コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
床がぴかぴかな白い大理石で、表通りに面する窓がすべてガラス張りで、外から店内を見回せるようになっている瀟洒な美容室にて、わたしは、全身鏡――それも幅がひと三人分くらいはありそうな、天井までの高さの大きな鏡の前で、黒く四角い一人がけのソファーに座っている。
「初めまして。桐島さま。……重森(しげもり)と申します」
「あっありがとうございます」わたしの前に回り込んで、丁寧にお辞儀をする重森さんに名刺を差し出され、恐縮する。「あの。……パーマをかけたいと思っているんですが……」
連休二日目の朝、わたしは、課長の行きつけの美容室に来ている。課長は、この美容室までわたしを案内すると、担当の重森さんに挨拶をし、わたしを紹介し、そして、わたしが終わる時間まで、一旦帰宅し、掃除や洗濯をするとのこと。……ありがたい。
「承っております」と黒いシャツとパンツに身を包み、穏やかさを感じさせながらもきりっとした印象を保つ重森さんは微笑し、「それでは先ず、桐島さまの頭皮と髪の状態を確かめさせて頂きますね。失礼します」
重森さんは、何度も、わたしの髪に指を差し入れ、ぴったりと頭を包む。それを頭の全体に繰り返す。かつ……髪に指を通し、髪の状態を確認しているようだ。そのあいだ、なされるがままの自分を、わたしは眺めるかたちとなる。……髪、伸びたな。最後に行ったの、春だっけ? ……半年間放置してるんだ。うわ。ロングだとどうしても、行くのが億劫で、美容室に行く間隔が空いてしまう。
重森さんといえば、ショートヘアで、髪にパーマをかけており、かつ、金色のメッシュが入っている。すごく――格好いい。きりっとした美人さんだ。おそらく――強めの顔を自覚して意識してやわらかい印象を与えるヘアスタイルを選んでいる。
「それでは、桐島さま。立って頂けますか」
「あ、はい」
それからも重森さんは、わたしの頭皮や髪の状態を確認する。何度も、何度も。右手に鏡があり、そこに映るシルエットも気にしているようだ。
「分かりました。――それでは、桐島さま。お座り頂けますか」
「はい」すとんと元の黒いソファーに座り、……そういえば昨日ソファーで課長に愛されたな、あれ革張りだったからいいけど、布だったらとんでもないことになっていた……淫らな自分をつい、思い起こしてしまう。
そんなわたしの胸中に気づかぬ体の重森さんは、
「桐島さまは、頭のかたちがとてもきれいです。後頭部がこう――カーブがかかっており」言って右の鏡に顔を向け、わたしに後頭部の輪郭が見えるように、頭のてっぺんから、うなじにかけてを、何度も押さえつける。そして手を離すと、ふわっ、と髪の毛が元の位置に戻る。「ですので、この頭のかたちを活かしたく――そうですね、ちょうどこの首の後ろ辺りからパーマをかけるかたちでいかがでしょうか。パーマはきつすぎず、いわゆるゆるふわに近い――ゆるめでふわっと。女性らしい印象を与えるかけ方にしたいと思います。
なお、桐島さまは髪にはりがありますしうねりも、癖も強いですから……あまり高い位置からパーマをかけるとボリュームが出過ぎてしまいます。なので低い位置での施術を提案します。また、カットの際も、ある程度ボリュームを落としたいと思います」
それから、重森さんは正面の鏡に顔を向けると、
「顔周りは華やかに。このくらいの髪を――」言って重森さんはわたしの髪束を握り、「ふわっと、後ろに同じようにかけようかと。不自然になってはいけませんので、下から前にかけてやや前上がりでパーマをかけるかたちで。そうですね、ちょうど耳の高さの辺りから下にかけてにしようかと。……桐島さまは、前髪を作るおつもりはありますか」
「あ……面倒なのでつい、伸ばしっぱで。えーと作ったほうがいいんですか?」
「そうですね。今回イメージを変えるということで、前髪を作って、桐島さまのくっきりとした目鼻立ちを強調する――という方法もございます。お休みの日もお洋服は今日のような感じですか?」
「あ……」服には無頓着で。会社では白い襟付きのシャツに黒のタイトスカート。休日は、ひとりのときは白いTシャツにデニムパンツ。課長の前だと会社と同じ。今日も同じ。……であるわたしはちょっぴり気恥ずかしくなる。「……レパートリーが少ないので、今日、彼と洋服を買いに行きます……。フェミニンな服が欲しいと思ってまして。ロングスカートとか……」
「カラーリングはご検討されてますか」
……茶髪にするか、って意味だよね。「あいえ特に……」
「お決めになる服装次第というところでもありますが。桐島さまは、愛らしい印象が強いですから。かつ全体のバランスを見ると、黒髪でパーマをかけるとやや重心が下がりますから、もし気になるようでしたら後日明るめの茶色に染めるという方法もございます。本日パーマをかけますので、カラーリングは最低でも一週間後となりますが。お勤めの会社では、髪の色に制限はありますか」
「あいえ。内勤職なので。よっぽど奇抜なの以外は基本オッケーだと思います。結構明るめの髪のいろのかたもいますよ」
「桐島さまは、地毛が美しいですから。この艶やかな髪色を活かすのも勿論手ですが、印象をがらりと変えたい! 愛らしい、やわらかい印象を与えたい、ということでしたら、カラーリングがおすすめにございます。カラーリングをされるとなるとパーマも大きめのロッドで巻く、エアリー感たっぷりのヘアスタイルとなります。されないのであれば茶髪の場合よりもウェーブをややきつめにしようかと」
