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 城下町の圧巻な景観において、その建物は一際目立つ。

 なぜなら、大きい。周囲には様々な建築物が立ち並ぶも、これより巨大なものは見当たらない。

 さらには、威圧的だ。黒茶色の丈夫な木材が建材として使われており、無知な子供がこれを見た際は、要塞の類と見間違うだろう。

 建物の名前はギルド会館。傭兵に仕事を斡旋するための施設であり、様々な荒くれ者達が食い扶持を稼ぐために足しげく通っている。

 入館後、左方向に進めばそこは食事処だ。

 テーブルと椅子が規則正しく配置されており、ウェイトレスを兼ねた職員に料理を注文すれば、座っているだけで食事が運ばれてくる。

 外食ゆえに多少高額ではあるのだが、その分、量も多いことから文句を言う者はいない。

 入館後、右手側に進むとそこには掲示板が並列に置かれている。

 壁を背にそれらは威風堂々直立しており、板面には羊皮紙がところ狭しと張られている。

 その一枚一枚は単なる張り紙ではない。それぞれに依頼人の想いが籠められており、傭兵は記載内容の難易度や報酬を加味して挑むか否かを検討する。

 依頼の受領手順はシンプルだ。

 掲示板の前に立ち、先ずは物色。

 身の丈に見合ったものを見つけられたら、その羊皮紙を剥がしてギルド会館の奥を目指せば良い。

 そこには受付窓口が設けられており、カウンターの奥に待機している職員に話しかければ手続きはあっという間に完了だ。

 掲示板エリアは普段から賑わっている。

 とりわけ、朝から昼頃にかけては、むさ苦しい連中の溜まり場だ。

 一方で、夕食後以降はまばらと言えよう。いかに傭兵と言えども、夜は仕事を忘れて自由な時間を満喫したい。


(依頼もまぁ、少ないしね)


 その少年も含めて、そこには数える程度の傭兵しかいない。食堂側は賑わう一方で、反対側のここは閑散としている。


(今日はさすがに無茶させちゃったかな。おかげでそこそこ稼げたけど。アゲハさん、晩御飯食べてもしんどそうだったから、そろそろ宿屋に着く頃だしそのまま寝ちゃうのかな?)


 その予想は正しくない。

 いかに疲弊しようと、彼女は入浴を最優先とする。明日も二人ないし三人で依頼に挑む以上、身だしなみは怠れない。


(稼げた……けど、思ってたほどじゃないと言うか、いや、宿代には困らなくなったけど)


 左脚を軸にして、体をわずかに傾ける。

 草色の髪を揺らすように頭を振った理由は、定まらない思考に嫌気がさしたからか。

 エウィンは今日も緑のカーディガンを着ており、長ズボンも普段通りの黒一色だ。

 そのズボンだが、泥汚れが目立つ。長時間の移動による弊害ゆえ、傭兵ならばとりわけ不思議ではない。


(今日の稼ぎは一万二千イール。三人で分けたから、二人だと八千。悪くはない。ううん、以前と比べれば大金)


 三人とは、エウィンとアゲハ、そしてエルディアのことだ。

 傭兵らしくチームを組み、依頼をこなして金を稼いだ。

 ならば、報酬も三人で分配しなければならない。


(草原ウサギを狩ってた頃は、一日で千イール稼げたら上出来だった。今はその十倍くらい? そう考えるとすごいな。だけど、全然貯まらない。やっぱり、出費が原因なのかな……)


