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第百二話 最初の約束
「全部、やろう」
昨日そう言ったはずなのに。
朝になっても、
彼は箱の中に入っていた紙を何度も見返していた。
『全部思い出したら、昔の約束を一つずつ叶えよう。』
紙の端には、いくつか小さな文字が残っている。
事故の前の二人が、
忘れないように書いたものだった。
一つ目。
一緒に朝の駅を見る。
二つ目。
知らない場所へ行く。
三つ目。
同じ写真をもう一度撮る。
四つ目。
ちゃんと「ありがとう」を伝える。
そして、最後に。
二人で決めた場所に、もう一度行く。
「……結構あるね」
彼女が紙を覗き込んで笑った。
「もっと少ないと思ってた」
「私たち、思ったより色々約束してたんだね」
「忘れてただけで、約束自体は消えてなかったんだな」
彼女は、その言葉に少しだけ黙った。
「……うん」
そして紙を大切そうに折り直す。
「じゃあ、最初から」
「最初?」
「うん。最初の約束から」
二人は駅へ向かった。
事故の日から何度も訪れた場所。
でも、今日は少し違って見えた。
今までは、失った記憶を探すために来ていた。
今日は違う。
約束を叶えるために来た。
朝の駅は、まだ人が少なかった。
ホームに立つと、彼女が空を見上げた。
「覚えてる?」
「……少し」
昔の記憶が、ゆっくり浮かんでくる。
まだ二人が今ほど親しくなかった頃。
彼女が、
「朝の駅って、なんか好き」
と言った。
彼が理由を聞くと、
「みんながこれからどこかに行く感じがするから」
と答えた。
そして彼は、
「じゃあ、いつか一緒に見よう」
と言った。
それが最初の約束だった。
でも、その「いつか」は来なかった。
事故が起きたから。
記憶を失ったから。
二人の時間が途中で止まったから。
「……やっとだね」
彼女が呟く。
「うん」
電車がホームに入ってくる。
朝の光が、線路の向こうから差し込んだ。
彼はその景色を見ながら、ふと笑った。
「昔より綺麗に見える」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、写真撮ろうか」
「いいね」
彼女がスマートフォンを取り出す。
けれど、シャッターを押す前に彼が言った。
「待って」
「ん?」
「昔も、こうやって写真撮ろうとしたんじゃない?」
彼女は考える。
そして――
「あ」
思い出した。
昔の二人も、同じ場所に立っていた。
けれど、そのときは二人とも恥ずかしくて、
結局自分たちの写真を撮らなかった。
代わりに、朝の駅だけを撮った。
その写真が、今まで残っていた。
「……じゃあ」
彼女がスマートフォンを持ち上げる。
「今度こそ二人で撮ろう」
彼は頷いた。
二人で並ぶ。
カメラの中に、二人が映る。
シャッターが切られた。
写真を確認すると、彼女が笑った。
「なんか、不思議」
「何が?」
「昔は、この写真がいつか私たちをここまで連れてくるなんて思わなかった」
彼は写真を見つめた。
「俺も」
少しだけ沈黙してから、彼は続けた。
「でも、来られてよかった」
「うん」
そのときだった。
彼のスマートフォンに、昔の写真が一枚表示された。
自動で同期された古いデータだった。
そこには――
まだ二人が今より幼かった頃の写真。
教室の窓際。
二人で並んでいる。
その写真を見た瞬間、
彼の中にまた記憶が戻ってきた。
「……これ」
「何?」
「この日、俺……家に帰りたくなかったんだ」
彼女は何も言わずに聞いた。
「家に帰ったら、また嫌なことがあるって分かってた」
彼は少し笑った。
「だから、帰る時間を遅くしたくて」
「……そうだったんだ」
「うん」
そして彼は、彼女を見る。
「でも、あの日、君が一緒に帰ろうって言ってくれた」
彼女も思い出した。
「私も……家に帰りたくなかったんだ」
二人とも笑った。
「じゃあ、あの日は」
「お互い、帰りたくなかったんだね」
「うん」
その笑い声の途中で、彼女の目に涙が浮かんだ。
「……なんか、変だね」
「何が?」
「ずっと辛かった記憶なのに、今思い出すと……」
彼は続きを待った。
彼女は涙を拭う。
「あなたと一緒だったって分かるだけで、少し違って見える」
彼は何も言わなかった。
ただ、隣に立った。
昔の二人は、
辛いことを一人で抱えないために約束をした。
でも、あの頃の二人はまだ知らなかった。
約束は、過去を変えるためのものじゃない。
未来にもう一度、選び直すためのものなのだと。
「次は?」
彼女が紙を広げる。
二つ目の約束を指差した。
『知らない場所へ行く。』
「これ、どこ?」
「分からない」
「覚えてないの?」
「まだ」
二人は顔を見合わせた。
そして同時に笑った。
「じゃあ、探そう」
「うん」
駅を出る。
今度は、過去を追うためじゃない。
二人で、新しい場所へ行くために。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
でも――
もう、一人ではなかった。
コメント
1件
ああ、この回、じんわり沁みました……。「忘れてただけで、約束自体は消えてなかった」って言葉、すごく好きです。昔撮れなかった二人の写真を今撮るところとか、帰りたくない夜をお互いに過ごしてたって気づくシーンとか、一つひとつの記憶の紐解き方が優しくて。約束は過去を変えるためじゃなくて未来をもう一度選び直すためのもの、っていう着地も美しかった。次は知らない場所へ行くんですね。どこへ辿り着くのか、続きが楽しみです🌷
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#誓い
耀聖(ようせい)
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