「ねえ。桐島ちゃんは三田課長のどこに惚れたの?」
昼休み中は勿論周囲の注目を集め、かつ何人にも質問をされ、おひとり様ランチどころではなく、会話をしているうちに始業十分前になり、慌てて洗面所に向かい、昼休み明けの業務が落ち着いた頃に、中野さんとパソコンでお店探しをしていた。操作はわたしが行い、中野さんがアドバイスをくれるかたちだ。
お店探しって、……楽しい。いろんなサイトの美味しい料理を見たり、夜景や内装の綺麗な店の写真を眺めたり。コース料理を調べたり。見ているだけで気持ちが浮き立つ。
友達も全然おらず。そう、就職後のあの一件の後、誰とも関わるのが怖くなったわたしは、友達知人皆をカットオフしちゃって。つまり、ものすごく孤独な人間なわけで。
テレビを見てひとりでげらげら笑う自分に気づくと、急に虚しくなることもあり。
わたしはマウスを動かし、店の口コミを読みながら、「……一途で、真っ直ぐなところですかね。……っていいんですかね。業務時間中にこんな話をしてしまって」
「桐島ちゃんのそういう真面目なところに惚れてるんだね。三田課長は……」あ、ここいいんじゃない? と中野さんが指をさすから、その店の情報を熟読する。「まあさ。確かに、仕事仕事って頑張るのも大切だけれど、あたしたち、仲間なんだからさ。家族みたいなもんじゃない?」
「……家族」
「そっ」わたしの戸惑いに満ちていただろう目線を受け止め、中野さんはやわらかく笑う。「桐島ちゃん……自分を閉ざしてるじゃん。それは、一緒に仕事をしていても伝わったから……でも、それどうにか出来るの、三田課長以外にいないだろうな、と思っていたの。無事、二人の恋愛が成就してくれて本当に嬉しいです」
「な、かのさんあの……」
「あらやだ。ハンカチハンカチ」
「あー中野さんが桐島さん泣かせたー」と周りの経営企画課のメンバーが次々中野さんに愛のあるいじりを加えるのだが、わたしはそれどころではなく。
初めてだった。そんなことを言われたのは。
仕事は――あくまで、お金を貰い、貰ったぶんだけ働くのが役目だと思っていて――時には、求められる役割以上のことをこなすことも。感情の一切を持ち込まず、私情を交えず、ただ、機械的に働く――いつしかそんな機械に成り果てていた。
課長の告白がなければ。課長に愛されなければ、いまの、自分は、ない。
本当の愛の意味を知らず、一生を終えていたのかもしれない。
中野さんが差し出すハンカチはいい匂いがした。ブランド物のハンカチだ。三十五歳、おそらく子どもを作らない主義の中野さんは、いつも仕立てのいい服を着ていて。お洒落さんだ。
わたしがこの経営企画課に入ったばかりのとき、わたしの名前を「可愛いわね。あたしなんて明美(あけみ)よ。もっと可愛い名前がよかった」などと言うけれど、わたしからすれば羨ましいのは中野さんのほうで。安室奈美恵さんのメイクアップを担当するメイクアップアーティストが漢字は違えど、同じ名前なのだ。
それにしても、課長と結ばれて以来、情動が豊かになってしまった。いままでのわたしであれば、こうして人前で泣くことなど、ありえなかったはずなのに。そして、それを許してくれるみんなの空気が、ありがたい。
堪えきれず泣きじゃくりをあげるわたしに、中野さんは手を広げ、
「泣きたいのならあたしの胸で泣きなさい。あなたひとりの気持ちを受け止めるくらいの度量は持っているつもりよ。……ね?」
こんなこと言ったら三田課長に怒られちゃうかしら、と母のようにやさしい声で中野さんが言うものだから、結局わたしは、中野さんにあまえてしまった。
* * *
帰宅して、食事を済ませ、テレビドラマを見ていると携帯が鳴った。そういえば、連絡先表示を『課長』にしたままだ。
「……課長。どうしたんですか」
『用がなければきみに電話しちゃいけないのか。……大丈夫か? 泣いていたようだったが』
わたしが中野さんに泣きついていたあいだ、課長は会議で離席中だったはずというのに。動向を把握しているとは流石課長。
「ああいえ……。なんか、中野さんにやさしくして貰って、……つい。なんか課長と結ばれてからわたし、感情の振り幅が激しくなってしまって。自分でも止められなくなっちゃうときがあるんです」
『淫らなときのきみは普段とはまるで別人だものな』
「……はい」茶化すような課長の声にわたしは動じない。「なんか、いまだに、これが自分に起きたことだって信じられないときがあって……。あんなになるだなんて知らなかったですし……自分のからだとこころが。
ううん、でも、課長と結ばれて初めて、自分のからだとこころが結びついたというか。綺麗にリンクした気がするんです……」
『莉子。いまからそっちに行く』
「え、でも……」壁にかかる時計を見た。二十時を過ぎている。来るには遅すぎるという時間帯ではないが、でも、課長の大切な日常を邪魔するのも。「悪い……悪くないですか」
『駅降りて家に向かうだけだったが。……着替えだけ持ってきみん家に行くよ。すまん。莉子。おれは、大事なことは、ちゃんと相手の目を見て話す主義なんだ。
きみはいま、大事な局面を迎えている。おれとの交際が公表され、きみに対する周りの反応もいろいろと変わるだろう。その変化に戸惑うこともあるだろうから、いまのうちに、……ちゃんと、話しておきたい。
あ。飯はコンビニで適当に買っていく。用意しなくていいからな。……じゃ、一時間後くらいに着く』
「あ、のでも課長……」
『なんだ』
「大変じゃないですか……。わたしのところに来るの」
『馬鹿。言わせたいのか。おれは、おまえが好きで好きでたまらないんだぞ』
かーっ、と子宮の辺りが熱くなる。やだもう。なにこの反応。
『じゃ、また後でな。駅着いたら電話する。それから住所送っておいてくれ。地図見てきみのマンションに辿り着くから』
言うだけ言って課長は電話を切ってしまった。――まったくもう。
わたしの胸に去来するのは、困惑でもなんでもない、たとえようのない喜びと、突き上げるような嬉しさだった。……嬉しい。課長にまた、会えるなんて。会社で顔は合わせたけれども、職場で恋心を大っぴらにするわけにはいかないし。そもそも課長の席は離れているし、それに、あの爆弾発言以降、ろくに話せていない……。
どうして、課長は、こんなにもわたしのことを分かってくれるのだろう。
課長となら何時間でも一緒にいられる。ずっとずっと一緒にいたい。土曜も日曜も、天地がひっくり返るかもしれない日であっても。あのひとの本能を、わたしの魂が求めている。
高鳴る鼓動。熱くなる頬。疼く子宮……。わたしにこんな感覚を、感動を教えてくれたのは、他ならぬ、三田遼一、そのひとを除いてほかにいないのだ。
「……遼一さん。大好き……」
窓際に行き、ぽっかり浮かんだ丸い月を見上げ、熱くなる胸を押さえ、わたしは、たったひとり。この世でひとりだけ、わたしを幸せに出来る、その尊い存在のことだけを、考えていた。
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