 現在の所持金は約八万イール。

 悪くはない。

 悪くはないが、貧乏であることに変わりない。

 なぜなら、その金額が全財産だからだ。

 貯蓄などなく、ましてや住む場所さえ存在しない。

 つまりは依然として浮浪者のままだ。

 アゲハだけは宿屋に泊まらせるも、エウィンは貧困街の廃墟で雨風をしのいでいる。

 一泊の宿代はたったの千二百イール。アゲハは日本人ゆえ、その安さには目を見開いてしまった。

 地球ならば、狭いホテルであろうと五千円はするのだから、破格の安さを言えるだろう。

 イールと円は、単位こそ違えど貨幣価値は非常に近い。

 おにぎり一個が百イール前後。

 惣菜パンもその程度か。

 日本においても店によって上下はするが、似たような金額で買えるはずだ。


(八万貯まったから武器を買おう、とはならないからなぁ。いやまぁ、アイアンダガー買えちゃうけどさ。僕は当然、素手で構わないし……)


 眼前の羊皮紙を力なく眺めながら、少年は思考を巡らせる。

 稼いでも稼いでも豊かになれない理由。それは、出費の多さに起因する。

 例えば、ギルド会館での食事。高くはないが、安くもない。もちろん、外食という意味では破格の安さなのだが、これを毎日続けていれば、出費はかさんでしまう。

 ましてや、朝食と夕食の二回を二人分だ。昼食も出発前に購入したおにぎりやパンで済ませるのだから、そういう意味では三食全てに金をかけてしまっている。

 また、衣服や靴の買い直しも痛い。

 ありえないことに、この少年だけでなくアゲハでさえ、毎日のように数百キロメートルを走っている。

 イダンリネア王国を出発し、マリアーヌ段丘を越えるだけでも片道百キロメートルはくだらない。

 その先に用事があるのだから、往復なら倍以上だ。

 この距離を走れば、靴はあっという間に傷んでしまう。いかに魔物の素材から作られていようと、安物はそれ相応にチープなため、頻繁に買い替えなければならない。


(もっと稼ぐしかないのかな? だとしてもどうしたら……)


 掲示板と向き合いながら、うなだれてしまう。

 傭兵としては平均値に近い形で稼げている。

 それでも満たされない理由は、武具の購入を欲してしまうためか。


(エルディアさんがついてきてくれるから、安全だけは確約されてる。ただ、弊害って言ったら言葉が悪いけど、稼ぎは山分け。まぁ、二等分じゃなくて三人でわけてもらえてるから、こちらとしてもありがたい限りなんだけど)


 魔物を狩る際、アゲハは足手まといでしかない。

 彼女がいなければ、エウィンの活動範囲はさらに広がるばかりか、のびのびと戦闘に没頭出来る。

 それでもアゲハを同行させる理由は、戦闘そのものが彼女の鍛錬に繋がるためだ。

 この世界では、魔物を殺すだけで強くなれる。素振りや筋力トレーニングも効果的ではあるのだが、最短ルートで己を鍛えたいのなら、魔物討伐がベストだと考えられている。

 その甲斐あって、アゲハの成長は著しい。

 走る速さも。

 体力も。

 グングンと向上している。

 だからこそ、今日は遠出の狩りを計画してしまった。

 目的地は、バース平原の中心。アダラマ森林の西に位置する大草原であり、片道三百キロメートルの旅路だ。

 朝出発し、先ほど帰国したのだが、この距離を一日で走破する日本人は地球にはいないだろう。


(遠くても、稼げるわけじゃないってのが依頼の難しいところなんだよなぁ。他の稼ぎ方も見つけて、平行してやるのがベスト……なんだと思う。全然思いつかないけど……)


 例えば、魔物の皮や牙といった素材を収集、帰国後に売却か。

 しかし、このやり方は理に適っていない。

 なぜなら、魔物は倒しても倒しても無限に再発生するため、素材は常に供給過多だ。ジレットタイガーのような需要が多岐にわたる場合は例外だが、素材の多くが捨て値でやり取りされてしまう。


(エルディアさんみたいにお店で働ければ……。いやまぁ、あの人は武器屋の娘で、ただ手伝ってるだけなんだけど。しかも、本当にたまーにしか手伝ってないみたいだけど……)


