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関所抜け
「あれで良かったの、お紺さん?」志麻がお紺を振り返って訊いた。
まだ暗いうちに宿を出た三人は、関所に向かう坂道を息を切らして歩いていた・・・一人だけ。
「す、少しは懲りたんじゃない?・・・ハアハア・・・しかし、すごい坂道ね・・・」
「おら、お紺姐さんを見直した。もっと意地悪な人かと思ってた」イトが満面の笑みを浮かべて言った。
「わ、わっちを見縊みくびるんじゃないよ、こう見えても深川じゃ粋と気風きっぷが売り物のお紺姐さんだ・・・ハァハァ」
「うん、ほんとやる事が粋だ!きっと売れっ子の姐さんだったんだね?」
「ほ、褒められるのは嬉しいけどさ・・・ハァハァ・・・も、もう話しかけないでくんない・・・い、息が切れて歩けなくなる・・・」
「分かった!」
「と、ところで・・・ハァハァ・・・抜け道はまだなのかい・・・?」
話しかけるなと言っておきながら、自分から話しかけるお紺であった。
「もうすぐ関所だからその手前から左に折れる」
「ええっ!ひ、左手って山じゃない!」
「そうだよ、この山を迂回して行くんだ」
「ああ〜、聞かなきゃよかった〜!」
お紺の断末魔の声を聞きながら、イトは情け容赦なく足を早めた。
「そろそろ関所を通る旅人が登って来る、その前に抜け道に入ろう」
「・・・」
お紺はもう口を開く気力も無くしたようだ。
山道に入って半刻(一時間)が過ぎようとしているが、道は益々険しさを増すばかりだ。
「イト・・・本当に・・・この道で・・・いいの?」お紺が喘ぎ喘ぎ訊いた。
「いい筈なんだけど・・・この前の大雨で地形が変わっちゃったから・・・」イトが腕を組んで首を傾げる。
「なんだって!道に迷ったのかい!」
「い、いやそうじゃねぇよ、山の形は変わらねぇからあの山の方角に行けば関所の向こう側に出られる筈だ」
「頼りないねぇ、関所抜けに関しては右に出る者は無かったんじゃないのかい?」
「う、うるせぇよ、言われないでもちゃんと連れてってやらぁ!」
イトがぷりぷり怒っって顔を背ける。
「二人とも、言い争いはやめなさいよ。なんかヤバイのが目の前にいるよ・・・」
志麻が指差す藪の中で、金色の目をした大きな獣がこちらを見ている。
「お、狼!」お紺の声が裏返る。
「いや、狼じゃねぇ・・・山犬だ!」
「山犬?」
「狼と犬の合いの子だ、猟師がよく猟犬として飼ってる。猟師は家の前に雌犬を繋いでおくんだ。そうすりゃ夜狼が来て交尾する。そうやって山犬を作るのさ」
「だとすると、近くに猟師がいるわね?」志麻が言った。
「助かった、道を教えてもらえる!」
「お紺さん、それは甘いと思う・・・」
「どうして?」
「酒匂川の渡しを思い出して」
「あ・・・!」
その時、枯れ枝を踏む微かすかな音が聞こえた。
「みんな伏せて!」志麻が叫ぶ。
慌てて地面に伏せた頭の上を銃弾が唸りを上げて飛び去った。
立ち上がって逃げようとした時、山犬が唸り声を上げた。
「私達を釘付けにする気だわ!」志麻が言った。「火縄の匂いがする、旧式の火縄銃だわ。次の発砲までまだ間があるから、山犬を刺激しないように、ゆっくりと木の陰に隠れて!」
お紺とイトが大きな杉の木を背にして立った。
「弾は後ろから来たわ、そこにいれば大丈夫」
「志麻ちゃん、あんたは!」
「こいつをなんとかする!」
志麻は鬼神丸を抜いて山犬の前に立った。
山犬は姿勢を低くして威嚇の唸り声を上げている。
志麻、銃弾は私がなんとかする・・・
「鬼神丸・・・」
山犬に集中して・・・
「分かった」
志麻は鬼神丸をだらりと右手に下げて、左手で脇差を抜いた。
その瞬間山犬が地を蹴った。同時に発砲音が山にこだます。
鬼神丸が跳ね上がると、空宙に火花が散った。
志麻は左足を大きく前に踏み出して、飛び掛かってきた山犬の口に思い切り脇差を突っ込んだ。ガキッ!と音がして、脇差の鍔が山犬の牙に当たって止まる。
唸ることも出来ず志麻を睨んでいた山犬の目が、グルンと裏返って白目を剥いた。
「志麻ちゃん、猟師が逃げてく!」お紺が叫ぶ。
「銃声で役人が来るわ、私たちも早く逃げましょう!」
志麻は山犬の口から脇差を引き抜いた。
鬼神丸を鞘に納める時刀身を見たが、刃こぼれひとつ出来ていない。
「鬼神丸、あなたの名前はまた今度聞くね・・・」
「あっ!あそこに道がある!」イトが叫んだ。
山犬が潜んでいた藪の中に、木立に隠れるようにして獣道が見えている。
「きっとあれが抜け道だ!」
「ほんと、イト?」お紺が訊いた。
「間違いねぇ、おらを信じろ!」
三人は飛び込むようにして藪に逃げ込んだ。
遠くから、互いに呼びかけるような、または怒鳴るような人声が聞こえて来た。