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それから凌空はできるだけ家のことを手伝った。
料理は出来なくても、米を炊くことはできる。
洗濯機のボタン操作は出来なくても、それを干すことはできる。
何もしない健彦と、未だ友達の家から帰ってこない紫音の代わりに、凌空はがむしゃらに晴子を手伝った。
学校にもちゃんと通い出した。
まだ心配そうにこちらを見てくる篠原を無視しながら、クラスメイト達とそれ相応に楽しく過ごした。
帰りが遅い健彦。
また家に寄り付かなくなった輝馬。
帰ってこない紫音。
何も変わらない。
しかしこれから変えていくことはできる気がする。
家族のなかで一番器用な自分が。
「行ってきます!」
凌空はにこやかに手を上げる晴子に手を振り返すと、玄関を出た。
廊下を走り、エレベーターに乗る。
降下して1階まで降りると、飛び出すようにエントランスに駆け出した。
朝陽を受けた御影石のタイルがまぶしい。
乱反射する光のせいでそれに気が付かなかった凌空は、何かにどんとぶつかり、体勢を崩してその場に転んだ。
「大丈夫?」
振り返るとそこには城咲がしゃがんでいた。
「ビビったー!何してんの?」
立ち上がりながら聞くと、城咲は応接スペースの観葉植物の土に何かを突き刺しながら言った。
「ちょっとの間、留守にするから枯れないように栄養剤を入れてるんだ」
「……へえ」
いつも怠そうなヘビースモーカーと、ホームセンターのお花屋さんという職業がどうしても結びつかずに彼の職業を忘れていた。
凌空は城咲に並んでしゃがむと、その土に栄養剤が注入されるのを眺めながら言った。
「先生の正体、わかったよ」
そう言うと、城咲は視線を凌空に送ってきた。
「イコール。俺の本当の父親も、誰だかわかった」
「……へえ?」
「でも、俺の親父は親父だよ。市川健彦。いまいち冴えないけど、なんだかんだ俺たちのことを育ててくれたあのダメ親父ひとり」
凌空が言うと、城咲は視線を観葉植物に戻しながら「ふうん」と興味なさそうに呟いた。
「俺、これから母さんのこともちゃんと支えていきたいと思うし」
「うん」
視線を固定したまま城咲が相槌を打つ。
「兄貴とももっとバカ笑いしたいし、姉ちゃんにももうちょっと優しくしてやろうかな、なんて」
「なるほどね」
城咲は低い声でそう言った。
「だから、いろいろありがと!正直、あんとき一人でいるのきつかったから、一緒にいてくれたの、助かったかも」
凌空は立ち上がると、学生鞄を肩にかけた。
「じゃ、俺、電車の時間あるから!」
凌空が踵を返すと、
「―――凌空君」
いつの間に立ち上がったのか、城咲がこちらを見下ろしていた。
「?」
凌空は城咲を見上げた。
(……あれ?こいつ、こんなに背が高かったっけ?)
太陽に厚い雲がかかったのだろうか。
あんなに陽が差して明るかったエントランスが、突如として暗くなった。
口を開けた凌空に、城咲は顎を引いて微笑んだ。
「―――本当のこと?」
凌空の肩から、鞄が静かに滑り落ちた。
◆◆◆◆
不思議な感覚だ。
上がっているのに、堕ちているように感じる。
城咲と共にエレベーターに乗りながら、凌空は点灯する文字盤を見上げた。
(―――俺は、何をしてるんだろう)
本当のこと?
なんだ、本当のことって。
だから、凌空の本当の父親が、あの弁護士の男だってことじゃないのか。
それを匂わせたのは他でもない自分のくせに。
(――こいつ、何を考えてる?)
横目で城咲を見上げる。
文字盤を見上げるでもなく、凌空を見下ろすでもなく、ただ正面を眺めている。
確かめなければいけない。
何を?
この男がどこまで知っているかを、だ。
もし城咲の言う“本当のこと”が、亜希子のことを指すのであれば。
本当は心の病などではなく、市川家によって監禁され、虐げられ、穢され、壊された事実を指すのであれば。
凌空は右手の拳を握った。
野放しにしておくわけにはいかない。
自分たちはやっとここから始めるんだ。
25年間、否定され続けた、本当の家族を。