どうしよっかな。……課長、わたしが茶髪にしたら、どう思うだろう。悩んでいるわたしに、重森さんはやわらかく笑み、
「パーマは三ヶ月持ちますし、一旦髪色はそのままで、しばらく様子を見て、その三か月間でご検討いただくかたちでいかがでしょう。前髪も作る、パーマもかけるだけでもかなり印象が変わりますので」
「あ……じゃあ、それでお願いします……」
「かしこまりました。それでは、シャンプーから参りますね」
* * *
「彼から、こちらの美容室の皆さんは、パリに研修に行かれるって聞いてびっくりなんですけど、本当にパリに行かれているんですね……」
「ええ」と丸椅子に座る重森さんは器用にハサミを動かしながら、「年に一回、二週間ほど行っております。店の営業がありますので、ひとりずつ、時期をずらして行っております」
課長からその話は聞いていた。『表看板に『パリで研修に行ってまいります!』なーんてあるから、てっきりな。姉妹店に行くくらいかと思ったら、あそこの美容室まじすげえの。本当にパリに行ってるんだってさ』
「向こうではなにをするんですか」重森さんのパーマのかかり具合が本当に素敵だなあ、と思いながらわたしが聞けば、重森さんは、
「弊社は、パリに本社がありまして。現地のスタッフから施術指導、それからお客様の施術、ですね。向こうだと新しいカラーがどんどん提供されておりますので、……また、パーマやカラーリングの技術も。それをひとりひとり、研究しております。
カットモデルは、比較的手ごろな値段でウェブで募集するのですが、パリ在住の日本人のかたが多くいらっしゃいます。どうしても、欧米人と日本人とでは髪質が違いますから、日本人に切って欲しい、と切望する方が多いのですね。瞬く間に募集が埋まります」
「重森さんは、フランス語は話せるんですか」
「日常会話程度は」
「いいなあパリ。素敵ですね……歩いているだけで幸せな気持ちになりますよね」
「桐島さまは、パリに行かれたご経験があるのですか」
「あ、はい、一度卒業旅行で……。といっても、友達いないので、ぼっちでしたが。ロンパリ見て回りました」
「女性がおひとりで行動するのはなかなか大変だったでしょう」
「はい。確かに……」わたしは当時の記憶を手繰り寄せる。「向こうってほら、建物が大きいじゃないですか。街自体が意匠ですよね。……で、ナショナルギャラリーの前で写真撮ってたら、服装の決して綺麗とは言い難いロン毛のお兄さんに、「Can I take a picture of you?」って聞かれて。怖くなって逃げちゃいました……」
「ロンドンも、素敵な街にございますね。……桐島さま、前髪は眉をすこし下回る長さを考えております。いかがでしょう?」
所作もエレガントな重森さんにすっかり魅せられる自分がいる。わたしは勿論頷いた。「あはい。お任せします……。
今回パーマをかけようと思ったのは。課長……いえ、彼の、パーマがすごく素敵で……それでです。
最近流行ってますよね。男性芸能人がパーマかけるの」
「ええ」とわたしの前髪を切る重森さんは、「がらりと印象が変わるでしょう……。実は三田さまに一度お勧めしたことはあるのですが。……そのとき、三田さまはこのように仰っていました」
――好きな子に告白を考えているから、それまでは清潔感を保ちたいんです。遊んでる、華やかな印象ってのを与えたくないんで。無事、恋愛が成就した暁には重森さん、パーマをお願いします!
「やだ課長……そんなこと一言も」
重森さんは微笑し、「三田さまの恋愛が無事成就されたことが分かり、嬉しく思っております……。お二人が並んでバランスのよいスタイルにさせて頂きますね」
* * *
想像以上に素晴らしいヘアスタイルが完成した。前髪はやや重め、ウェーブのかかった髪……! やばい超かわいい! どうしよう! 赤いグロスとか超欲しい! 赤いロングスカートも!
ありがとうございました、と何度も礼を言い、ほくほく気分で美容室を出る。――と、そこには課長が立っていた。途中でわたしからメールしたとはいえ、早い。ひょっとしたらこの辺をうろついていたのだろうか。
見開かせた課長の瞳がみるみるうるんでいく。
「……莉子ちゃん……」
「……どうかな?」
「どうって。どうって、ああもう!」走り出すとわしっとわたしを抱き締める。ちょ、課長、外ですってば! 外じゃ、あの甘い課長スキル発動しちゃ駄目ー!
わたしの背に手を添えたまま、利き手でわたしの顎をくいっと指で持ち上げると課長は、
「すげえ可愛い。……好き!」
短くキスをする。……重森さんまだ見ているってのに。恥ずかしい。課長はわたしを抱き締めたまま、
「重森さん! ありがとうございました! まじ、最高です!」
「気に入っていただけたようでなによりです。お似合いですね」
「あ、ほんと、莉子は宇宙一可愛い女の子なんで! 可愛い女の子をますます可愛くして貰ってまじ、感謝です!」
「行きましょう課長……」わたしは彼の胸を押し、「わたし、この髪型に似合う服が欲しいな……」
「よしじゃあ行こう」今度は、わたしの頬を挟み、笑って鼻の頭に口づけると課長は、「重森さーん! お世話になりました! ありがとうございました! また来月、よろしくお願いしまーす!」
課長は手を振り、ようやくわたしを解放する。……ふう、よかった。正直課長に触れるだけでわたしのあそこは水浸しになってしまうのだ。破壊力とんでもない。
「ありがとうございました。行ってらっしゃいませ」
ガラスの扉を外に向けて開いたまま、重森さん、それからお会計をしたスタッフさんが、手を繋いで歩き出すわたしたちに手を振ってくれていた。
*