 残念ながら、その案は悪手だ。

 エウィンの収入は悪くない。一般的な仕事の月収が三十万イールだと仮定した場合、一日の稼ぎは一万イールを上回る程度か。

 対して、彼らは依頼をこなすだけでそれに近い金額を得ている。

 傭兵活動と店番を同時にこなせるのなら収入は倍になるのだろうが、現実的にはありえない。

 ゆえに、鍛錬も兼ねるのなら現状維持がベターなのだろう。

 眼前の羊皮紙をぼんやりと眺めるエウィンだが、背後から近づく足音を決して聞き逃さない。

 ゆえに、話しかけられたところで想定の範囲内だ。


「なんか面白いの見つかったー?」

「いえ、今朝の残りものばっかです」


 その女性は長身だ。

 茶色い髪をミディアムボブに整えており、その顔立ちは美人ではあるのだが魔眼ゆえにどこか妖艶に映る。

 彼女の名前はエルディア・リンゼー。ここがギルド会館であろうと、胸部アーマーと腕甲は装着したままだ。かさばらないことと外した方が邪魔になるため、傭兵らしくカチャカチャ鳴らしながら館内を歩く。


「そっかー、そんなもんだよねー。美味しい依頼は早い者勝ちなんだし」


 彼女の言う通り、依頼の受注は先んじた者に限られる。

 ゆえに、新たな羊皮紙が張り出される朝方が混雑のピークだ。

 しかし、午後であってもチェックを怠ってはならない。手続きが済んだ急ぎの依頼が舞い込むことも少なくないため、夕食後の物色は無駄ではない。


「こういう依頼って、僕、受けたことがないんですけど、作業量的にはどんな感じなんですか?」

「んー? あぁ、アダラマ森林の看板掃除ね。けっこう大変よー、数が多いからね。一個ずつ、ふきふきして綺麗にしてくって感じ」


 エウィン達は帰国後、当然ながらここに足を運んだ。

 依頼の完了手続きと夕食を食べるためだが、アゲハは疲労困ぱいだったことから、先んじて宿屋に戻る。

 その結果がこれだ。

 エウィンとエルディアの二人だけが取り残されたため、今は時間を潰すように掲示板を眺める。

 帰宅後は眠るだけ。それはそれで人間としては正しいのだが、夕食を食べた直後ということから、食い扶持の物色は悪手ではないはずだ。


「道沿いにチラホラ見かけますけど、あれを片っ端からか……」

「そうそう。ウサギ狩りを卒業したら、これに挑戦するのも悪くはないって感じ。まぁ、小銭しか稼げないけどね」

「なるほど。あ、だったら、ルルーブ森林の看板拭きもあるんですか?」

「あるある。むしろそっちの方が需要はあるっしょー。報酬もちょっとだけ高くて、だからこうやって残り続けることはない」


 地理的な理由だ。

 アダラマ森林は王国の北西に位置するのだが、傭兵や軍人以外は滅多に訪れない。その先には村の類が存在しないのだから、当然と言えば当然だ。

 対して、ルルーブ森林は人の往来が多い。港が存在するばかりか、その先の土地にも農村があることから、旅人や商人を見かけることも少なくない。


「明日、アダラマ森林方面に出かけることになったら、その時はこの依頼を受けちゃうのもありかもしれませんね」

「そだねー。アゲハちゃんが元気になってれば……、だけど」

「確かに。今日だけで二、三キロは痩せてそうなくらいにはゲッソリしてましたね」


 エウィンが静かに笑うも、それほどにアゲハは疲弊していた。

 徒歩なら二週間近くはかかる道のりを数時間で走り抜け、その日の内に往復させたのだから、重労働どころの騒ぎではない。


「うむ! さすがに無茶させちゃったゼ」


 さすがのエルディアも、今回ばかりは反省している。

 今日の依頼は彼女が選んだことから、罪悪感に苛まれて当然だ。


「エルディアさんはどうなんですか? こんだけ走ったら、少しくらいは足が細くなったりとか……」

「グハッ!」


 悪気のない発言がエルディアを傷つける。

 この少年の言う通り、隣に立つ傭兵は足が太い。ロングスカートで完全に隠してはいても、二人は暇さえあれば模擬戦に取り組む間柄ゆえ、スカートの中身はどうしても見えてしまう。

