テラーノベル
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奈良は黒いジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出し、LINE通話で二年前の元同僚・田中に連絡を取った。
金沢駅に向かうバスの車窓に映る自分の顔は、貧相で情けなかった。
一つ、二つ、そして四つ目のバス停留所からは、「三共保険株式会社 金沢支店」のロゴが黒い社屋に青白いライトで照らされているのが見えた。
(俺、何してんだろ……)
奈良はこれまでの二年間を振り返った。瑠璃に一目惚れをして告白し、交際が始まった。
けれど彼女は可愛らしいだけで、一ヶ月という短期間では気質も思考も背景も、まるで雲を掴むように分からなかった。
それはまさに「上面だけの恋人」という言葉がぴったりだった。
そこで二年前の人事異動。
不慣れな土地と孤独に苛まれていたとき、意思疎通が容易い佐川さなと出会った。
彼女は叩けば響く快活な女性で、仕事もプライベートも有意義な時間を過ごせた。
肉体関係を持つまで、それほど時間はかからなかった。
同じ肉体関係を結んでいても、退屈な瑠璃と刺激的な佐川さな。
次第にその比重は佐川さなに傾いていった。
それがどうだろう。
昨日、会社の信用に関わる大失態を犯した今、佐川さなのフォローやアドバイスは、落胆した背中に逆に重くのしかかり、癒しとは程遠いものだった。
結局、彼女は互いに相手の力量を認め合う「チームメイト」でしかなく、仕事の調子が良ければ心地良いが、悪ければ不快でしかない存在だったのだ。
そのとき頭をよぎったのは、瑠璃の何も言わぬ、包み込むような優しさだった。
ところが瑠璃は、奈良の目前で黒木の車に笑顔で乗り込んだ。
幸せそうな二人の姿に、奈良は愕然とした。
(瑠璃が黒木係長と……いつから!?)
奈良が瑠璃の魅力に気づいたとき、既に彼女の心は他の男に移っていた。
自身の非は認める。
けれどこの二年間、瑠璃が自分と黒木を両天秤に掛けていたとすれば――奈良の中で、瑠璃に対して苦々しい思いが沸々と湧き上がった。
金沢駅西口のアナウンスが流れ、バスの扉が開いた。
タラップを降り、金沢独特の湿り気と匂い、人の流れに懐かしさが溢れ、思わず目を瞑った。
(ここ、瑠璃とよく歩いたよな……)
一年前、足繁く金沢に帰っていた頃、瑠璃とこの駅のコンコースを腕を組んで歩き、食事に出掛け、ホテルにチェックインした。
あのまま続けていれば、金沢支店へ戻る日も近かっただろう。
後悔で景色が歪んで見えた。
金沢駅西口に入ってすぐ右手、飲食店街へと繋がるエスカレーターの前。
此処もよく利用した。
当時の自分の姿を思い浮かべ、革靴に落としていた目線を上げると、三階に上がってすぐの居酒屋の前で手を振るスーツ姿の男性がいた。
「よう、奈良。久しぶりじゃん」
「田中も元気そうだな」
「まぁ、中、入ろうぜ」
田中は三共保険金沢支店の元同僚だった。
二人は西口のタクシープールが見下ろせる窓際の二人掛け席に案内された。
「酒、飲めるんだろ」
「おう」
ラミネートされたメニューには「立山」の銘柄が並んでいた。
佐川さなが好んで飲む日本酒だ。
不意に、801号室のリビングで泣き崩れていた彼女の後ろ姿が脳裏に浮かんだ。
「俺が急にいなくなって、心配してるよな……」
佐川さなから連絡があるかと思っていたが、その気配はなかった。
かといって、昔の恋人に会いに来ているとも言えず、奈良からメッセージを送ることもできなかった。
熱燗の徳利を傾ける。
奈良が言葉を発する前に、田中がその顔を覗き込んだ。
「あ、黒……」
「奈良、おまえ、大穴開けたんだってな」
「え」
「聞いたぞ」
「は、早いな」
「たりめーじゃん。この世の中には社内LINEっていうもんがあるんだよ」
「知ってるよ」
奈良はお猪口を口に付け、グイッと煽った。
「あと、グループLINE。おまえ、群れたくないからって入ってないけど、あれ、結構いろんな情報回ってくるし」
「どんな」
「奈良、おまえ浮気してるんだって?」
奈良は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
「な、なんで」
「ほれ、宅急便みたいな名前の年上の女、富山支店の」
「う、嘘だろ」
「一年くらい前から流れてたぜ。満島も知ってたんじゃねぇ?」
「まさか……」
「LINE、満島と連んでる村瀬も入ってるしな」
「え、そんな話は……」
「満島、優しいから我慢してたんじゃねぇの? 女、泣かすなよ」
田中は呆れて物も言えないという顔をしながら、小鉢の金時草の酢の物を箸で突いた。
奈良は酔うどころか血の気が引いた。
(瑠璃が知っていた……佐川さんと浮気していたことを知っていた。だからあの日、俺の部屋に来たのか)
こめかみがドクドクと波打ち、箸を持つ手が震えた。
「なぁ、田中」
「なに」
「黒木係長と、る、満島は……」
「あぁ、黒木さんか? おまえと違って一途だぞ。ありゃすげーわ」
「どういう意味だよ」
「上から来る見合いも断って、満島のことを片思いしてるんだとさ」
「い、いつから」
「二年前? おまえが富山に飛ばされる前後じゃねぇ?」
「マジか……」
「黒木さんも認めてるみたいだぜ」
「そ、それで、係長と満島は付き合ってるのか?」
「はぁ!? 馬鹿かよ。満島の相手はおまえだぞ、しっかりしろよ!」
少なくとも同僚たちの間では、瑠璃と黒木は付き合っていないことになっている。
それ以前に瑠璃は、奈良と佐川さなが浮気をしていたことを知り、その上でわざわざ富山のマンションまで指輪を返しに来たのだ。
その事実を知った奈良は、もう取り返しのつかないところまで来ていたのだと思い知った。
ウーパールーパー
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