唯一、自分の脆い部分を晒すことを許した恋人。
彼との関係は、世間一般の「相思相愛」という甘やかな言葉で片付けられるほど単純なものではない。互いの命を幾度も預け、裏切り、それでもなお繋がっている、魂の腐れ縁だ。女性の姿になった太宰を、彼は戸惑いながらも、その不器用な情熱で抱きしめてくれた。時折、互いの体温を確かめ合うように重ねる肌は、孤独に慣れきった太宰にとって、唯一の逃げ場だった。
その彼を、仕事にかこつけて、そして不注意な居眠りのせいで、何時間も放置してしまった。
「一時間……いや、二時間もあそこで待たせていたのかい? あの、気が短くて、おまけに心配性なチビを……?」
想像するだけで、胃のあたりがキュッと締まるような感覚がした。彼はきっと、探偵社のビルの前で、人目を気にしながらイライラと煙草を燻らしていたに違いない。そして、何度かけても繋がらない電話に、最後は怒りを通り越して、最悪の事態――太宰が本当にどこかで「死んでしまった」のではないかという不安に駆られていたはずだ。
太宰は、意を決して返信を打とうとしたが、指が止まる。
今、彼は寝ているだろうか。それとも、まだ怒りに燃えてヨコハマの闇を彷徨っているだろうか。あるいは、心配しすぎて一睡もできずに、朝を迎えているのではないか。
「やばい。謝るべきか、それともいつものように煙に巻くべきか……。いや、今回ばかりは後者は死を招くね」
彼女は迷った末、メッセージではなく、直接電話をかけることにした。
呼び出し音が、鼓膜を執拗に叩く。
一回、二回、三回。
不通のまま終わるかと思った四回目。
『……ああ?』
受話口から聞こえてきたのは、地獄の底から響くような、低く、そしてひどく不機嫌な声だった。
「……あ、中也? おはよう、かな……?」
『おはようだと? 手前、今何時だと思ってやがる』
「五時、十五分……だね。爽やかな朝だと思わないかい?」
『……ぶち殺すぞ』
電話の向こうで、ベッドのシーツが擦れるような音と、荒々しく髪を掻き回すような気配がした。中也は間違いなく、今の今まで眠っていた。それも、おそらくは最悪な気分で。
『手前、昨日の今日でよくそんな能天気な声が出せるな。俺がどんだけ待ったと思ってやがる。探偵社の前で一時間。返信もねえ、電話も出ねえ。終いにゃ電源まで落としやがって……。死んだと思って、一晩中探し回る一歩手前だったんだぞ、こっちは』
「……ごめんね、中也。本当に、悪気はなかったんだよ」
太宰の声は、自分でも驚くほど小さく、そして素直なものになった。
「仕事が終わらなくて……それで、終わった安心感からか、デスクの上でそのまま寝ちゃったんだ。気づいたら午前三時で、慌てて帰ってお風呂に入って、そのまま……」
『……ったく。手前はいつもそうだ。自分勝手で、人の気も知らねえで……』
中也の声から、次第に険が抜けていく。それは、彼が太宰の「嘘のない疲労」をその声から嗅ぎ取ったからに他ならなかった。
『……怪我はねえんだな?』
「うん。どこも。包帯も綺麗に巻き直したし、髪も乾かしたよ」
『そうかよ。……ならいい』
短い沈黙が流れる。
電話越しに、互いの呼吸だけが聞こえる。太宰は、この時間が永遠に続けばいいのにと、不意に願った。朝の光が部屋を満たしていく中で、中也の声だけが、自分の輪郭をはっきりと繋ぎ止めてくれている気がした。
『……おい、太宰』
「何だい?」
『今から行く』
「えっ、でも、中也、これから仕事じゃ……」
『うるせえ。手前の顔を直接拝むまでは、腹の虫が収まらねえんだよ。三十分で行く。それまでに、少しはまともな格好しておけよ』
