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雫石しま
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私は拓也さんの笑顔を思い出し、クッションを抱えて座敷の畳の上を転がりまわった。どうする!?告白する!?いやいやいや、まだ会って1ヶ月だし!――火鉢で退職届を燃やしてから、1ヶ月が経とうとしていた。秋の風は涼しく、夜は肌寒いくらいだ。
縁側に座って、膝を抱える。外はもう真っ暗で、虫の声が遠く近くで鳴いてる。白山のシルエットは月明かりでぼんやり浮かんでて、なんだか優しい目で見守ってるみたい。
1ヶ月前は、東京のオフィスで終電に揺られて、エナジードリンクの空き缶を握りしめて「もう無理」って思ってた。退職届を燃やした灰の匂いが、まだ鼻の奥に残ってる気がする。あの時は「もう誰も頼らない」「一人で生きていく」って決めてたのに、今は違う。
クリニックで「里奈ちゃん」って呼ばれて、患者さんから飴玉もらって、拓也さんに「助かったよ」って言われて……毎日が、こんなに温かいなんて思わなかった。
拓也さんの笑顔。患者さんに向ける時は優しくて、少し冷たくて、でも私にだけ見せる時はちょっと照れたみたいに口角が上がる。あの瞬間、心臓がドクンって鳴る。「干し柿作り」って、完全にデートだよね?山下じいさんがいるから、完全に二人きりじゃないけど……それでも、朝から拓也さんの家に行って、一緒に柿の皮剥いて、紐に通して、軒下に吊るす。想像しただけで、顔が熱くなって、クッションに顔を埋める。
「まだ早い、まだ早いよ……」
自分に言い聞かせるけど、胸の奥で「好き」って言葉がぐるぐる回ってる。
秋の風が縁側を通り抜けて、髪を揺らす。冷たいけど、嫌じゃない。むしろ、この肌寒さが、胸の熱さを引き立ててるみたい。明後日、干し柿作り。そこで、何か言えるかな。
「拓也さん、私……」
いやいや、まだ無理!せめて、干し柿を一緒に食べて、笑い合って、もっと仲良くなってから……。でも、もし拓也さんが「里奈、俺も……」って言ってくれたら?想像しただけで、クッションをぎゅっと抱きしめて、畳の上でまた転がる。
「きゃー! どうしよう!!」
一人で叫んだら、虫の声が一瞬止まった気がした。恥ずかしくて顔を覆うけど、口元は緩んでる。
ぐぐぅ。
恋はすれども腹は減る。キッチンで、山下じいさんがくれた野菜を並べる。里芋を洗って、ネギを刻んで、簡単な味噌汁を作ってみる。鍋がコトコト煮えて、湯気が立ち上る。温かい味噌汁と里芋の煮っころがし。
一口飲んで、目を細める。
「……うまい」
社畜時代は、コンビニのサラダチキンとカップスープが定番だった。今は、誰かが畑で採れた野菜を、こうして食べられる。胸の奥がじんわり温かくなる。外で風が吹いて、ススキがさらさら揺れる。井戸の蓋から上がってくる冷たい空気も、今はただの「この家の空気」みたいに感じる。
「でも……夜中の動物は怖い……」
怖いものは、まだある。でも、怖いものを1つずつ、対策して、慣れていけばいい。私は、もう一人で縮こまってない。少しずつ、この山の暮らしに溶け込んでいく。