別段、ふたりで意見を闘わせずとも、酒のツマミになる穏やかな話題などいくらでもあるのだが、一安は酒が入ると陽気になって喋り、人を煽って毒舌を振るう癖があった。まんまと乗せられた高樹は、鶏の刺身を口にして、話に興味がなくなった素振りを見せてスマホを取り出した。
こう云った行為は、ディペートの敗北を意味しており、「私はもう闘いません。白旗で結構ですので仕切り直しましょう」の意思表示であった。
一安は、得意げにふふんと笑うと、
「ねえ、ママ、情報を精査する能力を、教育現場で培うべきなんだよ。こんな世の中じゃ、情報大洪水にみんな流されちまう。その波に上手く乗れる奴なんかごく僅かだぜ。んなこと言ったらさ、ネットサーフィンなんてよく出来た言葉だな。昔からあるけど、実に理に適った文言だよ」
「そうよね…昔はスマホもなかったんですものね。便利になった代わりにってやつかしら?」
「何かを得れば何かを失うもんさ、スマホなんてさ、承認欲求増殖マシンだぜ」
ふたりのやり取りを聞き流しながら、高樹はスマホを操作していた。
靜子のスケジュールは、この小さい端末と、自宅のパソコンで管理している。
そのせいか、聞こえる会話は心外ではるものの、再度、議論に参加する気は更々なく、無視を決め込んだ。
芸能に携わる人間として、並木靜子という女優のマネージャーとして、承認欲求はひとりの人間の武器であり、価値であると捉えていた。
そんな心情を知ってか知らずか、若女将がカウンターから身を乗り出して、
「あら、高樹さん。それ最新機種?」
と、目を輝かせながら言った。
「え、あ、これ、そうなんですよ。いい加減古くなったから買い替えようって、思い切って最新機種にしちゃいました」
「あら、いいなあ。話題のAGってやつなんでしょ?サクサク動くの?」
「あまり変わらないですよ。時折フリーズするし、電話中なんか、たまに混線みたいなノイズも入るし、機種変なんてしなきゃ良かった…」
「あら、そうなの?」
それだけ言うと、若女将は呼ばれた奥席へと去って行った。
しばらくの沈黙の後で、高樹は一安に身を寄せながら、
「あのさ」
「…なんだよ、気持ち悪いな」
「若輩者として聞きたいんだが…離婚って大変なのか?」
「はあ!?」
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