 実は、エルディアにとって足の太さはコンプレックスだ。

 傭兵ゆえに細いはずがないのだが、他の同業者と比べても彼女の脚部は肉付きが良い。

 健康的ではあるのだが、それを良しとするか否かは価値観によって左右される。

 彼女の場合、その太さはマイナス評価となってしまった。

 一方で、エウィンはそう思わない。


「太いくらいが丁度良いと思いますけどねー。アゲハさんに言っても、ヒィとか言って顔隠すし……。女心ってのは本当にわからない」

「まぁ、うん、乙女ってのはそういう生き物なんでね……」

(乙女? いや、さすがにここはスルーしとこう。二十五歳と二十四歳はまだまだ乙女なんだ、きっとそうなんだ)


 このタイミングで学ぶ。地雷だと気づけた以上、十八歳の若者は沈黙を選ぶことに成功した。

 一方、満たされた腹をさすりながら、エルディアはとある羊皮紙に目を奪われる。


「あ、これなんか面白いんじゃない?」

「ほほう? って、お腹どうしたんですか? 食べ過ぎで太りました?」

「ちょ、もしかして私のこと嫌い? デザート食べ過ぎただけだってー」


 エルディアが遅れて現れた理由だ。エウィンが依頼を物色している最中も、彼女は一人黙々と甘味を口にしていた。

 この少年は経済的にそういったことが困難なため、暇潰しも兼ねて掲示板を眺めていた。

 収入自体は大差なくとも、エルディアは実家暮らしなため、自由に使えるお金は天と地ほどの差がある。

 そういった背景が食事事情にも直結するのだが、エウィンはその羊皮紙を眺めることから始める。


「別腹ってやつですねー」

「そ、そんなとこ、かな……」

「どれどれ、漬物石に丁度良い石を探しています。丸ければ丸いほどオーケー。報酬は千イールと焼きたてクッキー……、クッキー? 何これ、却下」

「えー、明日にでも石集めようよー」

「クッキー食べたいだけじゃ? まぁ、良さそうな石っころが落っこちてたら、んでもって覚えてたら、持ち帰るのもありかもですけど。あー、ついでで依頼を一個こなせるなら、確かにラッキーなのかな?」

「そゆことー」


 現状の目的は、傭兵の等級を二へ上げることだ。

 そのためには、依頼を八十個達成しなければならない。

 しかし、今回は二人分だ。エウィンとアゲハが共に昇級出来ればそれがベストなため、実質百六十もの依頼に挑まなければならない。

 現在は一日二個ペースで進められているため、順調ではあるのだが先はまだ長い。


「ぼちぼち一か月くらい経ちますけど、僕ですらノルマまでまだ半分くらい。アゲハさんの分はそれよりもちょい遠い。そろそろ数をこなすことに専念するのも、ありっちゃーありなのかも?」

