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「結婚式、早くしてもらいなよ。
そしたら、早くケリがつくじゃん」
ある日、夜、雑炊屋に行くと、ちゃんと三田村はいて、そんなことを言い出した。
「いいなあ。
見たいな、月花のウエディングドレス姿。
招待してよ、僕らも」
僕らって――。
もしや、あとのメンツは西浦さんと船木さんですか……?
「月花に深い縁とゆかりのある人物だって言って呼んでよ」
と三田村は笑っている。
ある意味、ありますかね……。
はは……と苦笑いしながら、月花はトマトチーズ雑炊を木製のれんげで掬う。
それにしても、最近、専務の様子が少しおかしいような、と思いながら、なにも聞けないでいるうちに、月花は別荘に行く日を迎えた。
海の側にある真っ白な別荘はやはり巨大で。
涙型で、アラビアンな雰囲気も漂うシャンデリアを見上げながら、月花は思う。
お金持ちの家のエントランスホールはなぜギャラリーのような感じなんだろうな、と。
あちこちに絵画や個性的な家具がある。
「月花さん、よく来てくれた。
ゆっくりして行きなさい。
ここは一日中違う景色が見られていい」
機嫌良く専務のじいさんこと、藤樫庄助が言う。
「はい、ありがとうございます」
と月花が頭を下げたとき、吹き抜けになっているホールから見える上の回廊を駆け回る子どもたちが見えた。
子どもは元気だな~と思ったとき、子どもたちが振り回していたオモチャのバットが手からすっぽ抜け、シャンデリアに向かって飛ぶのが見えた。
「危ないっ」
月花は近くにいた庄助の手をつかんだ。
バットがガシャンッとシャンデリアにぶつかり、ガラスが降り注ぐ。
「こらっ。
危ないだろうがっ」
と周囲にいたおじさんたちが子どもたちを叱り、ごめんなさい~っとみんな泣き始める。
「あんた、大丈夫かねっ」
とおじさんたちが叫ぶ。
月花は無事だった。
だいたい、この辺に降り注ぎそうだという地点にいた庄助の手を引き、観葉植物の陰まで連れて逃げただけだからだ。
役に立ったな、あちこちにある観葉植物……と思う月花を庄助は、
「式を前にして、怪我したらどうするんだね」
と心配のあまり、叱ってくる。
「わしのことなんかいいから、気をつけなさい」
「いえいえ。
ご無事でよかったです」
と言うと、庄助は月花の手を握り、
「ありがとう。
これも愛かね」
と言い出す。
……愛?
「錆人への愛ゆえに、錆人のじいのわしまで大事にしてくれるのかね」
いえ、ここで専務は関係ないんですけど。
「なるほど。
月花さんは、錆人の運命の相手のようだ」
と庄助は笑う。
「――で、お前はなにをしてるんだ? 錆人」
「え……いや」
と言う錆人の手は半端に広げた不思議な位置で止まっていた。
実は錆人も危ないと思い、月花を抱き寄せようとしたのだが。
その月花が素早く動いて、庄助を助けてしまったので、なにもできずにフリーズしてしまったのだ。
「月花さんは、たいした嫁だ。
錆人、大切にせい」
「はい」
と錆人が言う。
はいってなんだっ!?