一方的に電話が切れる。太宰は、黒くなった画面を呆然と見つめた。
三十分。
二時間あったはずの余裕は、一瞬にして消え去った。
彼女は慌てて立ち上がり、まだ袖を通していなかったトレンチコートを掴んだ。
「……全く。相変わらず、せっかちな男だね」
文句を言いながらも、太宰の心には、先ほどまでの憂鬱な霧を晴らすような、温かな熱が灯っていた。
彼女は急いで新しい包帯を手に取り、慣れた手つきで腕や首筋に巻き直していく。鏡の中の自分を見つめる。琥珀色の瞳には、もう虚ろな影はない。代わりに、これからやってくる嵐のような男をどう迎え撃つかという、いつもの悪戯めいた光が宿っていた。
髪を軽く整え、砂色のトレンチコートの襟を立てる。
香水はつけない。中也は、太宰の元々の、石鹸とわずかな薬の匂いが混じったような香りを好んでいることを知っているからだ。
三十分後、予言通りに、寮の下で野太いエンジン音が響いた。
太宰は、忘れ物がないかを確認し、部屋の鍵を閉めて外へ飛び出した。
朝焼けに染まるヨコハマの空気は、凛としていて、それでいてどこか優しい。
エントランスを出ると、そこには黒い高級車の横に寄りかかり、不機嫌そうに煙草を燻らす小柄な男が立っていた。
中也は太宰の姿を見つけると、煙を吐き出し、乱暴に足元で火を消した。
「……遅えんだよ、クソ鯖」
「やあ、中也。早起きは三文の徳って言うけれど、君に会えるなら三文以上の価値があるね」
太宰がいつもの調子で近づくと、中也は鼻を鳴らし、彼女の腕を乱暴に引いて、自分の胸の中に閉じめた。
「……っ」
不意を突かれた太宰の体が、中也の固い胸板と、革ジャンの匂いに包まれる。
「……心配させんじゃねえよ、馬鹿」
耳元で囁かれた低い声には、電話越しでは伝わりきらなかった、深い愛着と安堵が混ざり合っていた。太宰は、彼に回した手のひらで、その背中の温かさを確かめた。
ああ、私は生きている。
女性の身体になっても、どんなに絶望の淵を歩こうとも、この男の腕の中にいるときだけは、自分がこの世界の住人であることを許されるような気がする。
「……苦しいよ、中也。私の繊細な体が折れてしまうじゃないか」
「折れてたまるか。そんな柔な体にしてねえだろ」
中也はニヤリと笑うと、太宰の腰を抱き寄せたまま、助手席のドアを開けた。
「行くぞ。探偵社まで送ってやる。……その代わり、今日の夜は空けておけよ。昨日の分まで、たっぷり返してもらうからな」
「おや、恐ろしい。マフィアの幹部様に、どんな取り立てをされるのかな?」
「……手前が一番よく分かってんだろ」
太宰は助手席に滑り込み、中也が運転席に回るのを見守った。
車が走り出すと、ヨコハマの街並みが飛ぶように後ろへ流れていく。
まだ人影のまばらな朝の街を、二人の秘密を乗せた車が駆け抜けていく。
太宰は、中也がハンドルを握るその横顔を、琥珀色の瞳で静かに見つめていた。
早く起きすぎてしまった朝。
悪夢で始まった昨日の続き。
けれど今、隣にいるこの男の存在が、今日という一日を、昨日よりも少しだけ愛すべきものに変えてくれる。
彼女は、包帯に包まれた自分の手を、そっと自分の膝の上で握りしめた。
「……ねえ、中也」
「あ?」
「……やっぱり、なんでもないよ」
伝えようとした「ありがとう」の言葉は、いつものように茶目っ気のある笑みの下に隠した。
それでも、中也は彼女の手元を一瞥し、少しだけ口角を上げてアクセルを踏み込んだ。
探偵社のビルが見えてくるまで、二人の間には、言葉以上の確かな温もりが流れ続けていた。
女性として生きる太宰治の、どこまでも人間臭く、そして誰よりも愛されている、新しい一日の始まりだった。