「だねー。まぁ、焦らない焦らない。あ、こっちのも簡単そうだよ?」

「どんなんですか? って、そっちは特異個体……」

「マリアーヌ段丘の海岸に、魔法を使うカニがいるみたーい」


 掲示板の数は一つではない。

 それぞれに特色があり、エウィンの眼前には雑用のような多岐にわたる要望が張り出されている。

 対してエルディアは他の場所に移動済みだ。

 つまりは別の掲示板を物色しており、そこには手ごわい魔物達の討伐依頼が掲載されている。


「そういう魔物って、探しても探しても見つけられなかったりするんで、僕としてはお断りしたいんですけ……。むむ? 報酬五万イール⁉」

「そうそう。けっこう美味しい」


 エウィンが驚いた理由は、その金額に起因する。

 しかし、この狩りには裏があることをあっさりと見抜いてみせる。


「あー、これって、この特異個体がめちゃくちゃ強いってことなんじゃ?」

「かもねー。もしくは、場所が場所なだけに若者が殺されまくったとか?」

「そ、それは……、ありえる」


 特異個体。突然変異を疑うほどに、手ごわい魔物を指す。

 巨人族やゴブリンといった人間に近い種族を除くと、基本的にはその分類の中に個体差は存在しない。

 草原ウサギならその全てが草原ウサギであり、歩くキノコことウッドファンガーならウッドファンガーだ。人間が気づけない範囲で多少の差はあるのかもしれないが、それらの強さは同じ種類ならば横並びだと考えられている。

 しかし、そういった先入観は危険だ。

 なぜなら、特異個体という非常識によってそのような思い込みは否定されてしまった。


「やってみようゼ」


 強敵を前に、エルディアが嬉しそうに親指を立てる。やる気を出し始めた理由は、体が闘争本能を求めているためか。

 しかし、エウィンの反応は鈍い。即答出来ない理由は、特異個体と戦うこと自体が厄介だからだ。


「魔法を使うってことは、アゲハさんにはお留守番してもらいますか?」

「いやー、大丈夫っしょー。私がウォーボイスで対応するしー」

「さすが魔防系。だとしたら、見つけられるかどうかにかかってるってことか」

「そゆことー」


 特異個体はたったの一体だ。

 マリアーヌ段丘を走り回れば、ちらほらと草原ウサギを見つけることが出来る一方で、その賞金首はこの世界のどこかにいる異常な個体であり、今回の場合、マリアーヌ段丘の東に位置する海岸沿いにて目撃されている。