と月花は思っていたが――。
月花は気づいていなかったが。
実は、錆人はちょっぴり月花への愛を自覚していた。
ドレスのサイズがそれほど合っていなかったと聞いたからだ。
もちろんそれは素人ゆえのサイズ感の誤りだったのかもしれないが。
錆人はそれを愛だと思った。
自分が月花を一目見て気に入ったから。
だから、ウエディングドレスにぴったりだと思ってしまったのだと気づいていた。
だが、恋愛にうとい錆人は月花を意識しはじめたからと言って、特に行動が変わるわけでもなかった。
まだ、自分の中で、
「これが愛――?」
と。
西浦辺りに、
「いや、お前はロボットか、宇宙人か」
と突っ込まれそうなことを考えているだけだった。
帰りの車。
ゾロゾロと予備校から出てくる学生たちを見ながら、錆人は、ぼそりと呟いた。
「……そういえば、受験のときは、吐くほど勉強したな」
「専務でもですか?」
と月花が訊いてくる。
勉強するとか、仕事するとか。
そんなことにばかり熱心だったから、こんなとき、なんにも対応できないな、と錆人は思っていた。
月花との偽装結婚の話を今まで、ぐいぐい進めてこられたのも。
仕事のように推し進めてきたからだ。
――恋とか今更、恥ずかしい。
学生じゃあるまいし。
そう錆人は思っていた。
これ以上、自分の恋心が進まないうちに、月花と距離を置くべきか。
自分以外の誰かに、心を支配されてしまうのは怖いから。
そう思ったとき、下請け工場の人たちや、式場の人たちのキラキラした目が頭に浮かんだ。
……いや、彼らのためにも結婚しなければ。
「……結婚式をして、二、三ヶ月したら、自由にしていいから」
「えっ?」
「いい就職先も探しておこう」
「ありがとうございます」
ありがとうございます、か。
ちょっと胸が痛いな。
「でも、せっかくこの職場、慣れてきたところなのに、寂しいですね」
と月花が言う。
自分じゃなくて、職場に対して言っているのだとわかっているのに。
自分と離れることも含めて、寂しいと言われているように感じて、勝手にちょっと、ときめいてしまった。
横で月花は照れたように笑っている。
なんて可愛いらしい……
いや、気のせいだ。
そこそこ可愛いが、それほどでもない、と錆人は思おうとする。
――こいつといると、気を使わなくていいし、楽だし。
一生一緒にいたい気がする。
……いや、気のせいだ。
そう思っておいた方がいい。
素直なおのれの感情と理性がせめぎ合う。
でも、とりあえず、しばらくは月花が側にいてくれる。
あと、二、三ヶ月くらいは――。
なにも考えてなかったころの俺、ぐいぐい話を進めておいてくれて、ありがとうっ、
と自分で自分に感謝した。
「なんだかわからないんですけど。
専務のおじいさんの信頼を勝ち取ってしまったので。
おじいさんのために、腹を括って偽装結婚することにしました」
夜。
月花は小腹が空いたので寄ったスープ屋でそう、みんなに報告する。
西浦も三田村も休憩を兼ねてスープ屋に来ていたのだ。
「いや、錆人のためじゃないのか」
と西浦は言う。
「錆人はいい男だぞ。
俺が女なら結婚したいくらいだ」
「そうだな。
錆人に、月花と結婚して偽装で済むわけはないと言ったが、今は逆な気がして来た。
錆人と結婚して、偽装で済むわけがないのでは?」
通りかかった船木がそんなことを言う。
……あの、いつの間にか、みなさん、専務サイドに立って話すようになってて。
私がアウェイな感じなんですけど、と思いながら、月花はレタスと卵のスープを飲んだ。
「でもさー、僕は引かないからね」
と三田村が言う。
「藤樫錆人が如何にいい男だろうと。
月花に一番似合いなのは、僕だと思ってるから」
「なに言ってんだ、三田村。
俺だって、別に諦めたわけじゃないぞ」
と西浦が言い、
「そうだ、山は高い方がいい。
敵も強い方がいい。
征服しがいがある」
と船木が言う。
あの……征服対象が私ではなく、専務のように聞こえるのですが。
「月花。
お前の望むスープ作ろう、俺と結婚してくれ」
「月花。
お前の望む部位を焼いてやろう、俺と結婚してくれ」
「月花。
一年分の米をプレゼントするよ、僕と結婚してよ」
「なんだそれは、なんの条件出してんだ。
お前はかぐや姫か」
と錆人に言われる。
……私が言ったのではないですよ。
向こうが言ってきたのですよ。
ちなみに、三田村さんが言った米一年分は、懸賞に応募して、当たったやつらしいです、
と月花は専務室で思う。
「うちの店の米は、一年分契約してあるし。
僕のご飯は、三食、ほぼ賄いだし。
今は一人暮らしだし、いらないからね」
と三田村は言っていた。
「つまり、お前はいらないもので嫁にもらわれようとしてるのか」
と錆人は書類を見ながら笑っていた。
「……他人事かと思って~」
小声で、ぼそっと愚痴ったのが聞こえたらしい。
「他人事じゃないぞ」
偽装とはいえ、妻だから、と書類越しに見られ、不覚にもドキリとしてしまった。