 実は、心配は不要だ。

 眼前の羊皮紙には様々な情報が記載されており、特異個体を狩るつもりなどなくとも、この掲示板を日々チェックしていれば、危機を遠ざけることが可能だ。

 ましてや、それの姿かたちが鳥獣戯画のようなタッチで描かれていることから、遠目からでも実物を識別出来るだろう。

 特異個体の目撃情報があった場所には、不要には近づかない。

 たったこれだけのことを遵守すれば、自分自身くらいは守れるはずだ。


「数をこなしたい。でも、五万イールは欲しい……」

「特異個体狩りも楽しいと思うよー」

「でも、マリアーヌ段丘にはカニの魔物なんていないはずですから、完全に未知数ですよ?」


 エウィンの言う通り、その地は草原ウサギの縄張りだ。

 だからこそ、傭兵になるための試験場に選ばれており、付け加えるのなら、イダンリネア王国がここに建国された理由でもある。


「余裕っしょー。私の戦技とエウィン君のキラキラパワーがあれば、向かうところ敵なしってね」

「ふーむ、まぁ、死人が出てるっぽいので、見過ごすわけにはいきませんね」

「そうそう。それを言いたかったのだ」


 明日の予定が決まった瞬間だ。

 理論武装が下手なエルディアを他所に、エウィンは他の羊皮紙も物色する。

 もっとも、挑む依頼が決まった手前、どうしても雑談が中心になってしまう。


「アゲハちゃんとはどこまで行ってるの?」


 エルディアはアゲハよりも一歳年上だ。

 ゆえにちゃん付けで呼ぶのだが、本人としては他意などない。


「え? ジレット監視哨までですけど。ほら、一か月前の……」

「いやいや、そういうことじゃなくて、キスとか、おっぱいモミモミとか、あ、もしかして……」


 エルディアの不敵な笑みを眺めながら、エウィンは石像のように硬直してしまう。

 対照的にこの魔女は両手の開閉を続けるも、少年は急かされるようにため息をつく。


「頭大丈夫ですか?」

「し、辛辣⁉」

「僕とアゲハさんはそういう関係じゃありません。毎日のように一緒にいるんですから、気づいてるでしょうに……」


 仲間であり恩人同士。この表現が適切か。

 どちらも命を救い合っており、現状においてはそれ以上でもそれ以下でもない。

 少なくとも、エウィンはそのように認識している。


「またまたー。で、どこまでしてるの?」

「その魔眼は節穴ですか? それとも、アゲハさんの目つぶしで視力を失ったままとか? 本当に僕達は何でもありません」

「またまたー」

「く、食いついてくるな、この人……。手を繋いだことだって、いや、それくらいはあるか? う、うーむ、思い出せん」


 手繋ぎ自体は経験済みだ。

 二人が初めて出会ったその日に、エウィンが救いの手を差し伸べた。

 崩れかけた小屋から、エウィンの自宅まで誘導しただけなのだが、二人の手のひらが重なったことは間違いない。


「え? じゃあ、あの爆乳にもノータッチ?」

「もちろん、ノータッチです。あ、でも、何度かおんぶした際に……。柔らかかったことくらいは覚えております」


 体が密着する以上、アゲハの大き過ぎる胸部が必然的に押し付けられる。

 その感触は思春期の少年には刺激的過ぎるため、これに関しては思い出すことが可能だ。

 その結果、エウィンは不気味にほくそ笑むも、エルディアの顔はそれ以上に歪む。


「まーじ柔らかいよねー。いやー、女に生まれて良かったゼ。心置きなく揉ませてもらえる」

(そうなんだよなぁ。この人、いつぞやの模擬戦に負けておいて、結局揉んでるんだよなぁ)


 ボディタッチの一環として、この年長者は隙あらばアゲハの胸を堪能している。

 エウィンは常日頃からその光景を見せつけられているのだが、嫉妬心を抱きつつも目に焼き付けずにはいられない。


「ぶっちゃけ、アゲハちゃんのこと、どう思ってるの?」


 ストレートな問いかけだ。

 エルディアはもはや他人ではない。ジレット監視哨で死地を乗り越えて以降、毎日のようにチームを組んでいる。

 一日の大半を三人で過ごしているのだが、それでもなおエウィンの本心は不明なままだ。

 なぜなら、何も言わない。無口なわけでもなければ、口下手というわけでもない。

 ただただ単純に、己の感情を表現しないだけだ。

 その理由は単純であり、エウィンは平然と言ってのける。


「元の世界へ帰してあげたい、としか……」

「え? それだけ?」

「はい、それだけ、ですけど……」


 これこそが本音だ。

 アゲハは日本人ゆえ、地球への帰還を欲することは不思議なことではない。

 ましてや、故郷には母親が一人残されている。再会を望むことは自然なことだ。

 そういった事情を考慮し、日本へ舞い戻るための手助けをエウィンは買って出た。

 もっとも、現状では何もわかっていない。

 オーディエンと出会えたことで状況は好転したものの、この魔物を信じ切ることは出来ないため、道半ばどころか眼前は霧がかったように曖昧だ。


「好き好きチュッチュみたいな、そういうのは?」

「ないです」

「おっぱい揉みたいとか」

「も、揉みたい! って何言わせるんですか」


 エウィンも男の子ゆえ、当然ながら性欲はある。

 しかし、理性の抑制に成功しており、アゲハを襲うという発想に至ったことはない。


「そういうところは健全だよね。アゲハちゃんとお付き合いしたいとか、そういうのはないの?」

「ないです。だって、最終的にはさようならしますし。それが一年後なのか二年後なのか、さっぱりですけど」


 オーディエンを倒せたらの話だ。

 しかし、それこそが困難だとわかっているため、エウィンは肩を落としてしまう。

 この魔物はあまりにも手ごわい。リードアクターで身体能力を大幅に強化してもなお、勝機が見いだせほどだ。諦めるつもりはなくとも、心はどうしても揺らいでしまう。


「そっか。ちゃーんと線引きはしてるんだね」

「使命感がそうさせるだけですけど」


 腕を組みながら、エルディアは静かに感心する。この返答に関しても鵜呑みにしてしまう。

 残念ながら、エウィンの発言は建前だ。嘘ではないのだが、本心を隠すための方便として使命感という単語を持ち出した。


「その割には、揺れるおっぱいをチラチラ盗み見してるような?」

「う! それはそれ、これはこれってやつです。あんなの、見ない方が失礼です」

「まぁねー。ところでさ、アゲハちゃんって変わってきてない?」


 アゲハは心に傷を負った女性だ。

 過去の出来事と生来の性格が噛みあった結果、彼女は大学を中退して以降、引きこもるようになってしまった。

 他人が怖い。

 現代を生きる日本人には厄介極まる病状だが、幸か不幸かアゲハは神に選ばれ、異世界に転生を果たす。

 しかし、この世界でも他者とのコミュニケーションは必須だ。引きこもれる環境がないのだから、誰かに依存しながら生きていくしかない。

 それがエウィンだった。この少年にだけは心を開くことが出来たのだが、裏を返せばそれだけだった。


「あー、雰囲気がちょっと明るくなったような気がしますね」

「だよねー。人前では縮こまっちゃってるけど、私達しかいない時は肩の力抜けてるし」


 つまりはそういうことだ。

 エウィンだけでなく、エルディアに対しても心を開くことに成功した。

 きっかけは焦りや負けん気のようなものなのだが、同性ということもあり、今では友人として接している。

 人間不信が解消されたわけではない。

 しかし、踏み出す勇気を手に入れた証拠だ。

 アゲハが強くなれたことを、二人は掲示板の前で喜ぶ。

 日は沈み、夕食も食べ終え、後は眠るだけ。そのような時間帯ゆえ、ギルド会館は普段よりもいくらか静かだ。

 遅い食事や酒盛りを楽しむ傭兵達も少なからず残っているのだが、エウィン達が今いる場所は落ち着いている。

 だからこそ、そのつぶやきは騒音にかき消されない。


「僕が死んでも、アゲハさんならきっと大丈夫」


 そう思い込みたいだけだ。

 しかし、思わなければ前へ進めない。

 この少年が生きる理由。それは、母親がそうしたように誰かを庇って死ぬことだ。

 自分を生かすために、母が殺された。

 この事実が罪の意識を植え付けるも、貧困街の片隅で飢えに苦しみながら、六歳の子供はそう結論づけた。

 十二年後、アゲハと出会ったことで、エウィンは改めて決意する。

 この人を守るためなら、自分の命など投げ捨てる、と。

 この思想は危険なのか?

 後ろ向きな生き方だと否定すべきか?

 あるいは、美しいのか?

 答えがどれであれ、エウィンはその瞬間を逃すつもりなどない。

 アゲハを庇って、自分は死ぬ。

 そうすることが贖罪だ。そう思い込んでしまった以上、チャンスを求めて旅を続ける。

 この少年は知らない。今はまだその時ではないのだから。

 この傭兵は知らない。最後はたどり着くのだから。

 イダンリネア王国は滅ぼされる。オーディエンは未来を予言するようにそう言ってのけた。

 嘘ではない。いつか訪れる事実だ。

 無数の屍が横たわる。

 マリアーヌ段丘が真っ赤に染まる。

 その炎は、人間を駆逐するために肉を燃やす。

 軍人が力尽き、傭兵すらも歯が立たない。英雄すらも、悔しそうに膝をつく。

 最後に立っているのは、それだけだ。長い髪を揺らしながら、敗者達を見下し続ける。

 王国が滅びる。

 王国が滅ぼされる。

 避けられない、運命のはずだった。

 その少年は死なない。守られているのだから当然だ。

 その傭兵は死なない。それだけの力を得るのだから。

 彼の名前はエウィン・ナービス。全てを越える、真の超越者。

 その隣には、アゲハが常に寄り添っている。

 二人が離れることなどない。それほどの絆を紡ぐのだから。

戦場のウルフィエナ~その人は異世界から来たお姉さん~

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